書斎の漂着本 (38) 蚤野久蔵 太陽臨時増刊
戦前、わが国最大の出版社として隆盛を誇った博文館が、創業12周年記念に発行した『太陽』の臨時増刊である。明治20年(1887)に大橋佐平が東京・本郷で創業、富国強兵の時代風潮に乗り、数多くの国粋主義的な雑誌を創刊して社業を広げた。取次部門としてトーハンの前身の東京堂や、広告会社の内外通信社を作ったことでも知られる。なかでも初の総合雑誌といわれる『太陽』は、社の黄金時代を象徴する存在で、12周年にちなんでタイトルも「明治十二傑」として創業記念日の32年6月15日に発行された。
寸法は152×218ミリの菊判570ページで、定価は35銭。表紙と裏表紙は別の和本の表紙に貼り付けて「和綴じ」で丁寧に修理してある。これまでの連載では古書店の店頭の特売棚での<掘り出し物>を中心に紹介してきたが、こちらはちょっと違って家具や古着、電化製品などを扱うリサイクルショップで偶然見つけた。厚いビニール袋に密封されて「古書・2,000円」の値札がついていたが『太陽臨時増刊「明治十二傑」博文館創業十二週年紀年』とあったのでどんなものかは想像できた。不見転で、おっと失礼、中身を確かめないで買おうかと思ったが試しに思い切って値切ってみた。店長いわく「半額はとても無理です。開封してお見せしますから1,500円なら!」。商売となるとさすがに向こうが上手、こちらの<買う気>をすぐに見破って、ハサミで袋を大胆にジョキジョキと。下三分の一は水濡れの大きなシミがあったが、読むには差し支えなさそうなので結局、購入する羽目になったのを思い出した。
補修にはご覧のように『訓蒙罫画法 上』という題名の和本の表紙がそのまま使ってある。連載に取り上げる前に、奥付の上に貼られた「蔵書一代・中井書房」という空色の店名票を頼りに店主に現物を見てもらうことにした。中井書房は京都市左京区二条川端東にある。鴨川を渡って平安神宮方面に向かう南側である。京都に出かける用事もあったから思い立ったが、古書にくわしい業界人に尋ねるにしても過去に扱ったことがある店のほうが<話が早い>と思ったからで、気さくな方でよかった。
店主の「見立て」はこうだ。この本を修理したのは貸本屋ではないだろうか。貸し出すうちに表紙が痛んだのでやむなく補修した。当時、本を買える層は限られていたので庶民は「本は貸本屋で借りて読む」が当たり前だった。戦後しばらくは貸本屋全盛の時代で比較的安い雑誌といえども例外ではなかった。古書店はあくまで販売が目的なので「現状のままでの取引」というのが基本。修理することで逆に価値が下がる場合もあるから手をかけてまで修理したのはあくまで「使う」ためだろうし、その後、何らかの理由で本が濡れて「お払い箱」になったのではないか。貸本屋から流れてきたというのは昔はよく見かけた。黄色の表紙は明治時代の和本に好んで使われたが、もし蔵書家が修理したとしても題字くらいは剥がすでしょう。和綴じも職人仕事だから見た目ほど簡単ではないですよ。
脱線しかけたので本題に戻す。
「発刊の辞」では大橋の息子の新太郎が「十二傑」の選定を「読者投票によった」ことを強調している。「帝国近世の社会各方面における進歩の実相を描写するために」部門を政治、文学、美術、法律、教育など12に分け、それぞれの部門で投票の最多数を得た人物を「当選者」にした。人物紹介のために60人の伝記を付けるのも本人への直接取材を心がけた。次点者も当選者とほとんど差のない者も少なくないが、次点以下の人物については「紙数に限りがあるので」割愛せざるを得なかったことを了解してほしい。
十二傑を「投票順」に紹介するとこうなる。カッコ内に簡単な人物紹介を付けておく。
政治=侯爵・伊藤博文君(内閣制度、大日本帝国憲法、皇室典範など制定、初代総理大臣)
文学=文学博士・加藤弘之君(帝國大学第2代総長、初代帝国学士院院長)
美術=日本画家・橋本雅邦君(フェノロサ岡倉天心に師事、東京美術学校創設に尽力)
法律=法学博士・鳩山和夫君(弁護士、衆議院議長、鳩山由紀夫・邦夫兄弟の曽祖父)
教育=福沢諭吉君(民間啓蒙思想家、慶応義塾創始者)
科学=理学博士・伊藤圭介君(初の理学博士で「雄しべ」「雌しべ」「花粉」の名付け親)
医家=医学博士・佐藤進君(順天堂医院院長、長崎で狙撃された李鴻章を治療した)
宗教=釋雲照律師(京都・仁和寺門跡から大僧正に。乞食坊主姿の門跡として知られる)
軍人=侯爵・西郷従道君(「大西郷」西郷隆盛の弟、元帥海軍大将、「小西郷」)
農業=男爵・伊達邦成君(仙台・亘理領主から北海道に移住、現在の伊達市を開拓した)
工業=古河市兵衛君(古河財閥の創業者、足尾銅山の経営を立て直した)
商業=渋沢栄一君(第一国立銀行を創設、500余の会社を設立、「日本資本主義の父」)
それぞれの人物を紹介するとそれだけで数ページではきかないだろうからあえて1行だけにした。博文館の名前の由来は伊藤博文からとされているから同社にとっては人気投票での堂々一位は極めて順当な<慶事>だったのではなかろうか。「十二歌匠」では詩人・作詞家で「鉄道唱歌」や「故郷の空」で知られる大和田建樹(たけき)や、歌人の佐々木信綱。「十二俳仙」では正岡子規に続いて十千万堂紅葉の名前も見える。これは文豪・尾崎紅葉の俳号で神楽坂に建てた学堂「十千万堂(とちまんどう)」にちなむ。代表作『金色夜叉』で主人公の間貫一(はざま・かんいち)から許嫁のお宮(鴫沢宮=しぎさわ・みや)を奪う富豪の富山唯継のモデルが博文館の若社長・新太郎とされるだけにちょっと興味深い。
記事そのものの量が多かったからだろうが、広告ページは合計10ページに抑えてある。ピンクの紙を使った社外分の6ページは<年中無休刊>をうたう新聞の「日本」、米国産紙巻煙草「ゴールドコイン」と「ホーク」、ウオルサム懐中時計、目薬「壮眼水」、津村順天堂の「中将湯」、「素人用早印刷器・真筆版」で、早印刷器というのは「謄写版」と同じような製品のようだ。謄写版はこの5年前の明治27年(1894)に滋賀の堀井新次郎父子が発明したが、特許を取っていても類似品が次々に生まれた。この「真筆版」は陸軍参謀本部、憲兵隊本部など153台、大蔵省をはじめ中央諸官庁、郵便電信局など128台、帝國大学など477台、北海道庁、地方市町村1,300余台、日本鉄道会社など2,035台と細かい納入実績をあげている。それが『中学文壇』なる雑誌と発行・発売元が同じ東京神田今川小路の北上屋商店である。ガリ版といえば宮沢賢治を連想するが、北上(川)から、こちらの経営者も岩手出身だろうか。自社の出版広告は『帝國百科全書』、『通俗百科全書』、『日用百科全書』などに続いて『日本大文学史』の著者が大和田建樹君である。著者への起用は人気実力者だったから無理もないが、出版社としてはなるべく身内から選んだと言われないように「投票結果」であることをくどいほど強調したのだろう。
ところでこの「明治十二傑」の中身の各ページは水濡れ以外にはほとんど痛みがないからぼろぼろになって修繕された表紙とは対照的だ。ということはお客がこの本を借り出す目的はその「顔ぶれを知りたかった」のにあったのではなかろうか。つまり「ちら見」だ。
貸本屋店主「えっ、もう返却かい」
客「アタぼうよ、こちとらはやりの速読で一気に読んじまったから」
店主「じゃあ、気持ちだけでもお代をまけとくよ」
なんてやりとりがあったかも。店主もそう言いながら本のあまりの<回転ぶり>に思わず頬が緩んだりしたのかもしれませんなあ。