“3月31日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
「年度末最後の日」に、わが国を揺るがす2つの大事件が起きた。
*1963=昭和38年 「吉展ちゃん誘拐事件」が起きた。
この日夕方、東京・入谷の公園で遊んでいた男児が行方不明になった。近所の工務店経営者の長男で4歳の村越吉展ちゃんだった。警視庁は極秘捜査をしたが発見できず「誘拐の線は薄い」として翌日午後、公開捜査に踏み切るがそれから連日のように村越家に身代金要求の電話がかかる。誘拐事件の身代金は、トニー谷長男誘拐=55年7月が200万円、老舗鞄店社長の長男誘拐=60年5月が300万円となっていたにもかかわらずわずか「50万円」だった。
7日に母親が犯人の要求通り、風呂敷に包んだ身代金を指定場所に持って行くが、捜査員の配置ミスから持ち去られてしまう。それからはテレビやラジオで遊び友達が「無事で戻ってきて!」と訴え、録音された<犯人の声>が繰り返し流された。アクセントなどから言語学者の金田一春彦東京外大教授は「東北南部、茨城か栃木、福島の出身者ではないか」と予想した。方言分析、報道協定、声紋鑑定、逆探知などのことばが有名になり事件は<戦後最大の身代金誘拐事件>となっていく。
反面、捜査は難航した。発生から2年が過ぎて捜査本部も解散すると専従班が継続捜査するFBI方式になった。そんななか、別の窃盗事件で前橋刑務所に収監されていた元時計修理工で32歳の小原保が浮かぶ。身柄を東京拘置所に移して取り調べにあたった平塚八兵衛部長刑事が追及するが、ウソ発見器はシロ。しかし都内で起きた大火の目撃など粘り強い追及でアリバイが崩れ最終日になってようやく自供するに至った。<落ちた>のである。隣の荒川区の寺の墓地に埋められていた吉展ちゃんの死体が2年3カ月ぶりに発見された。
小原は金田一の推理通り<福島県出身>で見事に一致、平塚も「落としの八兵衛」としてテレビなどに登場するなど一躍有名になった。刑場に向かう小原が平塚に残したことばは「真人間になって死んでいきます」だったという。
*1970=昭和45年 日本航空の国内便旅客機がハイジャックされる事件が起きた。
午前7時33分ごろ、羽田発板付(現・福岡空港)行の日本航空の351便ボーイング727型「よど号」が、富士山上空でハイジャックされた。赤軍派を名乗る犯行グループ9人は日本刀や拳銃などで“武装”しており北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国の平壌行きを要求したわが国初の航空機ハイジャック事件だった。
板付空港では「燃料が足りない」という機長の説明などで出発を引き延ばす一方、日米韓で対応を緊急協議。ここで幼児や女性、病人ら23人をおろしたあと、午後1時59分に飛び立って<平壌に偽装された>ソウル・金浦空港に向かった。
ここまでで「あとどうなったのか」はあえて省略させていただこうかと。
まあ、そう言わないで、という向きもあろうから、もう少し。
この偽装作戦はあっけなく見破られてしまう。「金日成の写真を持ってこい」と言われたとかいうが、給油の車に石油会社のマークがあったり、広告看板もみえたりで金浦空港がすぐにばれてしまう。残りの乗客と引き換えに<身代わり>の運輸政務次官を乗せて北朝鮮へ。日没後だったが戦時中は<夜間特攻>の教官だった機長の腕でかろうじて平壌郊外の元飛行場に着陸した。
機長や次官のその後の人生も色々あったが『行動学入門』(文藝春秋、1970)での三島由紀夫の事件分析を少し長いが紹介しておきたい。
今度の事件で最も驚くべきことだと思われたのは、犯人によって法律が乗り越えられる状態を大衆がやすやすと認めたこと。その事実が正当であるか、正当でないかを問題にするよりも、いかにしてその事実から抜け出すかが万人の関心になり、ひたすら人命の尊重、ヒューマニズムの理念だけがすべてに優先して考えられた。
すべてはヒューマニズムという一点をめぐる猿芝居であり、日本政府もほんとうは乗客の一人一人の生命、身体の安全を考えるよりは、生命や身体の安全を脅かされた場合の世論の激昂をおそれて行動したことは明らかである。ヒューマニズムはあくまで表看板であって、この事件に関係した人びとがただ一人でもほんとうに乗客の生命を気づかっていたかどうかははなはだ疑わしい。気づかっていたのはその家族だけだと思われる。
ヒューマニズムを逆手に取った赤軍派の行動がある意味で成功したのでもあるし、戦後二十五年間のヒューマニズム万能主義がここで見事なしっぺ返しをくわされた。事件が与えた教訓は、政治的行動というものは法律を乗り越えてもよい、秩序を乗り越えてもよい、体制を乗り越えてもよい。ただ一つ根底的にヒューマニズムを口実にする一点をどこかにとどめておかなければならないという、まことに皮肉な法則である。
<猿芝居>と喝破した作家本人が、あの割腹事件を起こすのは事件のわずか8カ月後、不思議な暗合というか。