“5月20日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
*1506年 探検家コロンブスがカスティーリャ王国バリャドリッドで没した。
コロンブスは知っているけどそれはどこにあるのだといわれそうだから最初に紹介する。スペイン北部、マドリードの北西160キロ。サッカーファンなら元日本代表FWの城彰二が在籍していたリーガ・エスパニョーラの本拠地と言ったほうがわかりやすいか。
1451年にイタリア北部の港町ジェノヴァに生まれた。毛織物を商っていた父親を手伝って船に乗り地中海を回った。23歳でポルトガルのリスボンに移ると25歳の時に修道院のミサで見染めた貴族階級の娘と結婚した。マディラ諸島の没落領主の家系だったが願いがかなったのは航海士、地図製作者としての一応の成功があったからとされる。結婚後は妻の郷里の島へ航海していた縁で西アフリカへの探検航海に加わることになった。すでに「地球球体説」が信じられていたが天文学や地理の研究を続けていたコロンブスはマルコ・ポーロが『東方見聞録』に書いた黄金の国・ジパングに強くあこがれ、大西洋をどこまでも西に行けば辿りつけると信じた。「西回り航海の着想」である。
自分の計画を何度も国王に提案したが認められず、妻を失ったのを機会にスペインに移り王室と契約を結ぶことに成功する。発見した土地すべての終身提督になる権利や、提督領から得られた純益の10%がコロンブスの取り分、しかも相続ができるという欲張りな内容だった。
1回目の航海に出たのが1492年8月、もちろん大西洋を西に「インド」をめざした。10月にバハマ諸島のサン・サルバドル島を発見、続いてキューバ島、東にあるイスパニョーラ島を見つけ、最初の植民地をつくって帰国した。原住民のインディアンから奪った金銀宝石や真珠の10分の一と国王からの賞金も一人占めにした。資金援助してくれたスポンサーには「あなたたちが必要とするありったけの黄金、一人でも多くの奴隷を連れてくるつもりだ」と豪語した。
2回目の航海では私兵を同行して略奪行為がさらにエスカレート、行く先々で黄金のありかを教えなかったインディアンを虐殺、その数は数万人規模になると伝わる。約束の奴隷も連れ帰ったがそれを嫌悪した女王が彼らを送り返し査問される事態にもなった。航海は以後、4回目まで続くが彼らの行状たるや人種的偏見どころではなく残虐さばかりが目立つのでこのくらいにしておく。
ところでコロンブスはアメリカを発見したのか。現在では彼以前にバイキングが持ち込んだとされる鉄釘などが発掘されたことで完全に否定されている。しかも「ここはインドである」と終生勘違いしたままだったことで後に南アメリカ大陸を発見したイタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチの名前から南北大陸名がついた。しかも必ずついて回るのがその悪評。最初に冒険者とだけ書いたが<奴隷商人第1号>からアステカ王国を征服したコルテス、インカ帝国を滅亡に追い込んだピサロなどと並ぶ<コンキスタドール>とも。スペイン語で「征服者」という意味だ。もうひとつ「コロンブスの卵」の話も実は他人の受け売りだとフランスの哲学者で作家のヴォルテールがばらしている。
*1933=昭和8年 日本初の<公営>地下鉄として大阪の梅田―心斎橋間3.1キロが開通した。
ひと足早く昭和2年に開通した東京が民間の東京地下鉄道会社だったのとは対照的に大阪市が事業主体になって計画を進めた。交通局の前身である電気局が担当し、駅の換気には送風装置を導入、ホームへのエスカレーターが設置された。将来の12両編成での運転を見越してホームの天井はアーチドームで高さがありプラットホームも長かった。今の御堂筋線梅田駅などに雰囲気が残る。開業時の100型車両は窓から上がベージュ、下半分がブルーのツートンカラーに塗り分けられてなかなかモダンだった。それが浪速っ子の自慢になり開通に合わせて『大大阪地下鉄小唄』というのがはやりました。大阪人のノリで以下紹介する。
わざわざ<大大阪>でっせ!これがまた調子のいいリズムやさかい「SP盤」聞いて欲しいとこやけど歌詞だけ紹介しときますわ。
一番: 春の花かえ乗場のサイン つい誘われて地下鉄へ ナント結構な乗心地
ニ番: 河の底にもシークな電車 夏は納涼(すずみ)の地下鉄へ ナント結構な乗心地
三番: 秋の嵐も時雨もよそに いつも明るい地下鉄へ ナント結構な乗心地
四番: 帰る夜空の月さえ凍る 寒さ知らずの地下鉄へ ナント結構な乗心地
五番: 恋の通い路北から南 急ぐあう瀬(逢瀬)の地下鉄へ ナント結構な乗心地
六番: 市(まち)の栄は地の中までも 浪花名所の地下鉄へ ナント結構な乗心地
ニ番の「河の底にもシークな電車」というの、フランス語から来た<シックな=上品で落ち着いた>やろな。
大阪はご存じ「水都」と呼ばれるほど川の多い街ですわ。そやから地下鉄より高架がええとえろう揉めたそうで。反対派の急先鋒があの小林一三サン、阪急の。「川の底が抜けたらどないするねん。危険極まりないやないか!」と論陣を張らはったそうです。