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“3月27日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1945年  ロンドン市民を恐怖のどん底に陥れたドイツの「V2号ロケット」攻撃が終わった。

この日から市民は「枕を高くして眠れる」記念の日となった。
第二次世界大戦末期にドイツが開発したV2号ロケットは、世界初の軍事用弾道ミサイルでマッハ4=音速の4倍の飛行性能を誇った。これに爆弾を搭載した「V2兵器」は前年9月8日からドーバー海峡を飛び越してロンドン市街地を直撃、市民は恐怖に震えあがった。

この日、連合軍により地下の秘密工場の爆破が成功。さしものV2兵器も完全に沈黙した。ドイツが降伏したのはこの41日後だ。

*1689=元禄2年  松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の第一歩を踏み出した。

未明に江戸・深川の家を出て大川=隅田川を舟でさかのぼり昼前に千住に着いた。ここでたくさんの見送り人に別れを告げた。

  行春や鳥啼魚の目は泪 (ゆくはるやとりなきうおのめはなみだ)

深川六軒堀の住まいも人に譲り、前途三千里の旅のいでたちは、旅寝の夜の防寒具として紙衣(かみこ)一枚、浴衣、雨具、墨や筆のたぐいに義理ある人からの断りきれない餞別が荷物として重くなってしまったと『奥の細道』に書いた。芭蕉45歳、門人の河合曽良が同行した。

芭蕉といえば<漂泊の旅>という印象をお持ちかもしれないが、みちのく、越後、越中、越前への行脚は、お供の曽良と先々で「俳諧興行」をしながらの旅だったわけで<風流人>というよりはなかなかの<商売人>でもありました。

*1845年  X線を発見したレントゲンがドイツに生まれた。

ドイツ人の織物商の父とオランダ人の母親との一人息子で3歳の時にオランダに移住した。ドイツ・ヴュルツブルグ大学の教授時代に助手で6歳年上のアンナと結婚した。

実験に没頭して2か月も家に戻らなかった夫を心配して実験室を訪ねた妻にノーベルは言った。
「ベルタ、その手を印画紙の上に置いてごらん」
はじめて撮った人体のX線写真には結婚指輪と手の骨がくっきり写っているからもちろん左手。

当初はよくわからないが<何か見えない光>であるということで未知数を表すXから「X線」と名付けた。この功績により1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞したが、彼の偉大さは「科学の発展は万人に寄与すべきである」という考えを貫いたところだろう。特許などによって経済的利益を一切得なかったばかりかノーベル賞の賞金はすべてヴュルツブルグ大学に寄贈した。

*1241=仁治2年  鎌倉の大仏殿の上棟式が行われた。

大仏はご存じ長谷の高徳院にある「鎌倉大仏」で「長谷の大仏」とも呼ばれている。現在は大仏を覆う建物はないが当時は奈良大仏と同じように大仏殿が存在したわけで2年がかりで完成した記録があるが大風=台風や地震による津波で倒壊して再建されなかった。

与謝野晶子に
  鎌倉やみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな

の歌がある国宝大仏は数ある大仏のなかでも<男前の大仏>としてつとに有名である。

阿弥陀如来座像で高さは11.39メートル、台座を含めると13.35メートルで重量は121トンにのぼるという。猫背ぎみの姿や身体に比べて頭部が大きい点など鎌倉期に流行した「宋風」の特色を示しており鋳造には中国・宋から大量に輸入された宋銭が使われたらしく右頬にわずかに残る金箔から創建時には全体が金箔で覆われていたらしい。

「金色に輝いていた」などと聞くとすごい眺めだったのでしょうねえ。しかし像が建てられた記録や寺の由緒は失われているため正確な完成時期などは分からない。

ところで大仏の重量は半世紀前の1959=昭和34年から3年がかりで行われた修理を兼ねた耐震補強工事の際、ジャッキ23台で55センチ持ち上げた際の2回の実測値の平均だとか。そういえば以前、寺を拝観したさいにわざわざ大仏の胎内を見学したことを思い出しました。でも記憶はそこまで。真っ暗ではなかったとは思うけど。

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