季語道楽 (3)「火事」に季節の限定ありやなしや 坂崎重盛
去年の暮に「新年」の季語の一部を取り上げた。新年で気になる季語はまだまだ沢山ある。
例えば「御降」。読めますか?(おさがり)。
落語の題にもある「御慶」(ぎょけい)。
「名刺受」が新年の季題というのも意外と知られていないのでは。
これは知らなければ、まず読めないでしょう。ぼくなど、この漢字を書いたことすらない「白朮詣」(おけらまいり)。京都の人なら皆知っているのでは。
「嫁が君」とは何ぞや? しかも新年の季題とは。
「骨正月」というなにやら思わせぶりな季語もある。
そうそう「ぽっぺん」も新年の季語。前回に続いて今回、芥川賞の候補になった石田千さんに『ぽっぺん』(新潮社刊)という作品があります。
雑誌「波」から、この本の書評を頼まれたぼくは、書評のかわりに勝手に「ぽっぺん」を入れ込んだ句をスペースのある限り(五十〜六十句ぐらいだったはず)即興で作りました。
インターネットで検索できると聞きました。関心のある方はアクセスしてみて下さい。
あ、「ぽっぺん」とは、歌麿の浮世絵(「ビードロを吹く女」)にもある(記念切手にもなりました)ビードロのことです。今でも長崎の土産物として売られています。
と、まあ、「季語」を取り出すだけではなくて、きちんと説明し、例句なども紹介しなければならないのでしょうが、それはまた今年の暮れのころにでも。
で、新年が終れば、もう春でしょう。一気に春の季語へと進んでもいいのですが、まだ一月の末、昨日、今日、雪は降る、寒波は到来するで、ぜんぜん春の気分ではない。
体感に従って、冬の季語をちょっとチェックしてみたい。
「虎落笛」。これも知らなければ読めない。(もがりぶえ)。言葉は聞いたことがある人も多いのでは。冬の空っ風が電線や枝のついた竹の物干し、竹垣などにあたってヒューヒューと鋭い音を発する。(最近はなぜかこの音を聴かなくなりましたね)
もともと紺屋(染物屋)の干場を「もがり」といったそうですが、広く、冬の風によって笛のような音を作り出すことを表す言葉となった。誰かの歌う演歌の一節に歌われていましたっけ?
日輪の月より白し虎落笛 川端茅舎
虎落笛荷風文学うらがなし 石原八束
「屏風」も冬の季語でしたか。なんとなく夏あたりかな、と思っていたのですが。「金屏風」「銀屏風」「枕屏風」も「四曲」「六曲」もすべてふくめてよいという。防寒のための調度ということだそうです。例句を紹介します。
吉凶につけて古りゆく屏風かな 吉井莫生
貼りまぜの屏風や失せし友の句も 及川貞
帯しむる音さわやかに銀屏風 石原舟月
「屏風」が冬の季語ということですから、「襖(ふすま)」「唐紙」「障子」もすべて冬の季語です。
おや「火事」は冬の季語ですか。火事は別に季節を選ばずに起きるのに、いや、やっぱり冬かな。昔の火消し装束や冬の夜の半鐘の音などを連想すると。
そういえば、古今亭志ん生の歌う大津絵節の出だしが〽冬の夜に風が吹く──で火消し(鳶)の夫婦の情愛の歌でした。志ん生の節まわしは、たまりませんね。絶品! 憶えたいんだけど、なかなか身につかない。
それはともかく「火事」の例句を。
火事を見て戻る道辺に犬居たり 内田百閒
赤き火事哄笑せしが今日黒し 西東三鬼
火事を見るわが獣心は火を怖れ 古館曹人
「泥鰌」だけでは季語にはならないが「掘る」が付けば冬の季語になります。「泥鰌掘る」──田や小川、浅い沼などの水が少なくなったときに泥を掘り出してとること。
つくるより崩るる堰(せき)や泥鰌堀 田上一焦子
泥鰌捕る真菰(まこも)を焚いて憩ひおり 高浜虚子
どぜう掘る泥てらてらとぴかぴかと 西村和子
これまた、ついイメージで夏の季語?と思いたくなる「都鳥」、これが冬なんですね。「都鳥」といえば隅田川、鏑木清方の版画に浴衣の女性(粋筋?)が夏の風に吹かれながら、都鳥の波間に浮かぶ隅田川の川面を眺めている作品があります。
そんなこともあり、なんとなく夏を連想してしまうのは私だけでしょうか。
「都鳥」、本来は、全身黒く、嘴(くちばし)が長く赤い鳥というが、今は「百合鴎(ゆりかもめ)」を都鳥と呼んでいる。
ともかく都鳥といえば伊勢物語、在原業平の「名にしおはばいざ言間はん都鳥わが思う人はありやなしやと」で知られる。
その「業平」は隅田川近くの地名となり(スカイツリーの立つところ)、「言問はん」は向島の「言問団子」にその名を今日に残している。向島へ出向いたときは、この言問団子か近くの長命寺の桜餅を買って帰らないわけにはいかない。
折り詰めを手にぶら下げているだけでも幸せな気持ちになれるのです。
くろがねの橋も幾重や都鳥 石塚友二
都鳥都電の数もまた減りぬ 岡野亜津子
昔男ありけりわれ等都鳥 富安風生
次回はいよいよ「春」の季語です。