書斎の漂着本 (8) 蚤野久蔵 モダン用語辞典
昭和5年(1930)11月に実業之日本社から発行された『モダン用語辞典』である。
写真では大きく見えるかもしれないが縦15cm×横9cmのいわゆるポケット辞書で、全553ページ、定価は1円30銭。巻末広告の「洗練されたるモダン人の机下に」シリーズのひとつで25版を重ねた随筆『巴里の横顔』<画伯・藤田嗣治氏著>の1円50銭より少し安い設定なのは<辞書として引く>だけでなく<読ませる>狙いもあったからか。
この年は前年秋にニューヨーク・ウォール街から始まった世界恐慌の影響だけでなく北海道、東北では冷害と凶作が重なった。飢饉とそれによる人身売買が深刻な社会問題となるなかでストも相次ぎ、全国的にも自殺者も急増するなど「暗い時代」だった。大都会東京ではその反動のように銀座通りを闊歩するハイカラ女性にはマニキュアやロングスカートが大人気で、時代としての<真新しさ>が歓迎された。前後して『新時代の尖端用語辞典』(文武書院)、『時代に後れぬ新時代用語辞典』(甲陽堂)、『モダン新用語辞典』(教文社)が相次いで出版され、『モダン語辞典』(誠文堂)が人気の「十銭文庫」に入れられると大きな話題になった。『婦人公論』の付録にも折帖形式の『婦人必携モダン語辞典』が登場するなど出版界には空前の<モダン語辞典ブーム>が起きた。
出版社としても『モダン用語辞典』には力を入れたようで、早稲田大学の国際法学者、喜多壮一郎教授に監修を依頼している。専門が意外だったが大学在学中は弁論部の「雄弁会」に所属、教授時代の昭和3年(1928)に大学新聞学会の会長、翌年には講演部長に就任しているから新語には明るい、うってつけの起用だったことに納得した。
表紙はしゃれた布貼りで厚紙の外函付き、この中表紙のデザインも凝っている。ヌードに<期待した>わけではありませんよ、たまたま古書店で程度のいいのを見つけて奮発して購入した。特価本や見切本だけでなくこうした掘り出し物もたまにはいいでしょう。12月5日刊の「5刷」、前月15日に初版が出てわずか20日で4回も増刷したことになる。いまと違い1版の刷数は少ないとはいえかなりのヒット企画だったことがわかる。
まずはこの時代の「モダン」の意味を引いてみる。
モダン(英):モダーンと同義。近代の、近代人。
これでは意外にそっけないな、と思ったが前後に面白いのが見つかった。
モダン・ガール、モダン・ボーイ:近代女性及び男性、新しい女、及び男。大正の末期から昭和へかけて流行した語で軽佻浮薄、享楽的な若い男女に対する軽蔑語。元来は真面目な意味で、内容的に考察すれば近代思想に目覚め、教養あるべき青年男女のことであらねばならない。殊にモダン・ガールに対しては「毛断蛙」「毛断嬢」「もう旦那がある」等々いわれている。
モガ・モボ・モヂ・モマ:各々モダン・ガール、モダン・ボーイ、モダン・ヂヂイ、モダン・マダムの略。後の二者は前二者と同様現代的な不良老年、不良夫人の意である。
おやまあ!モダン・ヂヂイやモダン・マダムにこんな意味があるとは知らなかった。
他にも興味深いのをいくつか紹介する。
アヴエク(仏):「同伴」といふ意味のハイカラな気取った用法。仏語で「・・・と一緒に」の意味であるが、これを使う日本のモダン人達は特に「婦人と同伴する」意味に限って用いる。「ステッキ」とか「ハンドバッグ」などの言葉は「お伴」という意味を持つが、アヴエクよりは少し下品な使用例である。
ステッキ・ガール:東京に起こった1929年における新造語。銀座に出現して、一定の時間および距離の散歩の相手をする代償として料金を求める若い女の意味である。つまり男のステッキの代わりをする女である。しかしこの新職業家の実在性は極めて薄弱で、結局ジャーナリストのペン先における存在ではないかとされている。ステッキ・ガールの反対で、女のハンドバッグの代用をつとめる男をハンドバッグ・ボーイといっている。
ボート・ガール:30年型の新職業として生まれた。1時間のボート遊び1円で、娘さんがオールを握ってお相手もすればお望みの海水着で水泳のお相手もするというモダン職業娘。
「水泳」はもちろんプールで、でしょうねえ。同じガールでも
丸ビル・ガール:丸の内ビルデイング内の会社、商店などのショップ・ガール達のこと。断髪などの尖端的な女性の一群。
ラデイカル・ガール:が「モダン・ガールと同様であるが、多少左翼的な分子に興味を持つらしく見せている断髪、脚線美、そして左翼物の演劇に興奮する女」とあるが、ラデイカル・ボーイ:は意外にも「銀座の鋪道を足速に歩くラッパズボンの若い男」だった。
殺人的:新聞雑誌で使い出した言葉。「殺人的な暑さ」、「殺人的な長雨」などという。極めて熾烈な、という意味のモダン語である。
いやあ、すでに死語ですねえ。同じく死語になったといえば
どーまり:「どうもありがたう」が縮まり、「どうもあり」それから「どーまり」となった。テンポの速い現代、それに緊縮風の吹き捲(まく)る現在であるから、時節柄無理のない言葉ではあろう。
当時は「月給取り」と呼んだサラリーマンにまつわるモダン語もある。
通過駅:普通列車では停車せずに過ぎる駅をいう。転じて月末の払いに月給が右から左へと通り抜けてしまう月給取りの意。
洋服細民:中流階級の勤め人、洋服は着ているがそれは月賦で実は貧乏なインテリゲンチア。
「序」にある「新しい言葉を知ることは、時代精神を知ることである。モダン語を解せずして新時代を知ることは出来ない」とある「モダン語」を「流行語」に代えれば、いまでもそのまま通用しそうだ。