季語道楽(42)またもや寄り道—文人俳句の妙にふれる 坂崎重盛
前々回、室生犀星の句に接し(あの、犀星の句集はどこへ行ったのかなぁ)と思案していたところ(もしや……)と思ったところから出てきました。内田百閒や夏目漱石の復刻版・漱石俳句集といっしょに、透明のプラスティックケース(A4サイズ一〇〇円ショップで調達)の中にありました!
久しぶりに手にする。記憶では戦中戦後の、仙花紙を用いての、わびしい造本だった。奥付を開いてみて、おや! と思った。版元はあの櫻井書店ではないか。社主は櫻井均で、戦前から美しい装丁の文芸書や趣味性の濃い本を刊行し、古書マニアの中には、櫻井版の本を収集するご仁もいると聞く。しかし、この『犀星発句集』(著者の自装)は、かなり寂しい。そのはずだ、戦中、昭和十八年初版で、この本は敗戦直後の昭和二十一年の刊行。
内容は作句年順ではなく、「新年」「春」「夏」「秋」「冬」「雑」と歳時記的に章立てされている。巻頭に短い「序文」が付されている。引用する。
ここに集めた発句は私の発句としてはその全部である。抹殺したのもか
なりある。十八九歳の頃からの句もあれば五十を過ぎた句もあるが、発句
で堂に入るといふことはもう私などには到底出来そうもない、はるかな遠
い道であった。これからも私はふたたび堂にはいろうとは思わないもので
ある。
発句ではただ一つの道をまもり、そこを歩きつづけることができたかど
うかも問題である。私は一つの奥をきはめたことすら、甚だ覚束ないと考
へてゐる。
ずいぶん謙虚な姿勢だが、これは作者・犀星の、かなりの本音とみていいでしょう。
本文、いつ読んだのか、あちこちにフセンが貼ってある(本の奥付裏に0508〇・四とエンピツで小さいメモがある。十二年前に四〇〇円で入手したようだ)。例によって、この文を書いている夏から秋への部分をチェックする。
夏やせと申すべきかや頬あかり
蛍くさき人の手をかぐ夕明かり
青梅の臀うつくしくそろいけり
なんか色っぽいんですよ、犀星の句。もっとも、そんな句を選んでこちらがフセンを貼っているんですけど。
もちろん、ぼくの好きな、
あんずあまさうなひとはねむさうな
も。これに似た句に、
あんずあまそうな雑木の門がまえ
もある。犀星の句集には、ときどき、こういう類句がある。並べて挙げて、選は読者にゆだねようという思いがあったのか。
おっ、芥川龍之介の有名な句が載っている。
風呂桶に犀星のゐる夜寒かな
これに犀星が付けたのが、
ふぐりをあらふ哀れなりけり
犀星の付け句も、なかなか俳諧味だが、ふと気になったのは芥川の句の上五「風呂桶に」——。ぼくの記憶では「据ゑ風呂に」である。さっそく、岩波文庫・加藤郁乎編『芥川龍之介俳句集』にあたる。巻末に「初句(上五)索引」があるのでありがたい。やはり「据ゑ風呂に」であって、「風呂桶に」はとられていない。
ところで、この句と同じ見開きページに凄い句が目に入った。知る人ぞ知る犀星の句。
鯛の骨畳にひらふ夜寒かな
さすがに犀星、鋭い感覚、強い視線と秘めやかな動きだ。
かと思うと、「秋人」と題して、
石段を叩いてのぼる秋の人
といった、なにかホノボノとした句もある。この「秋の人」は、もちろん「女人と見てよいだろう。先の「蛍くさき人の手をかぐ夕明かり」の「人の手」も、当然、女性の手。こまったひとですねぇ、犀星さん、しっかり艶隠居してます。
まあ、あの『女ひと』『蜜のあわれ』の作家ですから。
俳句もよくした、室生犀星という人は、どうやら筋金入りの不良老人だったようだ。愛娘の朝子さん(杏っ子と呼ばれた)による著書『晩年の父犀星』を読むと、共に暮らし、四六時中、ぴったりと寄り添うように生きてきた娘ですら、まったく気がつかなかった、犀星のまさに完全犯罪的(犯罪ではありませんが)秘めごとについて書き残されている。
その、呆然とするような知能犯的隠蔽工作の細部については、関心のある方は、ぜひ『晩年の父犀星』を手にとってみて下さい。人間犀星のしたたかな“愛のあわれ”が実感できることと思います。(拙著『「秘めごと」礼賛』に、この犀星の項を加えてなかったのは、自分の至らなさであった!)
先に紹介した『犀星発句集』と同じケースの中に、フランス文学の出で江戸漢詩にも通じる作家・中村真一郎『俳句のたのしみ』(新潮文庫)と、関森勝夫(近世文学専攻で俳誌『蜻蛉』の主宰者)による『文人たちの句境』(中公新書)が収められていた。
中村真一郎の『俳句のたのしみ』は、江戸の俳人にふれている「俳句ロココ風」と「文士と俳句」の二本立て。前項には炭太祇。大島蓼太、建部凉袋、堀麦水、高桑闌更等々といった名が並ぶ。加藤暁台、三浦樗良、高井𠘨菫、加舎白雄、そして小林一茶という名も見える。俳聖・芭蕉の後の、著者いうところの「小詩人」の俳諧師たち。
第二部「文士と俳句」の項では、夏目漱石、泉鏡花、永井荷風、芥川龍之介、久保田万太郎、室生犀星の句が語られる。
おっと、巻頭には「柴田宵曲のこと」が述べられている。しばらく前にふれていた柴田宵曲のことにふれられているのが嬉しい。著者は「ほとんどの者が、一度も耳にしたことのない名前であると記しているが岩波文庫のおかげで宵曲の著作が手軽に読める。
そして、巻末に「樹上豚句抄」として、著者自身の人生の流れとそこから生まれた句とエッセイ。この文庫本、たかだか二〇〇ページほどだが、じつに読みごたえあるが、つぶさにふれる余裕がない。次の『文人たちの句境』に移る。
目次には「Ⅰ 常住坐臥」、「Ⅱ 温故知新」、「Ⅲ 哀」、「Ⅳ 女人讃歌」、「Ⅴ 存問」とある。ここに登場する文人の名は、會津八一、芥川龍之介、泉鏡花、内田百閒、尾崎紅葉、久保田万太郎、久米三汀、佐藤春夫、寺田寅彦、中勘助、永井荷風、夏目漱石、三好達治、室生犀星、森鴎外等々が五句以上の解説。
その他に北原白秋、幸田露伴、小島政二郎、太宰治、横光利一他の名も見え、索引によって彼らの句をたどり、味わうことができる。引用句がもっとも多いのが漱石、つぎが久保田万太郎、三番目が尾崎紅葉の順で、これは文人俳句としての世の評価でもあり、また著者の関心の深さを示す順と見ていいだろう。
文人俳句の好もしいところは、いわゆる結社や俳誌を主宰する専門家的俳人や、その弟子の俳句への姿勢と異なり、きわめて自在、私的、あるときは気ままであるところだろう。また、鑑賞するこちらとしては、作家その人への関心と句が相まって興味が湧くこともある。
文士同士の交流から生まれる句が多いのも文人俳句の特徴の一つかもしれない。例えば自死した芥川龍之介の追悼、追善の句は、室生犀星、久保田万太郎、内田百閒、徳田秋聲、小島政二郎といった文学仲間が多く献辞している。
「女人讃歌」の句も、その作家ならではの色彩がうかがえたり、意外な感じを受けたりして、楽しく接することができる。
吾妹子(わぎもこ)に揺り起こされつ春の雨
これは、意外や? 夏目漱石句。
浮世絵の絹地ぬけくる朧月(おぼろづき)
泉鏡花と知れば(なるほど)と納得の句だろう。
影ふかくすみれ色なるおへそかな
かなりキテますねぇ。佐藤春夫の句。ただし生身の女体でではなく、ミロのヴィーナスを見ての句、というが、もともと、素地にその感性なくして、この句は生まれない。
臍(へそ)といえば、
あんぱんの葡萄(ぶどう)の臍や春惜しむ
という三好達治の句もある。他の文人の句も本書より選び列記してみようか。
明眸の見るもの沖の遠花火 芥川龍之介
香水の人を忘れず軽井沢 田中冬二
梨剝いて其皮妹が丈に等し 巌谷小波
稲妻や湯船に人は玉の如 寺田寅彦
また、
萩の露こぼさじと折るをんなかな
これが、あの幸田露伴の句とは。露伴では「おぼろ月素足の美人のくさめかな」という句も挙げられている。隅におけませんねぇ。あの謹厳と思われる露伴先生。
あと三句だけ。
雪ふるといひしばかりの人しづか 室生犀星
瘻咳の頬美しや冬帽子 芥川龍之介
まめなりし下女よあらせて冬ごもり 森 鴎外
皆さん、なかなかのものではありませんか。“文豪”などと肩肘張った教科書的印象だけで作家を見ていては損をしますね。文人俳句の興趣ぶかいところでしょうか。ま、一筋縄ではいかないところが作家というものでしょうから。
ケースの中には、岩波文庫、(大正六年・岩波書店刊の小型変形本、布装、天金の『漱石全集』の復刻本)坪内稔典編による『漱石俳句集』、また、同じ著者による『俳人漱石』、また、漱石の弟子筋にあたる内田百閒の『百鬼園俳句帖』(一九三四年 三笠書房刊)、『百鬼園俳話』( )等が一緒にあったが、それぞれの句をほんの一部だけ紹介するにとどめて、本道の季語、歳時記に戻りたい。
まず漱石となると、
蜻蛉や杭を離なるゝこと二寸
叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉
有る程の菊抛げ入れよ棺の中
百閒の句。
冬籠り猫が聾(つんぼ)になりしよな
薫風や本を売りたる銭のかさ
ちなみに漱石の俳句の編者となった坪内稔典の句も挙げておこう。なにやら心の余裕から生まれる、トボケていてユーモラスな句のある、ぼくの好きな俳人。
三月の甘納豆のうふふふふ
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
東京の膝に女とねこじゃらし
さて、いよいよ、各種の歳時記本の峰々を踏破することにしたい。息切れせずにすむだろうか。