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『みんな、子供だった』

『みんな、子供だった』

Toutes les grandes personnes ont d’abord été des enfants, mais peu d’entre elles s’en souviennent.
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。」(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)

Le Petit Prince (1943) de Antoine de Saint-Exupéry / 『星の王子さま』 サン=テグジュペリ



「それぞれが生きた時代の出来事や世相や風俗が、まさに少年・少女のまなざしで受け止めてあるだろう。また受け手の背丈に応じて正確に縮小されている。小さな生きものの小さな日常から見えてこないか〜〜そこでは誰もが即席の詩人であり、即席の思想家であり、即席の科学者であって、何が自分にとって必要であり、何が無用か、よく知っている。必要以上は願わない。そんな幼い者たちの生理をなるたけ損なわずに写し取ろうとした。

 

幼い人生の始まり、最初の一歩の行く末をそれとなく暗示している。それがどう進むか。むろん当人にもわからなかった。しかし、実をいうと、あるおぼろげな予感があり、予感こそ正確な手引き役になる。あとになってわかるのだが、最初の一歩が、しばしば最後の一歩になった。」

 

これは、ドイツ文学者で、エッセイストの、池内 紀さんの『みんな昔はこどもだった』という書籍の一節です。

 

誰もが、みんな子供でした。その頃の記憶が残るのは、おそらく5歳くらいからでしょうね。そして、小学校、中学へと。
どんなことがあったでしょうか?
とにかく、遊びです。メンコ、地方によってはパッチともいいましたね。かくれんぼ、鬼ごっこ、ベーゴマ、馬乗り、ケンケン、チャンバラ、花いちもんめ、なんてのもあった。でもこれは、旧世代のものですね。
それから、友達との喧嘩や、仲直りや、初恋やら、転校や、それぞれが体験したことは、ひと様々です。それは、年代によっても、場所によっても違います。まさに、千差万別です。
例えば、この前の戦争(太平洋戦争です)をのあと、どこで生まれ、育ったかによって、大きな違いがあります。都会か、田舎か、はたまた外地かなんてこともあるかもしれません。

 

そこで、私たちが、さまざまな体験したこと。見聞きしたことを、それぞれに、取り出して、書いてみる。それも、せいぜい十代のうちに限ってです。

 

人生の選択や、利害の交換、生き方、行く末がなんとなく気にかる、不安な、暗い、迷いが見え始めるハイティーン、そして学生の頃になると、体験や記述に邪な欲望が生じるのではないかしら。要するに見栄が混じるわけですね。そうすると、自分をかっこよく見せようとし始め、欲得がでる。これは本来の趣旨とずれます。

 

全く無邪気とはいきませんが、やはり、無欲な子供の姿が、中心です。

 

「みんなこどもだった」という形で、エッセイを募集します。八〇〇字から千字くらいの短いものです。稿料は払いません。何しろ勝手ですから。
ホームページのスタイルで、投稿を呼びかけ、それぞれに本人のプロフィールをつけてもらいます。

 

コラム『みんな子供だった』は、それぞれの投稿者の時代、環境、生活空間、場所、世代、性別差、あらゆる要素が複合的にあらわれて、読者にとっても面白いエッセイ集になるものと、思われます。
それに、これは無限大ですから。

 
 

おとなはみんな子どもだった

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