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池内 紀の旅みやげ (5)元黒磯銀行──栃木県黒磯

東北本線黒磯駅は途中下車したい駅である。東北新幹線の那須塩原駅が一つ東京寄りにできてお株を奪われたが、もともとこちらが那須高原や塩原温泉の玄関口だった。駅前のたたずまいからして、ゆったりして落ち着きがあり、町並みに風格がそなわっている。

とっかかりの右が老舗温泉饅頭(まんじゅう)の店。せいろからさかんに湯気が吹き上げていて、やわらかな、やさしい匂いが漂ってくる。向いは黒壁、黒板の重厚なつくりで、わきに「商会」の看板が見える。たしかお隣りの角だったと思うが、若かったころ那須岳に登りにきたとき、「煙草屋(たばこや)旅館」という珍しい名前の宿が目にとまった。タバコの害など誰も言ったりしなかったころで、安タバコをプカプカやりながら、しばらくガラス戸の前に佇んでいた。

元黒磯銀行の重厚なファサード

元黒磯銀行の重厚なファサード

通りを少し行くと、造り酒屋の立派な塀が見える。それを合図に左に曲がって二軒目、優雅な石造りの建物が、わが途中下車のお目当てである。

栃木産の大谷石をテラコッタのように組み合わせ、正面上部に半円のアーチをとって、「黒」をかたどったマークをレリーフにした。マークを囲み、THE KUROISO BANK LTD——クロイソ・バンクとは何であるか?

玄関わきのシュロの木の根かたに小さな説明板がある。大正五年(一九一六)、当地の金融センターとして誕生した黒磯銀行だという。ほかに何も書いてないので推測するしかないのだが、昭和二年(一九二七)、世界恐慌が始まり日本全国で銀行がバタバタつぶれた。もしかすると時代の大波をくらい、黒磯銀行も業務停止に追い込まれたのかも知れない。とすると実働九年。それかあらぬか建物が手あかに汚れていなくて、いまもって初々しい。

現在はカフェ・ド・グラン・ボワ。「大きな森」の意味。優雅な石組みの入り口が魔法の森に誘う具合だ。とてもすてきなレストランである。元銀行そのままの内部で、天井が高く、全体がくすんだ白一色。古風な丸い大時計が時を刻んでいる。プロペラ式の扇風機が換気装置の役回りでゆっくり廻っている。天井の電燈、隅の大きなスタンドが貴婦人のスカートのような笠をつけている。板張りの床が歩くとかすかに音を立てる。

何年おきかに立ち寄るたびに、オムライスにコーヒーとアイスクリーム。別にきめているわけではないが、一歩入ると、なぜかオムライスが食べたくなり、コーヒーに加えてアイスクリームが欲しくなるのだ。

いつも何年かぶりかだから、もしかして店がなくなっていやしないか、いつも一抹の不安とともに角を曲がるのだが、とたんに優雅な建物と看板が目にとびこんできて、森の看板が手招きしている。久しぶりに恋人とデイトをするここちになる。いかなる人が経営しているのかしらないが、かつてのたたずまいから用具調度一切を変えないでつづけているところよりして、よほどしっかりした考えのある人なのだろう。夜のメニューにワインがいくつかあげてるが、こんなに安くて大丈夫なのかと、こちらが心配になる。

駅の東かたを那珂川(なかがわ)が流れている。那須岳を水源にして広大な那須野をゆっくりと横切り、那珂湊で太平洋岸にそそぐ。水量ゆたかな大河である。

この川の周辺はタバコの生産で知られてきた。那須火山帯のつくった扇状地で、水が伏流して米づくりができない。江戸のころタバコが渡来した時、痩せ地でもつくれる作物として導入され、当地の貴重な産業になった。季節がくると、タバコ商人がやってきて値踏みや買い付けをしたのだろう。専売制になってからは公社の役人が出張してくる。そんなお客をあてこんで「煙草屋旅館」が生まれたものか。

駅の西にひろがる那須野が原の開拓にあたっては、大山巌、松方正義、青木周蔵、山縣有朋など「維新の元勲」といわれた人たちが出資して腕を振るった。それぞれが別邸を建て、おりおり検分にやってきた。いくつかが残っているが、精一杯ヨーロッパの貴族をマネたような木造洋館スタイルがほほえましい。

とすると駅前の黒壁・黒板のナゾめいた商会は、タバコ栽培の資金や貸し付け、また元勲たちの開拓地の雑務や仲介をしてきたのかもしれない。資金面を受け持ったのが黒磯銀行だとすると、世界恐慌をしのぎきって、戦後もお役をつとめていたものか……。

寄り道組は用がないので、コーヒーをのみアイスクリームを食べ終わったあとなど、品よくつつましい明かりの下で、あれこれあらぬことを考えている。

【アクセス:本文はじめに述べたとおり】

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