季語道楽⑺ 藤は咲いたか菖蒲はまだかいな 坂崎重盛
ゴールデンウィークのはざまの五月一日、浅草に向かった。用件が三つほどあったので。
ひとつは、伝法院通りに店を張っているアンチック時計屋さんに行くこと。ここで手に入れた金(ピカの)腕時計のリューズがダメになってしまったので、修理のお願い。
もうひとつは、他ならぬ、その伝法院。ここの庭が、今、この時期、公開されているのです。伝法院の庭は、小堀遠州の作とされているが、一般の入園は不可。
江戸・大名庭園と明治の高官、財閥の庭を巡るのをテーマのひとつとしているので、この伝法院の庭も見たかったのですが機会にめぐまれず、しかたなく、いままでは、この庭に隣り合った伝法院通りにある鎮護堂(「お狸様」と呼ばれる)から金柵ごしに庭の一部をのぞいていたのです。
それが浅草寺の絵馬の展示とともに公開されると知ったので、雲行きあやしい空模様ではあったのでしたが、(この機会を逃がしてなるものか)と勇躍、神楽坂の酒舗の若主人時岡氏と浅草行きとなったのです。
そうそうもうひとつ、それは藤見です。「ふじみ」といえば一般には「富士見(西行)」でしょうが、ぼくは藤を見に行くのです。「藤見(重盛)」という塩梅(あんばい)。
(東京の下町で藤を見るのなら亀戸天神でしょう)だって? もちろん、いいですね、亀戸天神の藤。なにせ歌川(安藤)広重の「名所・江戸百景」や明治石版名所絵にも多く描かれ、今日に至る人気スポット。名物の「船橋屋」のくず餅も懐かしいし。
しかし、藤は亀戸天神ばかりではない。浅草には、銭湯「曙湯」の豪勢な藤棚があるし、また(これが今回のお目当てのひとつ)、場外馬券場「WINS」近く、強烈に戦後遺産的気配濃厚な呑み屋横丁「初音小路」の藤棚をチェックしたかったのです。
で、その「初音小路」の藤ですが、今年は春の到来が遅かったためか、まだ、二、三分の咲き。ところどころに、チラリ、ホラリと一〇〜二〇せんちほどの花房が垂れている。
今週の土曜日、五月五日は「立夏」。夏の到来です。ところが、われわれ日常生活での四季感覚では、三、四、五月が「春」。つまり五月中は「春」でいいことになります。
句を読むときに、いつも気になるのは、この旧暦(陰暦)と太陽暦の差。ぼくなどは、藤が咲いたら、もう夏、ですね。相撲の五月場所(前は夏場所といった。初夏の爽やかな風にのぼりがはためく光景は、なんたって夏の風物詩)も、三社祭も、この五月。
三社祭で「春」を連想する人は、まず、いないでしょう。ふんどし姿の兄(あに)さんが「ソイヤ! ソイヤ!」(前は、ワッショイ! ワッショイ! だったのに)と御輿(おみこし)をかつぐのは、「夏」に決まっているでしょう。
そういえば、「三社祭のうちの一日は、必ず、ザッと驟雨(にわか雨)が来る」と言ったのは、東京恋慕の人、安藤鶴夫だったかしら。
とにかく、この五月という月、句をつくるときに、季語の扱いに悩ましいことがある。でも、ぼくは敢えて、そのへんはあまり気にしないことにしています。季語を知り、楽しむことはあっても、季語に縛られ、季語にわずらわされてしまっては、それこそ俳諧の精神から遠いものになってしまうではありませんか。
ということで、この稿を書いている時点では藤の花の見頃は少し先、(ほんのちょとですが)「春」の季語のおさらいをしておこう。
まずは「動物」関連で気になる季語。
「仔馬」「落しつの(おとしづの)」「忘れ角(わすれづの)」「猫の恋」「猫の妻」「仔猫」「猫の親」──哺乳類です。
ただの「仔馬」が春の季語とは気づかなかった人もいたのでは。「落し角」は四月頃、鹿の角が落ち替わること。この季節の鹿はかなりナーバスになっているという。「猫の恋」「恋猫」は句を作る人が最初に憶える季語のひとつですが「仔猫」や「猫の子」「猫の親」もまた、春の季語なのですね。
では、ぼくの好きな例句を掲げます。
微風にも仔馬の聡き耳二つ 柴田白葉女
うれしくてならぬ馬の子ひょいと跳(は)ね 栗生純生
恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく 加藤楸邨
猫の子の紙屑籠に潜りけり 坪谷水哉
「蝌蚪」(くわと・おたまじゃくし)「亀鳴く」「鶯」「燕」「雀の子」「鳥の巣」が両生類、爬虫類、鳥類関連。
季語には中国語由来の言葉も多い。お玉杓子のことをいう「蝌蚪」もそのひとつ。「亀鳴く」もよく知られる春の季語だが、本当に鳴くという人もいる。聴いたことがないという人もいる。その虚実を楽しみたい。
「鶯」は春を代表する鳥だが「匂い鳥」「春告鳥」の異名がある。「人情本」の為永春水の作品に「春告鳥」というタイトルの作品がありましたね。
ちなみに「笹鳴き」とは冬にチャッ、チャッと鳴く鶯、夏の鶯は「老鶯」(ろうおう)という。
また、ナイチンゲール(人の名の方ではなくて)は「夜の鶯」「ヨナキウグイス」などと呼ばれますが、これはツグミに近い種とのこと。
「燕」は「つばくろ」「つばくら」「つばくらめ」ともいい、また「乙鳥」「玄鳥」とも記す。
鳥関連では他に「雀の子」「鳥の巣」が春の季語。では、例句の紹介。
巡礼の如くに蝌蚪の列進む 野見・朱烏
裏がへる亀思ふべし鳴けるなり 石川桂郎
手ぐすねひき人を待ちおり亀鳴けり 水沢龍生
うぐいすの身をさかさまに初音かな 其 角
うぐいすや柳のうしろ薮のまへ 芭 蕉
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る 一 茶
雀の子一尺とんでひとつとや 長谷川双魚
目白の巣我一人知る他に告げず 松本たかし
では虫の類。
「蝶」といえば春、しかし「揚羽蝶」となれば夏の季語。「蚊」や「蝿」「蝉」は夏だが、「春の」とつけば当然、春の季語となる。
「虻」、「蚕(かひこ)」も春の季語。春の季語といえば地方色のあるのが「雪虫(ゆきむし)」。これは春は春でも早春、しかも北国の。積もった雪の上にたくさんの小さな虫が動きまわる。これらは、渓流のカワゲラ類が羽化したものの総称。
季節感が逆戻りしました。春の魚類と、海産物系にゆきましょう。ほとんどお寿司屋さんのメニューを見ている気分。うれしいので列記します。
「桜鯛(さくらだひ)・花見鯛」「鰊(にしん)」「鰆(さわら)」「鱵(さより)細魚,針魚、竹魚」、白魚、「諸子(もろこ)」、「鱒(ます)」「石斑魚(うぐひ)、桜鯎」「公魚(わかさぎ)、桜魚」「鮠(はや)」「飯蛸(いいだこ)」「蛍烏賊(ほたるいか・まついか)」「蛤(はまぐり)」「栄螺(さざえ・つぶ)」「桜貝、日紅貝」「蜆(しじみ)」「蜷(にな)」「田螺(たにし)」「寄居虫(やどかり・がうな)」「望潮・潮招(しおまねき)」「磯巾着・石牡丹(いそぎんちゃく)」「海胆・雲丹(うに)」「鮊子(いかなご・かますご)」「子持沙魚(こもちはぜ)」「鯥五郎(むつごろう)」──なんか、いいですね。食欲の春です。
さて、春の植物ですが、すでに大幅にスペースオーバー。タイトルに偽りあり、春の植物はまたの機会に。で、次号はいよいよ「夏」。