季語道楽(44)俳句嫌いだった著者の俳句啓蒙書 坂崎重盛
今回は、戦後の前衛俳壇を引っぱってきた頭目のひとり、金子兜太が編集にかかわる単巻歳時記を見てみようと予告したが、あることが心に引っかかっていたので、やはり、まずはそれを取り上げたい。この稿、もともとまるで俳句を即席で作るように、ジャズのアドリブ演奏のように、ころころ変わる。
前回の山本健吉の単巻歳時記の補足。
意識して集めたわけではまったくないが、俳句関連本の一隅に、山本健吉著の詩歌関連本の群が目にとまる。もちろん、前回、ちらっと書名だけ記した文藝春秋刊の代表的歳時記の一つとして評価されている山本健吉編『最近俳句歳時記』(全五巻)や、これまた画期的な中央公論刊『地名俳句歳時記』(全八巻)とは別の単著である。
自分の覚えのためもあり、手に取ったものから列挙してみる。
- 平畑静塔/山本健吉共著『俳句とは何かーー俳句の作り方と味い方』(昭和二十八年 至文堂刊)
- 山本健吉『俳句私見』(昭和五十八年 文藝春秋刊)
- 山本健吉『現代俳句』(昭和三十九年 角川文庫初版 昭和六十一年改版十八版)
- 山本健吉『俳句鑑賞歳時記』(平成十二年刊 角川ソフィア文庫)
- 山本健吉『ことばの歳時記』(平成二十八年刊 角川ソフィア文庫)
- 山本健吉『芭蕉三百句』(昭和六十三年刊 河出文庫)
- 山本健吉『大和山河抄』(昭和四十四年 角川選書)
- 山本健吉『こころのうた』(一九八一年 文春文庫)
いま脇に積み重ねたものだけ挙げたが、文庫などまだ数冊はどこかに埋もれているに違いない。なお『大和山河抄』と『こころのうた』は俳書ではなく、前著は大和路を行く紀行文で、それに伴う万葉集からの和歌の手引きであり、後者は文芸評論家としての山本健吉による近代詩のガイドブックである。
季語の誕生と成立の考察や各種歳時記の著述など、とくに戦後の俳句啓蒙に大きく寄与し、また多くの一般読者を獲得した山本健吉は、改めて考えてみれば、非常に例外的なというか特異なポジションにいる著述家だった。そのことを、山本自身の言葉によってみてみよう。
いま列挙した本の中の一冊、『俳句私見』の中の一文を引用する。つづけて山本健吉の実感を聞こう。
俳句がわかるためには、よく言われるように自分で作ってみるという専
門的な修練を必要とするのであろうが、そういう垣がぼくの前には何時の
間にかはずされて、自分は作らないながらにその藝苑に出入りすることの
自由さと大胆さを身に附けるに到ったのだ。
と、これは山本健吉が、はじめ改造社に入社、「俳句研究」の編集にたずさわったことの経緯をのべたものだろう。“自分が作らなければ俳句のことは語れない”に対する異論は、例の桑原武夫の『第二芸術』での言及が知られている。
僕も毎月のように何百何千という俳句を読まされ、寝ても覚めても「俳」
という字が生活についてまわっていた間は、俳書と言えば手に取り上げて
みる気もしなかった。僕の書架は久しい間俳書だけを欠いていたし、人に
もあからさまにこの俳句集の厭わしさを口にしたのである。
「俳句集の厭わしさ」の言葉がリアルである。実感を伝えてくる。しかし、その山本の毎日の仕事は俳句雑誌の編集であった。
僕は俳句びたしになり、自然と俳句をそらんじ、俳句を厭い、俳句から逃
れた。このような希有な体験は、人を決して作者にはしないであろう。
山本健吉が俳句を作る人、俳人になり得なかった理由を吐露している。そして、
臭いがすっかり去ったのは、雑誌から離れて一年ほど経ってからである。
僕は芭蕉や蕪村の句集を再び手に取ることが多くなり、七部集(*芭蕉七部
集)は枕頭の書の一つになった。厭わしいものが心の堰を切って反動的に
好ましいものとなる力の大きさ。
——文芸評論家、俳句啓蒙家、山本健吉の誕生である。たしかに、山本健吉以外に、あれだけの力仕事となる歳時記や俳書を著した人は職業俳人でもいないだろう。ましてやーー「名句、代表句の一句ももたない人間が、どうして俳句の世界をかたることができる」——が、“常識”の俳句社会で。
『俳句私見』は、かなり読みごたえのある一冊だが、ここでは深入りすることはひかえよう。ただ、章立てだけは記しておく。著者の俳句評論へのよき野心がうかがえる。
- 「軽み」の論——序説——
- 余呉の海、路通、芭蕉
- 挨拶と滑稽
- 俳句の世界
- 純粋俳句 写生から寓意へ
- 俳諧についての十八章
以上だが、「挨拶と滑稽」は、角川ソフィア文庫の『俳句とは何か』に収録されている。
もう一冊だけ。もちろん山本健吉本これは新しい帯のかけられた文庫で、帯のコピーに目がいった。じつはこのことは、しばらく前の稿でもちょっと記したはずだ。そのコピーとは「上皇陛下と上皇后陛下がおふたりで音読している本」(宮内庁「上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)より」
うーむ。たしかに宮内庁からのコメントがあったのだろうが、それを即、いただいて文庫版の帯に刷り込むとは! おそれ入った編集社魂というか、売らんかなスピリット!
もちろん、文化勲章も受けている著者の著作物、しかも日本の風土、四季、また日本人が古来より育んできた日本のことばを、名句や名歌を挙げながらの随筆なので、いわば“お墨付き”。「おふたりで音読」されてもなんの危惧する心とてないが、(それにしても……)と感じて入手した。
ところで、巻末のあとがきに代わる「歳時記について」を見てみよう。昭和四十年の記。元本は文藝春秋から刊行されたようだ。その一行目、
これは私の、季(き)の詞(ことば)についてのノートである。
「季の詞のノート」、つまり歳時記。引用をつづける。
私は昔から、俳句の歳時記をときどき開いてみるのが好きだった。べつ
に俳句を作るために開くのではない。俳人たちがこの書物を実用的に読む
ところを、私はしごく趣味的に読んだというに過ぎない。
あちこち読んでいるうちに、私は歳時記というものが一千年以上にわた
って持ちつづけてきた美意識と生活の知恵との、驚くべき集大成だという
ことに気づいたのである。
と、ひとことで歳時記の存在意義をのべ、このあと季語に関する少々専門的、学問的な考察がされるが、この一文は次の言葉でしめくくられる。
私の歳時記に対する興味には、二つの面があることになる。それは国語と
国土という二つの言葉に帰着する。
——なるほど、「おふたりで音読して」、なんのさしさわりのない、日本人のための良書のようだ。じつは、わたし、まだ本文をほとんど読んでいない。改めて通読せねば。
ただ、読まずとも、この俳書からは、俳諧の「俳」(この字は「人に非(あらず)」。「俳」の字を左右入れ替えれば「非人」となる)や「謔」(調和する。おどけたわむれる。ユーモア(諧謔(ぎゃく))といった雰囲気は、あまり伝わってこない。
日本の伝統文化の中の「美しい日本の私」を再認識することはできるだろうが、また、やはり日本の伝統文化の重要な一要素である滑稽(ユーモア)やなんせんすといった、上下(かみしも)脱いだ庶民文化の、生きる楽しさ、切実さといったものはあまりかんじられない、とつむじまがり的な気分を抱いてしまう。
山本健吉の季語論については、彼が編集したライフワーク、俳句歳時記のなかで、少しくわしく見てみることとして、お待たせしました! 所期の、金子兜太の関わった歳時記を手にしよう。