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“8月31日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1907年  懸案だった「英露協商」がようやく成立した。

協商を平たく言うと<友好的な相互理解>が最も近い。有事に一方の当事国が攻撃を受けた場合に他方の国が軍事的支援を行う。これにより先に結ばれていた露仏同盟(1894)、英仏協商(1904)と合わせ実質的には「英仏露協商」が成立してドイツに対する<包囲網>が出来上がったことになる。それ以上に急がれていたのがロシアの<南下政策>によるイギリスの植民地問題との関連だった。南下政策の対象地域は大きく三つあった。極東は日露戦争(1905)の敗北で頓挫したが、残されていたペルシャ(イラン)・アフガニスタンからとバルカン・小アジアから<政策の対立>が解消された。

戦争に明け暮れた20世紀を俯瞰するとき、「英仏露協商」とドイツがオーストリア、イタリアと結んだ「三国同盟」(1882)というふたつの対立軸が生まれた日となった。

*1949=昭和24年  キティ台風が関東で猛威をふるった。

中心気圧956ヘクトパスカル、最大瞬間風速31mの大型の強い台風は「219日」のこの日夜、神奈川県小田原市付近に上陸して「210日」の未明にかけて首都圏や関東地方を直撃した。横浜港に停泊中の船舶90隻のうち26隻が沈没して開港以来の大惨事となったほか関東を中心に船舶の沈没被害だけで3千隻にのぼった。東京湾では高潮による浸水で東京都江東区南砂町一帯が深さ2mも水につかり、江戸川区の3町が孤立するなど16万戸が浸水した。さらに山岳部の大雨で渡良瀬川の堤防が決壊するなど、合わせて死者・行方不明160人、住宅全半壊1万7千余の大きな被害が出た。

*1895年  アメリカン・フットボールの「プロ第1号選手」が生まれた。

ピッツバーグで行われたラトローブ対ジーネットの試合に、ラトローブは他のチームのクォーター・バックの選手を10ドルでスカウトして出場させた。選手の名前はウィリアム・ヘッフェルフィンガーというそうだが、詳しい人物像やその後の戦績などは見つからなかった。プロチームが誕生したのがこのわずか10年前だから選手たちも他に働き口を持って試合をしていたのだろう。10ドルもスカウト料というより日当代わり程度だったか。

アメリカン・フットボールは大学スポーツとして始まり、1874年に行われたハーバード大対マギル大の試合が初めてとされる。当時はボールの形もサッカーボールの球形派とラグビーボールの変形派に分かれていた。ルールなども手探り状態だったから現在のスタイルとはかなり違っていたようだ。この試合ではラグビーボールが使われ、戦術もランプレーが中心だった。

ついでながらパスが多用されようになるのは1913年の陸軍士官学校対ノートルダム大の試合からとされる。体格や脚力には自信があった士官学校チームもパスプレーを多用するノートルダム大にまさに“手玉に” とられた。

*1918=大正7年  東京市が米の「恩賜廉売切符」25万枚を緊急配布した。

品川など各所で行われた<ひとり5升まで>の「内地米の廉売」は1升37銭と市価の半額以下だったので長蛇の列ができた。それでも売り切れ続出で「つぎはどこであるのか」と主婦らが血眼で情報収集に走り回ったのを幾分かは鎮静化する効果を狙った。

富山県に始まった米騒動はあっという間に全国各地に広がり、流血事件や打ち壊しに続いて神戸の鈴木商店焼き打ち、大阪でも米穀商が軒並み放火された。東京でも日比谷などでの集会が暴徒化する騒擾事件に発展した。騒擾事件の拡大を抑えるために政府は14日、内務大臣名で各新聞社に対して「騒擾の報道禁止」を通達した。「米価に関する各地の騒擾に関係ある記事」及び「大阪の騒擾に関する号外を発行すること」の2点が禁止の対象だった。最初の富山米騒動での号外発行や、各紙が神戸・鈴木商店焼き打ちを大きく扱ったことが騒擾に火を注いだと見られたからだった。

おりしも大旱魃という気候的な背景も追い打ちをかけた。朝日新聞記者が周辺の王子、中野、(品川の)平塚、池上方面の水田を視察したという記事は「府下は稀有の大旱魃 野菜も稲も立枯れ」の大見出しに続いて
「作物のなかで一番被害を受けているのは陸稲である。炎えるかと思はれる熱風に白い穂が沢山になびいて居る。是は続く日照りのため畑地がポクポクになって栄養分及び水分を吸収することが出来ないで折角出来た穂が実らずして白く枯れてしまうのである」
「今や彼等=農民は殆ど死に物狂いになって雨乞いをやって居る。神社は神式の祭典をやり、其他禅宗なり法華なりそれぞれ異なった寺院で雨乞いをやり、夕方から夜にかけて太鼓を叩いて祈願するのだが昼間でもド、ドン、ドンと森の間から漏れて来る」

これがまた不安心理をかき立てるという側面もあるわけで、報道という存在も時に<功罪相半ば>する役回りというべきか。

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