書斎の漂着本 (1) 蚤野久蔵 漂着物の博物誌
周囲を海に囲まれた日本列島には多くの漂着物が打ち寄せられる。なかでも黒潮はあの島崎藤村作詞の「椰子の実」の連想を生んだココヤシなどを運んでくることで知られている。
わがささやかな書斎と奥の3畳ほどの書庫には数十年前からの古書店めぐりなどで手に入れた本や資料が詰まっている、というか溜まってしまったというのが実情に近い。店頭で手に取って<ちょっと面白いな>だったのか、売れずに処分されるのが<なんだかもったいない>と思ったのかは今となっては定かではないが、一瞬の興味をひいたから思わず購入してしまったものばかり。もっとも本の方から「私を連れてって」なんて言うはずもないし、せいぜい数百円から数千円どまりだから思い切って、ということもない。「稀覯(きこう)本」は端から無縁で、他人から見れば雑本・がらくたの類いであろうが、自己評価では珍本、珍資料が結構多いということになる。
コレクションなどというものは歴史に残る「〇〇コレクション」というのは別にして、所詮はコレクターの自己満足の結果だろうから他人からどうといわれる筋合いはないのであって、私の場合はそれが古本や古雑誌などだっただけ、それでいいじゃありませんか。連載を始めるにあたり珍しく目次代わりの一覧表を作ってみたら自分でもあきれるばかり。こんなのも、あんなのも・・・ジャンルを問わずよくぞ集めたものです。しかも、椰子の実など海岸の漂着物がそこに勝手に「寄りくる」のとは違い、一冊ずつがわが好奇心によって書斎に「運ばれてきた」わけで、タイトルを『書斎の漂着本』と付けた理由がなんとなくお分かりいただけるのではなかろうか。
それもあって第1回には迷わずこの『漂着物の博物誌』(石井 忠、西日本新聞社、1977年)を選んだ。著者は福岡県福間市在住の漂着物研究家で、20数年前にご自宅兼研究室を訪問してコレクションを拝見したことがある。まさに“押しかけ入門”だったが、以来、勝手に<わが師>と紹介させてもらっている。著者が開拓した「漂着物学」の集大成ともいえるのちの『漂着物事典』(1986年、海鳥社)や『新編 漂着物事典』(1999年、同)は、漂着物採集やビーチコーミング(海岸探訪趣味)の普及・流行により一般用語化した「ひょうちゃくぶつ」と読むが、まだ認知されなかったからこの本ではわざわざ「よりもの」とルビをふっている。
当時は高校で日本史の教諭をされていたので九州出張にかこつけて土曜日に訪問した。駅からタクシーで行きますといったのにわざわざ車で迎えに来ていただいて恐縮した記憶がある。玄界灘と目と鼻の先にある福間海岸沿いの住宅地で、漂着物採集に出かけるには最高のロケーションだった。応接間に通されてまず<応接机>に圧倒された。南方から漂着したという8mほどの刳り舟の上に厚板ガラスを置いたもので「部屋に納まりきらんけんドアが閉まらんとです」というのに驚かされた。漂着物採集の魅力などを伺ったあとで案内された庭先に置かれたふたつの物置に隙間なく入れられた漂着物の多いこと。「ここが資料を分類したり記録したりする私の研究室です。たまに展示会に貸し出すと戻ってきてから元通りに収納するのに苦労します。その間も毎日、浜を歩き回っているのでまた新しいコレクションが増えていますから」と。想像していた「研究室」がプレハブ物置だったのは予想外だったが実にうれしそうに話しておられた。
伺ったのが晩秋で漂着物がいちばん多い冬から春にかけての強風時期や、台風後ではなかったから浜沿いの道路を自転車に乗って隣の浜まで案内してもらっただけだったが、毎日のように浜辺を歩いている体力は相当なもので、しかも波打ち際を観察しておられたらしく、こちらは必死にペダルを漕いで汗をかいたのに「きょうは目ぼしいものはないですねえ」と涼しい顔で言われたのを覚えている。
帰り際に紹介されたのがこの本で「版元品切れであいにく手元用しかないので再販をお待ち下さい」と言われたが、ぜひ手に入れたいと思ったから 辞去したその足で福岡市内の古書店をいくつか回ったが見つからず、たしか一年後かに札幌市の古書店で汚れた一冊をようやく探し出した。うれしかったですねえ。出張中、時間を見つけては読みふけり、いつもなら誘われれば飲みに行くのを断ったほど。写真はそのまた数年後に帯のついたのを大阪・梅田の阪急古書のまちで見つけたのを紹介する。「古書梁山泊」のシールがそのまま残してあるのは<完本入手記念>だったからか。
あらためて読み返してみる。表紙だけでなく表紙裏や各章のカットは著者本人の版画で、序を寄せた民俗学者の谷川健一が「柳田國男が生きていたら、本書の刊行をもっともよろこんだ一人だと私は確信する」という書き出しで「調査の対象となった場所は、玄界灘に面し、日本海に向かう黒潮が沖合をとおるところである。その地域には日本最古の海人が発生した場所が含まれており、日本列島に及ぼす南方からの漂着文化の源流を測定するのにもっともふさわしいモデル地区であった。最適の場所をえらんで調査した石井さんの報告は、日本列島に影響を与えた黒潮文化の比重をうらなうのに、不可欠な価値をもっている。日本文化の基層にかかわる主題が、一地方の、かくれた学徒の無私の努力によって開明されようとしていることは大きなおどろきである」と評している。
第一章は著者が「ひろげたパラソルのふち」と表現する岬と弧の海岸線がどこまでも続く魅力のフィールドの紹介、わが国最古の海女を生んだ鐘崎の伝説や伝承、漂着物と地名、漂着物と信仰、漂着物の魅力がいわば漂着物の入門編なら、第二章「椰子の道」からは浜辺に打ち上がるさまざまな種類の椰子の採集例だけでなく、藤村の友人だった柳田が実際に椰子の実を拾った伊良湖岬の訪問記もある。続く第三章「海の幸」では生きたまま拾ったソデイカが食卓を賑わせた話から、漂着動物では最大の鯨の漂着例などが紹介される。本の最後は開発という名の自然破壊が進み、巨大なゴミ捨て場とになった海を何とか取り戻したいという著者の強い思いが綴られている。
漂着物を求めて海ぞいをたどる、いわば一種のロマンの世界に浸りたかった私だが、改変されていく世界もまた現実であった。その世界に向かって今、<引金>をひきたいのである――と結ばれている。