1. HOME
  2. ブログ
  3. “3月6日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

“3月6日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1836年  アメリカ・テキサスの「アラモ砦」が陥落した。

総攻撃をかけたのはメキシコの大統領でもあったサンタ・アナ将軍率いるメキシコ軍数千人で、砦に立てこもるテキサス分離独立派の義勇軍守備隊187人全員が戦死した。ただし「生存者なし」は確かだが砦の陥落後に遺体を含めてすべてに火がかけられたので死者は183人から600人まで諸説ある。メキシコ軍側も250人から400人まであり「戦果」か「払った犠牲」の別はあるとしても<誇張されるほど多くの命>が失われた。

アラモはスペイン語でポプラと同じヤナギ科のハコヤナギの意。一帯は「ハコヤナギが生い茂る荒れた土地」でスペインのキリスト教伝道所跡に19世紀初頭、スペイン軍の騎兵隊が砦を築いた。スペイン撤退後はメキシコが支配していたがメキシコからの分離独立をめざす住民が蜂起した。

これにテネシー出身の元下員議員デイビッド(=愛称:デヴィ)・クロケットらが加わり、13日間に及ぶ「アラモの戦い」を繰り広げた。守備隊長でナイフの名手とされたジェームズ・ボウイ大佐は結核を病んでいたので弁護士出身で新任のウイリアム・トラビス中佐が実質の指揮をとった。命中率は悪いが破壊力の大きい大砲などの装備はともかく、圧倒的な人数のメキシコ軍を相手に戦況は思わしくなく、トラヴィスはできたばかりのテキサス暫定政府に再三、援軍を求めたが「現在、兵を募集中」と断られて総攻撃の朝を迎えた。

地平線を埋めつくしたメキシコ軍は夜明け前の午前5時から4部隊に分かれて攻撃、早くも6時半には決着がついたと伝えられる。議論はあるが死んだ順に、トラヴィス中佐は開戦直後の砲撃弾で、ボウイ大佐はベッド伏せっていたところを射殺され、クロケットは何人かを相手に奮戦中に撃たれた。

テキサス暫定政府を<できたばかりの>と紹介したが、「アラモの戦い」最中の3月2日に<宣言>だけがまず先行していたから。メキシコ軍との戦いはその後も各地で続いたが、テキサス軍の合言葉が「アラモを忘れるな!」だったのは皮肉だ。4月21日、サン・ハチントでサンタ・アナ将軍が捕虜になり自分の命と引き換えにテキサスの独立を承認したことでテキサス共和国が成立した。

ところでわれわれ日本人にとって「アラモ砦」や「アラモの戦い」は、西部劇の大スターのジョン・ウエインが私財をなげうって作ったスペクタル西部劇『アラモ』やのちの『アラモ2』など映画のほうでなじみ深い。ジョン・ウエインは1960年の映画で製作・監督・主演をつとめ、主題歌「遥かなるアラモ(The Green Leaves Of Summer)」は翌年の洋楽ヒットチャートの第1位になった。

映画ではローレンス・ハ―ヴェイ演じるトラヴィス中佐が、砂の上に自分のサーベルで線を引き、馳せ参じた義勇兵たちに「この砦に最後まで残り命を捨てても構わないと思う者だけがこちらに来い」という場面や、総攻撃を前に砦にいた女性や子供たちをメキシコ軍が外に出ることを認めるシーンなどがある。それが実際にあったかどうかはともかくジョン・ウエインが演じたのは主役のデヴィ・クロケットだった。

ついでにいうとこの映画はなんと199分もの<超大作>で、内容よりもお尻が痛かったのと主題歌がずっと耳に残っていた記憶がある。

「アラモ砦・アラモ伝道所」は復元され、現在は国の歴史建造物としてテキサス州サンアントニオ市の観光名所になっている。

*1948=昭和23年  文壇の大御所・菊池寛が東京の自宅書斎で狭心症のため死亡した。59歳。

学生時代に久米正雄や芥川龍之介らと「新思潮」を興し『恩讐の彼方に』『真珠夫人』などの小説や『父帰る』などの戯曲を残した。文藝春秋社を創設、芥川賞、直木賞を設けて作家の社会的地位を確立するなど文芸の普及に大きな功績を残した。出版だけでなく実業家としても活躍、戦中・戦後にかけては映画会社「大映」の社長もつとめた。

本名も同じ菊池寛だが読みは「ひろし」で筆名が「かん」。名前のほうはさほどでもなかったが名字を<菊地>と間違えると機嫌を損ねて<口きかん=寛>は有名。好きな将棋にたとえ「人生は一局の将棋なり、指し直す能わず」とか、競馬の馬主としては「無事これ名馬」が口ぐせだったなど多くの逸話があるが「告別式の当日会場に張り出すべし」として次の遺書を残した。

「私はさせる才分無くして文名を成し、一生を大過なく暮らしました。多幸だったと思います。死去に際し、知友及び多年の読者各位に厚く御礼申し上げます。ただ皇国の隆昌を祈るのみ」

護国寺で行われた告別式は久米正雄が葬儀委員長、副委員長を作家の吉川英治と<永田ラッパ>で鳴らした大映社長の永田雅一がつとめ、多磨霊園の墓碑は貧乏時代から面倒を見てもらいノーベル賞作家になった川端康成が揮毫した。<文壇の父>帰らず!

関連記事