“8月20日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
*1926=大正15年 千葉県香取郡久賀村で「鬼熊事件」が発生した。
殺人・放火犯人が山中を40日も逃げ回った事件である。現場は合併していまは多古町、成田国際空港となった旧・三里塚の東に広がる丘陵地帯から連日、事件の進展状況が届いたから首都・東京でも大きな話題になった。
犯人は八日市場の牢獄を出所したばかりの荷車曳きで35歳の岩淵熊治郎。出所祝いの酒を飲んで前日遅く、逮捕のきっかけになった愛人宅に上がり込んだ。ここでも酒を飲んで泊めてくれと頼んだがすげなく断られたのに腹を立て、愛人を庭に引きずり出して割木で撲殺、愛人から聞いた警察に密告した人物の家に石油をまいて放火した。すでに暦が変わっていたが打ち鳴らされた半鐘で駆けつけた消防団員に返り血を浴びた熊治郎は燃える民家を背に「放火犯人は俺だ。一家皆焼き殺してやる。消すじゃねえ」と叫ぶ。それにたじろぎながらも裏口から間一髪で逃げ遅れた家族を救い出した。熊治郎はその直後、愛人の雇い主で彼女をかくまっていた男を刺し殺し、途中で出会った巡査に重傷を負わせて逃げた。
熊治郎はどういう人物だったのか。荷車曳きと書いたが馬車曳きともいい当時の運送業である。義理堅く実直、引き受けた荷物は雨や雪にもめげず約束どおり届けて重宝された。農繁期には手の足りない小作人や病家の手伝いに骨身を惜しまず2日でも3日でも手伝う。米俵2俵を軽々差し上げたから体や足腰は頑健で思い切りのいいさっぱりした男。仲間の顔役でもあり皆からは「熊さん」と親しまれていた。2歳上のカミサンと子供がいたが飲み屋に勤める10歳年下の男好きな女とねんごろになる。すっかりのぼせ上った熊治郎は米や小遣いを与え、佐原などに遠出すると流行の反物などを買って渡す、つまり入れあげたわけです。ところがこの愛人が若い男を引き込んでいるのを見つけて踏み込んだ。男は逃げたが愛人を打ちのめすなど大折檻、いまなら<激DV>をした。その後、愛人がどこかへかくまわれてしまったので仕事を休んで探し回るのに金がかかり、大事な馬を売って費用を捻出しようと二人に声をかけ、手付け金を二重に受け取ったのが詐欺未遂に。それを警察に告げられてとうとう牢につながれてしまったのが3か月前。恋に狂った中年男、すっかり改心したはずだったのが出所のあいさつ回りでふるまわれた「祝い酒」でまたぞろ恋の炎と怨みに火がついた。
警察は県下各警察から応援を求め県警本部長が直接指揮をとるため乗り込んだがその数4千人。消防団や自警団も5千人が集められ、東西4里、南北6里を「大警戒区域」15里四方を「警戒包囲区域」として山狩りが行われ、夜は決死隊が編成されて巡回した。東京からは各新聞社が特派記者や特派写真班を送り込み、針小棒大に書き立てた。<鬼熊>も彼らの命名で逃げ込んだ山林は<密林>から<大密林>になった。山狩りのようすはこうだ。
警察首脳部は三里塚御料牧場の駿馬にまたがり、威風堂々山野を圧する観、約七千余人が周囲十五里を取り巻き、捜索隊はヒタ押しに押して密林、荒野、もろこし畑、谷、藪等を隈なくシラミつぶしに物々しい捜査をやった。警官は抜刀、ピストル携行、草鞋脚絆、刑事と決死隊は印半纏、消防と青年隊は木刀、竹槍、日本刀、猟銃、六尺棒等々、何人も今度こそは熊は捕まると予期した。各新聞報道陣も自転車、自動車、オートバイ、電話、熊の写真などをそれぞれ用意し、本社への速報に固唾を呑んで快報を待つ。
ところが「暁天から午後二時迄の捜査隊の活躍も熊の片影さえつかめなかった。捜査陣は失意、悲嘆、憂愁に閉ざされた。これに反して鬼熊の何という大胆不敵!地方民の不安はますます募る」というカラ振りが続報だった。騒ぎを尻目に熊治郎は神出鬼没、7日には生まれた在所の馬小屋から大鎌(柄の長さ6尺=約2m、刃渡り1尺3寸=43cm)が盗まれる。これを肩に担いでうろつく目撃談も報告される。さらに11日には一人で取り押さえようとした24歳の巡査がこの大鎌で首を斬られて死亡した。
当時、都内を流していた演歌師は『鬼熊狂恋の歌』を作り歌本として売って歩いた。
ああ執念の呪わしや 恋には妻も子も捨てて
やむ由もなき復讐の 名もおそろしや鬼熊と
噂も久し一カ月 空を駆けるか地に伏すか
出沼の里の空くらく 人の心のさわがしや
9月下旬になっても事態はいっこうに進展なし。捜査陣もだが取材陣も疲れ果てた。佐原に通信部がある大新聞や通信社は通信部の<兼任>体制に縮小されていく。そんななか「東京日日」の若手記者の二人は捜索隊に同行していてはダメだと<単独探索>を考えた。日中は旅館で仮眠をとり捜索隊が引き上げた零時過ぎから山中に入った。そしてとうとう9月30日未明に熊次郎にばったり会う。
月陰に何やら黒いものが座っている。われらは電気に打たれたように立ちすくんだ。しかも黒いものはムクムクと起き上がって大鎌のようなものを空間に打ちふるう。「君は誰だ」「俺は熊だ」どちらかが「東京日日の新聞記者だ」というやりとりがあって男は道にしゃがみ込んで「そうですか、済みません、済みません」と。そして「深夜、うす月の下に 本社記者熊と語る」「危険を冒して密林を潜行中」「自首をすゝめて別る」の大スクープが生まれた。しかも「岩淵熊治郎」の署名までもらっていた。
熊治郎は実家の墓所で首を剃刀で切ったが死に切れず毒を飲んで死んだ。これを詳報したことで記者に<毒薬の提供疑惑>まで出たがそれは他紙のやっかみもあったか。