1. HOME
  2. ブログ
  3. “3月16日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

“3月16日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1897=明治30年  朝日新聞に「活動大写真」という見出しの記事が掲載された。

「神田錦町の錦輝館にて興業の活動大写真といふは是までにある幻燈画の自然に動くものにして此程より浅草花屋敷に於て観せ居る活動写真の巨大なるものなり。是は万物の活動するものを廻転機械を以て永く写し取りたる新発明の由。画は観客の居る中央の場所より舞台に垂れたる白布へ当て写すものなり」

あらましおわかりになるだろうがポイントを現代風に訳してみよう。

「錦輝館で始まった<映画>というのは従来の幻燈画のような<静止画>ではなく自然に動き、浅草花屋敷のよりさらに大きな画面である。動くものを<撮影機>でとった新発明だそうで客席の中央から舞台の白い<スクリーン>に映します」くらいか。

ウーン、イマイチだから早稲田大学在学中にわが国最初の新語辞典『新しい言葉の字引』(実業之日本社、1917)を発表した植原路郎の『明治語典』(桃源選書)で「活動写真」を引いてみます。

明治26年から27年にかけてのころ、米・仏・英・独で映写幕に放映する動く写真の発明に熱中していたが、わが国へは米・仏両国から、ほとんど同時に写真が動いて映るという世紀の怪物が到来した。自働幻画、活動幻灯などと言ったが「活動写真」に納まった。
(中略)
米国のムイブリッジがカメラ24台を並べて馬を早取撮影して以来、動く写真、しかもそれを映写幕の上に放映しようという試みが発明者たちを刺激した。米国ではワシントン府庁の速記者ジェンキンスのあとを受けてエジソンが大成した。名づけてバイタスコープ。

活動写真もそうだが映写幕、バイタスコープもいまや完全に「死語」ですな。
ま、気を取り直してついでにどんな内容だったのかを紹介すると

「ナイヤガラの瀑布の下を蒸汽船の走る図」、「火罪(ひあぶり)の刑場を劇場(しばい)にて演ぜしもの、同じく断頭台の刑場」、「大蒸汽船の運転」、「大統領の選挙騒ぎ」、「李鴻章の馬車に乗る所」、「水撒の図」、「波止場の波打際に犬の遊ぶ図」、「農家にて飼養の鳩に餌を蒔くに鳩の群れ立つ所」、「練兵場に近衛兵の調練」、「豆の如き人物の漸々(ようよう)近付きて馬乗の兵士の目前に来る所」、「西洋婦人の胡蝶の舞に腰に纏ひたる衣の種々に色の変わる所」など何れも妙。

たとえ芝居にしても刑場の火あぶりだの断頭台は見たくはないが、蒸気船は煙突の煙や旗もなびいて見えるとか、水撒きのシーンがもっとも面白いとかの紹介もある。

鳩の群れが飛び立ったり、豆粒のような人物がそばに来たら馬に乗った騎兵だったとかさえ映像で見られるというのが当時の人々にとっては驚くべきことだったようで料金が紹介されていないのがちょっと残念。

今回の興業は、昼の分午後一時より。夜の分七時より開場なり。一寸目新しきものなれば三時間を費して先一度は往てごらうじろ。

「往てごらうじろ」は当時の記事の<決まり文句>で「一度ご覧になってはいかが」くらいの意味だが、興業自体はなかなか好評だったようで、27日には「着色入活動大冩眞」という錦輝館の広告が「本日より1週間」「毎夜二回興業」に変更されて掲載されている。

*1966=昭和41年  国鉄総裁の石田礼助のツルの一声で「切符持たせ切り禁止通達」が出された。

きっかけは石田総裁の「お客様に持たせたままで切るなんて失礼千万、即刻やめなさい」というものだったが新聞各紙は「5日からの運賃大幅値上げへのささやかなお返し?」とからかった。いまにして思えば「持たせ切り」とはいえ駅員サンがいちいち硬券の切符を切ってくれた懐かしい時代ではある。

「こうけん=硬券」と入力しても一発変換できなかったのでこちらも「死語」でしょう。

*1905=明治38年  シカゴの摩天楼の屋上で永井荷風は「漠然たる恐怖に打たれた」と書く。

『あめりか物語』の「市俄古=シカゴの二日」に16・17日の見聞記を書いた。エレベーターに乗って20階近い屋上から下を見たら人が親指ほどに見えた。27歳の青年が異郷の大都会で感じた体験を素直に残した。

新しいものには目のなかった荷風先生、好きだった浅草の対岸にニョッキリと建った東京スカイツリーに昇ったら何と言うだろう。

関連記事