―――②―――
『にわか雨』
お使いの帰り、夕立を避けて近くの軒下へ駆け込むと、「ぼうや、中でひと休みなさい」と優しい声がして引き戸が開き、乾いた手拭いを渡された。
おずおず玄関に腰を下ろすと、茶と団子をふるまわれ、「謙吉さんトコのぼうやだろう。お父さんに変わりないかい」と親しげに話しかけてくる。
見覚えはないが、美しい女性である。
やがて雨音が絶えたので、礼を言って外へ出ると、不思議なことに道がまったく濡れていない。
さっきの土砂降りが夢のようである。
家へもどって、この話をすると、父親は何も答えずに仏間へ入って、しばらく出てこなかった。
何日かして、同じ道を通りかかったので女性の家を探したが、どうしても見つけることができなかった。 |
|
―――③―――
『あの星を君に』
高原の夜。満天の星空。
「なんて、綺麗なんでしょう」
僕の腕に抱かれ、恋人が溜め息をついた。
「どんな宝石も、あの美しさにはかなわないわね」
「お星様が欲しいのかい?」と僕。「どれでも、好きなのを選んでごらん。永遠の愛の証に、ひとつ、プレゼントするよ」
「素敵!」
彼女は声を弾ませた。
「じゃあ、あれがいいわ! あそこの、青く光っている小さな星…」
「よし! あの星を君に贈る。今夜から、あの星はキミのものだ」
一週間後、僕のところに一通の請求書が届いた。
「この度は《猟犬座M51星雲》をお買い上げ頂き、まことに有り難うございました。つきましては、以下の代金を…」
そこに記されていたのは、もちろん天文学的金額だった。 |
|
―――④―――
『血闘! 巌流島』
「小次郎、敗れたり」
三尺一寸の大刀を抜き放った小次郎が、無造作に鞘を投げ捨てたのを見て、武蔵が叫んだ。
「勝つ身であれば鞘は捨てまい」
「愚かなり」
冷笑を浮かべ、小次郎が言い返す。
「もとより、この刀、鞘へ返すべきにあらず。汝を斬り捨てたる後は、墓標として大地に突き捨てるまで」
「小癪な。ならば、そのド派手な衣装はなんだ。あの世とやらで閻魔を笑わせ、情けを請うつもりであろう」
「汝の襤褸こそ哀れなり。一生、風呂に入らぬは、臭気で敵を欺こうという苦肉の策…いや、腐肉の策」
「戯言を! だいたい、貴様の剣法は燕にしか通用しないヘナチョコ」
「一刀では足りぬ臆病者が何をほざく」
罵り合いは、なお果てしなく…。 |
|
―――⑤―――
『スフィンクスの罠』
「四本足だったり二本足だったり三本足だったりするもの、なーんだ」
スフィンクスの謎掛けに、知恵者オイディプスは自信満々、こう答えた。
「それは人間だ。赤ん坊は四つん這い、やがて二本足で立ち、老いると杖をつく。参ったか」
「残念、外れです」
「そんなはずはない。ならば、正解を明かしてみよ」
「答は運動会」
「なにッ!?」
「騎馬戦、徒競走、二人三脚」
「バカな! その謎は、デルポイの神殿に掲げられている〈汝自身を知れ〉という哲学的警句より発した…」
「関係ありませーん。これは、ただの頓知問題」
「ま、待ってくれッ。それじゃあ、話が違う」
しかし、スフィンクスはオイディプスの抗弁に耳を貸さず、あっさり彼を喰い殺した。 |
|
―――⑥―――
『お久しぶり』
こんな夢を見た。
友人宅で開かれたホームパーティの席上、久しぶりに昔の女友達と顔を合わせた。
「最近、会ってないね」
「ほんと、何年ぶりかしら」
懐かしさで話が弾み、杯を重ねるうち、どちらからともなく、二人きりになりたい気分が芽生え、手をつないで階上へ。
無人の寝室を見つけ、こっそり中へ入って、ベッドに腰を下ろす。さて…どうしよう。キスには早過ぎる。
すると、間の悪さを察した彼女が、「飲み物をとってくるわね」と立ち上がり、部屋を出ていった。そこで、思い出した。
そうだ! 彼女は、もう何年も前に事故で他界していたんだっけ。どうりで、長いこと会えなかったわけだ。 |
|
―――⑦―――
『ハンティング・エリア』
こんな話を聞いた。
友人が冬の北海道へ狩猟に行った。危険なヒグマの猟区を避けてエゾシカの猟区へ入ったのだが、どうも背後に気配を感じる。
そこで引き返してみると、巨大な熊の足跡が自分の足跡を踏んでいる。つまり、尾行されているのだ。
熊の姿は見えないものの、ヒグマは利口な獣で、追跡に気付かれると、いったん後退りして行方をくらまし、獲物の前方へ回り込んだりもするという。
恐怖に駆られた友人は、大声で軍歌をがなりながら近くの猟小屋へ逃げ戻り、ストーブにあたっていた地元の猟師に訴えた。
「鹿の猟区に熊が入り込んでますよッ」
猟師は、ふーんと鼻の穴からタバコの煙を吹き出し、答えたそうな。
「熊は立て札読めんからねえ」 |
|
―――⑧―――
『アレ』
「おい、アレ取ってくれ」
結婚二十八年目。たいていの“アレ”は即座に見当がつく。
休日の夕食前。風呂上がりの夫は、片手にスポーツ新聞、枝豆をツマミにビールを飲みながら、野球中継を観戦中。
そんな夫が、今、取って欲しいアレとは?
しかし、訊き返すのもアレだ。
「ちょっと待って」
答えておいて、アレを探す。
昔は灰皿だったが、禁煙して三年。足のツメは、今朝、切ったばかり。耳掻きなら卓上のペン立てに入っている。ビールも残っているし…。
「おい、アレ!」
「はいはい、すぐに」
だが、分からない。苛立ちが募る。なんなのよ、いったい!?
包丁を握る指の関節が白くなった。
「おい!」
「うるさいわね! アレって、コレのことッ」 |
|
―――⑨―――
『おい、おい!』
朝食の準備をしていたら、つけっぱなしのテレビから、僕の名前が聞こえてきた。
驚いて目をやると、僕の顔写真が大写しになっている。え…なんで?
急いでボリュームを上げたが、その前に画面が切り替わり、アナウンサーは次の話題へ移ってしまった。
なんだったんだ? 気にしつつも食事を終え、外出すると、通りがかりの人たちが、僕の顔をチラチラ盗み見ては声をひそめ、なにやら、しきりに噂し合っているようである。
そんな!
慌てて家へ駆けもどり、テレビにかじりついた。あちこち、チャンネルを変え続るが、それきり、僕を取り上げる番組にぶつからない。
不安だけが、ますます膨らむ。いったい、どうすりゃいいんだ? |
|
―――⑩―――
『出生の秘密』
「赤ちゃんは、どうやって生まれるの?」
姫の質問に、王は顔をしかめ、王妃を見やった。
「それはね、姫がもう少し大きくなれば自然に分かることよ」
「あたし、もう子供じゃない。神様が運んできたんじゃないことくらい知ってるわ」
「うむ」
王が頷き、続けた。
「いつの間にか、そんな年頃になっていたんだな。よろしい。では、聞きなさい」
そして、王は語りはじめた。
二人のなれそめから、熱愛、結婚。
「わたしたちは深く愛し合っていた。そこで、王妃が産んだ卵に、私が…」
「つまり、胎生じゃなく卵生なのね」
姫の尾の先が、神経質に震えた。
「じゃあ、あたしたちには、人間のような愉しみが許されていないのね」
失望の余り、人魚姫は泣き崩れた。 |
|
―――⑪―――
『タクシー稼業☆雨夜の客』
「はい、どうぞ。よろしければドア閉めます。
ひどい雨で、お足元大変だったでしょ。え? 足は濡れてない。それじゃ、まるで幽霊だ、はは…あれ? そうなんですか?
ふーん…ちょっと困るんですよねえ。一応、幽霊さんのご乗車はお断りすることにしてまして。だって、幽霊だけに“おアシ”がない、なんてね。わッ… 脅かさないで。わたし心臓が弱いんですよ。
分かりました。お送りしますから…その先を右ですか。でも、霊園は反対側ですよ。
あ、なるほど。帰るんじゃなくて、これから化けて出るところ…そうですか。
こんな夜に“うらめしや~”なんてやられちゃあ、先方も震え上がるでしょうなあ。
はい、着きました。お足元、気をつけて」 |
|
―――⑫―――
『宇宙親善』
あなたを信頼できる方と見込んで打ち明けますがね、実は、私、宇宙人なんです。
この星の数え方で三年ほど前、銀河連盟の仕事で任地へ向かう途中、搭乗していた単座の超光速艇が故障して地球に不時着。
衝撃で艇はメチャクチャ、破壊を免れた順応装置で地球人に姿を変え、今まで生き延びてきたんですが、脱出の方法が見つからないんです。
通信機さえ修理できれば救難信号を出せるんですが……その費用が三百万円ほど必要で……いえ、全額とは言いません。
せめて十万…無理なら三万でも一万でも大丈夫です。救助隊が到着した暁には、利子を十割上乗せして返済しますから。どうでしょう? お願いできませんか?
宇宙親善のために、あなたも一口。 |
|
―――⑬―――
『まいったなあ』
目を覚ましたら、金曜になっていた。 |