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池内 紀の旅みやげ(37) 黒い鉄人─静岡市丸子

東海道五十三次の一つ、丸子(まりこ)の宿は鞠子とも書いた。現在は静岡市の郊外にあたり、市中からバスで十五分ばかり。切れ目なく車が通る国道1号の裏通りといったふうに、旧東海道がひっそりと残っている。

宿場町には飯盛り女がつきものだったが、古い案内記にはわざわざ「此宿には飯盛り女なければ」とことわっている。その代わりというふうに「宿のはずれにとろろ汁有、名物也。」江戸の旅人は遊郭のあった府中・静岡で散財して、丸子では腹つなぎに名物をすすっていたらしいのだ。

広重は版画シリーズに五十三次を何度となく描いているが、丸子では定番のように弥次さん喜多さんらしい二人組が茶店の床机に腰をのせてとろろ飯を食っている。芭蕉の句がそえてあって、「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」。当時十軒ばかりが軒を並べていて、そのうち一軒を丁字屋(ちょうじや)といった。現在は二軒で、一方が丁字屋。今もつつがなく営業している。

国道から裏手に入ると、車の音が消えた。山裾を細い川が流れ、これにそって帯状に家並みがつづいている。水神社が旧宿のはじまりで、本陣や脇本陣、旅籠が並んでいた。家はとっくに建て替えられたが、ポツリポツリと家号をしるした板が戸口に掲げてある。通りはゆるりとうねっていて、いかにも足になじんだ道である。

丁字屋は丸子橋のほとりにあって、広重に見るのと同じ茅葺(かやぶき)きの一軒屋。あまりにそっくりなので、かえっていぶかしい。大正の頃の写真では板壁にガラス戸の変哲のない店がまえだったのが、どうして江戸の昔にもどったのだろう?

疑問に思うのは当然で、現在の当主が旧来の建物を取り壊し、浮世絵そっくりの民家を買って移築した。なかなか商才のあるお方とみえる。ここのとろろ飯は、白みそでといたとろろを麦飯にかけて食べる。口当たりがあっさりしていて、あっというまにお腹に納まっている。

橋を渡ると元宿といって、そちらが先にひらけたのだろう。少し行くと連歌師宗長(そうちょう)が隠居所にしたという吐月峰柴屋寺(とげつほうさいおくじ)で、その先は宇津(うつ)ノ谷へと入っていく。

冬の日暮れどき、古社巡りはやめにしてもどりかけたところ、家並に入る手前でギョッとした。白いコンクリートの上に、なにやらゴロリと、横たわっている。黒ずんだ骸骨そのまま!

なんとも不思議な黒い物体が、骸骨そのものでごろり! 驚くよ。丸子の怪人?

なんとも不思議な黒い物体が、骸骨そのものでごろり! 驚くよ。丸子の怪人?

ちかづいてわかったが、鉄とブリキでこしらえた等身大の人形で、頭は奇怪な仮面、腹から腰にかけては騎士のような鎧(よろい)状で、筋ばった手は長い鉄の槍をにぎっている。それが台座もろともドウと横だおしになっている。あらためてたしかめると、大人の身長の一・五倍ほどもあって、高々と槍をもたげてたっていたころ、さぞかし異彩を放っただろう。

しばらく台座にまたがったりして遊んでいた。白いコンクリートは建物の入口にあたり、ロープや鉢植えの木や大きな壺がゴタゴタと放置してある。小さな白い建物に半ば壊れた看板が下がっていて、maki craftとある。いつごろ無人となったのかわからないが可愛らしい建物で、少し手を入れればシャレたアトリエになるだろう。仮面の鉄人は当工房作にして、クラフト製品のシンボルのようにスックとたっていたらしい。それにしても茅葺きの茶店のすぐそばに、黒い鉄人を据えつけた人の神経の太さに驚かずにはいられない。

静岡に宇宙からの使者か知らん? なんて、ちょっと遊んでみたくなりますよ、ね。

静岡に宇宙からの使者か知らん? なんて、ちょっと遊んでみたくなりますよ、ね。

背後の山並みの上の空だけが白々とあかるい。辺りはみるまに薄やみがひろがって、家々の窓にやわらかい灯がともった。旧道に人かげ一つなく、ただ歩道の白線だけが長大なヘビのようにのびている。

帰宅してからたしかめたところ、広重版画のなかでもとりわけ知られた保永堂版には茶店でとろろをすする旅人のわきに、長い竹に笠をつるした人が見える。甚兵衛を着て尻ぱしょりしており、腰に弁当らしきものをぶら下げている。土地の人が何かの用向きで出かけていくところのようだ。とろろには自然薯(じねんじょ)がなくてはならない。山で見つけて、地中深く掘り下げて収穫する。長い竹の人は、そんな一日がかりの仕事に出かけるところかもしれない。

大当たりした広重作「五十三次」のうち、「人物東海道」と名づけられているシリーズでは、丸子宿へ大名行列が来かかったところを描いている。「名物とろろ汁」の看板の横を、先触れ役の槍持ちが先の尖った三角帽子をかぶり、肩いからせて通っていく。もしかするとマキ・クラフトの芸術家は広重の槍と帽子を現代風にアレンジしたのではあるまいか。ただ黒い鉄人は誰にも理解されず、とどのつまりひとりぼっちで、冷たいコンクリートに横臥するハメになった。

【今回のアクセス‥静岡駅前よりバス。国道のバス停から南へ歩いて五分ばかり】

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