“11月27日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
*1895年 ダイナマイトの発明で巨万の富を得たアルフレッド・ノーベルが遺言状に署名した。
「私のすべての換金可能な財産は次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子をもって前年に人類のために最も大きな貢献をした人々に分配されるものとする」と書かれていた。
兵器会社を起こして成功したノーベルは「ダイナマイト王」と呼ばれた。使途は産業用だけでなく戦争兵器にも使われたことでさまざまな評価がつきまとった。1888年に兄が死去したさいには本人と間違った新聞が「死の商人、死す」と報じたこともあった。化学者のノーベルは持病の心臓病が悪化して医者から治療のためにニトロを勧められたが副作用の怖さを知っていたからか拒否した。生涯独身だったこともあって死を予見して遺言状を自筆でしたためるにあたっては<死後の評価>を当然、気にしていたはず。そこには基金の利息によって使うべき分野として科学技術、文学、平和など5部門をあげられていた。
翌年12月7日に地中海に面したイタリアのサンレモで脳溢血のため倒れ3日後の10日に63歳で亡くなった。富豪の例にもれず死後は親族から財産分与の裁判を起こされた。しかし遺書に基づき創設されたノーベル財団がその遺志を守りノーベルの命日にあたる1901年12月10日に初めての授与式を行った。それが「ノーベル賞」として知られるようになったのは後年になってからだ。
*1549=天文18年 松平竹千代が人質になった。
幼名で紹介してもピンと来ないかもしれないが後の徳川家康である。父・松平広忠は従っていた有力守護大名の今川氏に忠誠を示すために6歳の竹千代を差し出す。ところが今川氏へ送られる途中、家臣の裏切りにより今川氏と対立する戦国大名の織田氏へ。ここで数年過ごした後<人質交換>であらためて今川氏のもとへ送られる。そこでさらに数年間、忍従の日々を重ねた。
いつ殺されてもおかしくない人質の日々、8歳の時に父の広忠も家臣の謀反により殺された。今川氏の本拠は駿府(静岡)、そこで元服して名を次郎三郎元信と改め、さらに蔵人佐元康と代える。この時代に禅僧・太原雪斎(たいげんせっさい)から学問を学び、後の家康という人格ができたとされる。やがて今川義元は桶狭間の戦いで織田信長に討たれ、信長と同盟を結んだ翌年の1563=永禄6年に20歳で松平家康になる。徳川に改姓するのはそのまた4年後である。
よく知られた話に遺訓とされる「人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくがごとし」は偽書である可能性が高いとされる。そうかもしれない。<それらしい>と思えることはやっぱり疑ってかからなければ。
*1909=明治42年 新劇運動の端緒を開いた自由劇場が東京・有楽座で初公演した。
作家の小山内薫と歌舞伎の市川左團次(二代目)がヨーロッパの自由劇場をモデルに会員制で立ち上げた。初演はイプセンの『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』4幕で森林太郎=森鷗外が翻訳を頼まれた。小山内だけでなく誰も実際にその舞台を見たことがなかったのでまったくの手探り、ヨーロッパ帰りの演劇好きを探し出して舞台のスケッチを描いてもらい、台詞や細かいしぐさ、演出のしかたなどを聞いて研究した。
主役で元銀行頭取のボルクマンを左團次、息子役や元恋人役に歌舞伎仲間や女優が動員された。物語はある冬の夜に都に近い別荘から始まる。
第1幕:夫人の部屋。家財は昔富裕なりしものの落ちぶれたる面影を存す。開きをる引戸より庭園に臨める部屋、この部屋は奥に窓と硝子戸とあり。窓と硝子戸との向こうに庭園見ゆ。薄明かりにて庭園に雪降るを見る。右の壁に玄関よりの入口の戸あり。その前に大いなる古き暖炉に火を焚き・・・と情景設定が延々と続くから何度も図面を引き直して舞台をどうするかを考えたのでしょう。
一介の鉱夫の子として生まれたボルクマンは実業家として立身出世し、銀行頭取にまでなるが国中の鉱山を発掘して産業界を掌握し栄光と権力を手に入れようとする。ところがその矢先、心を許していた弁護士に不正融資を告発されて8年の実刑を受けてしまう。出獄後は息子の別荘の一室に閉じこもって老残の身を潜めている。そこに元恋人でこの弁護士の妻が現れて<事件>が展開するわけです。どんな事件かは書かないがつまり人生の機微、人間はどう生きるべきかが生々しく描かれています。
小山内は開演に当たり「目的は生きたいからであります」と創設の言葉を述べた。それは演劇を通じて<生きることの意味>を追求していくという宣言でもあった。鷗外も『青年』に初演の様子をくわしく残している。以後、自由劇場は前後してできた坪内逍遥の文芸協会とともに新劇運動の<はしり>になり当時の知識人に新鮮な刺激を与えていく。
この年、東京の自動車保有者は47人、婦人の「防寒用都腰巻」、歌では『自転車節』『ハイカラ節』が流行して「石油コンロ」「改良かまど」の広告があらわれた。