池内 紀の旅みやげ(42)涅槃経ミクロコスモス─旧品川宿
用があって都心に出てきて、思いのほか早く用件をすませたときなど、どこかに足をのばしたくなるものだ。中央線沿線に住んでいるので、西の方にはなじみがあるが、東の総武線や、北の王子、浦和方面はまるで知らない。「つくばエクスプレス」と聞くと、一泊で出かけるような遠方の乗り物を思ってしまう。
この日は三時すぎに神田で用をすませた。神田駅近くには午後早くから開いている居酒屋があるが、何となく縄ノレンという気分ではなく、昔風の落ち着いた喫茶店で、香りのいい珈琲を飲み、少し考えごとをしたいと思った。フランチャイズ系のチェーン店ではなく、すわると冷たい水がきて、やおら注文。ジョッキのようなカップにバケツ一杯風のコーヒーではなく、挽きたて、煮だしたてが、店主のこだわりのあるカップで出てきて、口に運ぶと香ばしい匂いが鼻をくすぐりにくる──そんな珈琲。
記憶というのはヘンなはたらきをするもので、とたんに思い出した。京浜急行の青物横丁駅を出たところ.ある女性から交番のすぐわきに「イケウチさん好みの喫茶店」があるとおそわったことがある。二年あまりも前のことで、「わざわざ品川くんだりまでなァ」と思って聞き流した。どこで二年間眠っていて、いかなるメカニズムで甦ったのか、やにわに青物横丁が記憶をかすめた。風変わりな駅名で、ズラリと野菜や果物の店が並んでいるふぜいである。品川経由の京急乗り換え、ものの十五分もしないうちに当の駅に降り立っていた。
交番はすぐに見つかった。すぐわきの「イケウチさん好みの喫茶店」というと……ドアが閉まり、そこに貼り紙がしてある。近年よくあるのだが、この貼り紙というのがイヤなもので、たいていの場合、通いなれた銭湯や理髪店の休業を告げている。時代に合わない世代が通いなれた店は、お店自体が時代に合わず、主人が老齢で、そろそろしおどきということになったケースである。
その覚悟をして、こわごわ近づいたところ、ヤレうれしや、休業のご挨拶ではなく、奥のボイラーが故障したので、取り替え工事のため臨時休業とのこと。喫茶店にボイラーというのも奇妙であるが、古風なつくりの店であって、何かの理由でボイラーがついているのかもしれない。古風なだけでなく、よく見ると、ドアや窓飾りにもこだわりがありげで好ましい。まだ一度も入ったことはないのに、なにやらなじみの店的親しみを覚える。前をウロウロしていると、となりの交番の前に警官がいて、問いたげにこちらをみた。
京急と交叉する通りに「ジュネーヴ平和通り」と標識が出ている。青物横丁がどうして急にジュネーヴになるのか不可解だが、ジュネーヴに似ても似つかぬ通りを行くと四つ辻に出た。こちらはオーソドックスな「東海道」の標識で、おもえば品川は東海道五十三次の一番目の宿場である。京から下ってきた人には第五十二番目で、はるばる来しものかなの思いがしたにちがいない。
右に曲がると品川寺(ほんせんじ)という立派な寺で、古木の下に大きな青銅の地蔵がすわっている。「江戸六地蔵」の一つだそうだ。ジュネーヴから突然、江戸と対面して、頭は了解しても感覚がともなわない。お地蔵さまが夢の風景のように見える。奥に入ると大銀杏(いちょう)がそびえている。樹木も高齢になるとお化けに似てくるらしく、太い幹から乳が垂れて固まったようなものが何本も下がっている。おとなりは閻魔堂で、地獄の大王がハッタとにらんでいる。これまた突然の出現で現実感覚が伴わず、何やら白昼夢を見ているここちである。
しかし、人間はすぐに現実に目ざめるようで、夕方のけはいに居酒屋が恋しくなってきた。「香ばしい珈琲を味わいながら考えごとをする」というのが当初の目的だったと思うが、ボイラーの故障ひとつで思いがけない周遊をした。距離にするとほんの数百メートルだが、青物→ジュネーヴ→地蔵→お化け銀杏→閻魔様ときて、時空間をへめぐった気がしないでもない。さしあたり品川駅に近い吞み屋で、カン酒を手に考えごとをすることにして、しかしよく考えてみると、さして考えごとの必要があるわけでもないのである。
気持ちがふっきれて身が軽くなった。同じ道はつまらないので、ジュネーヴを通りから一つ先の小路づたいに京急駅へ向かっているとフシギな門に遭遇した。青銅づくりで鳥居のかたちをしているが、横木にあたるのが三本ある。左右の柱には頭に飾りをつけた象が長い鼻をのばしている。その上に仏がいて、さらにその上にバクのような動物や、極楽鳥がレリーフ状に刻まれている。「光照山 真了寺」と金文字が入っているから、寺の山門にあたるのだろう。
内側はカラーつきで、蓮の花が咲き乱れ、羽衣をひるがえして無数の天女が舞っている。上に立て琴のようなのが二つ乗っていて、これが奏でる楽音につれて天女が舞い、天界から霊が下りてくる趣向のようだ。あまりに突飛なので、再び現実感覚がともなわず、しばらく、ボンヤリとブロンズ門の下に佇んでいた。
確かダンテの『神曲』地獄篇には、「この門をくぐる者は希望を捨てよ」といった意味のことが刻んであったが、幸い品川の門は、そんな邪険なことはいわない。慈悲の涙を流しているように見える。涅槃(ねはん)経がどういうものか知らないが、万物が哀しむとき、象もまた涙を流すと聞いた。何でもありのニッポン国五十三次旧宿場の外れで、ありがたいお経のミクロコスモスを一巡したぐあいである。
【今回のアクセス:京急・青物横丁下車、二十分でゆっくり一巡できる】