“3月29日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
*1867年 「英領北アメリカ法」によってカナダの前身となるカナダ自治領が誕生した。
イギリスの植民地だった北アメリカの諸州のうち、オンタリオ、ケベック、ニュー・ブランズウィック、ノヴァ・スコシアの4植民地がひとつになった。広大な土地を結ぶための鉄道建設が進み、1885年にカナディアンパシフィック鉄道が開通して太平洋側と大西洋側が鉄路でつながった。
だが、イギリスの連邦自治領からさらに「独立国家」となるには英連邦諸国が英国と対等であることを定めた1931年の「ウエストミンスター憲章」を待たねばならなかった。
*1939=昭和14年 詩人の立原道造が肺尖カタルにより24歳8カ月の人生を閉じた。
あの人は日が暮れると
黄色な帯をしめ
村外れの追分け道で
村は落葉松の林に消え
あの人はそのまま
黄いろなゆふすげの花となり
夏はすぎ・・・
高校時代から堀辰雄、室生犀星に師事。東大建築学科時代には杉浦民平らと雑誌『未成年』を創刊するなど早くから詩人をめざした。
卒業後は建築事務所で建築士としても活躍、『萱草(わすれぐさ)に寄す』などを刊行した。当時の第1回中原中也賞を受賞、軽井沢をこよなく愛したことでも知られる。『優しき歌』『暁と夕の詩』などの作品をひとことでいえば<優しい詩風>ということになろうか。
しづかだった一日が
をはらうとする光は
なんとさびしいのだらう
黄ばんだうすい紙のやうに
ふるへながら・・・
入院していた東京・中野の江古田療養所で第1回中原中也賞を受賞したばかりだった。死の直前に見舞いにきた仲間に「5月の風をゼリーにして持ってきてください」と言ったのは有名だが、いかにも才気にあふれた詩人らしい。
師の堀は主宰する『四季』に立原が多く投稿したことから追悼号を出した。
*1602年 オランダ東インド会社が設立された。「VOC」を組み合わせたマークで知られる。
単なる株式会社とは違い、議会にも発言権を持つ商業資本家の重役会「17人会」が実権を握っていた。商業活動だけでなく条約の締結権、軍隊の交戦権、植民地の経営権なども与えられた「海上帝国」として喜望峰以東の権益独占を図った。
おもな交易品目は香辛料や紅茶から陶磁器など。同様の東インド会社はイギリス、スウェーデン、デンマーク、フランスにも作られたがアムステルダムに本拠を置いたオランダが最大の勢力を誇ったので、東インド会社といえばオランダの、となった。長崎・出島のオランダ商館も深いつながりがあったが18世紀末にオランダ政府により解散させられた。
*1905=明治38年 日本におけるはじめての創作歌劇とされる『露営の夢』が上演された。
どこで、というと東京・歌舞伎座。弥生狂言の「中幕」として7代目松本幸四郎が主演して25日間にわたって上演された。
小合奏の伴奏で声楽家と慶応義塾の学生らが<陰の独唱・合唱>を受け持ち、舞台では幸四郎だけが歌い、出演した歌舞伎俳優はせりふをしゃべったという。幸四郎は9代目市川団十郎の門弟として1600回も『勧進帳』の弁慶を演じた。立派な容貌と体格でそれを生かした声量があったが果たして歌声はどうだったのでしょう。翻訳ものや新作物も手がけた進歩的な面が特筆されるからなかなかの舞台だったとは思うけど。
作詞・作曲した北村季晴という人物は東京音楽学校を卒業し、三越呉服店音楽部主任を経て長唄などの邦楽を五線譜に採譜したことでも知られる。<長野県歌>ともいわれる『信濃の国』や第1回の宝塚歌劇の『どんぶらこ』を作ったといえば、あああの、と思いだされる方もあろう。