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新・気まぐれ読書日記 (6) 石山文也 旅 最終号

きっかけは新聞で見つけた小さな記事だった。雑誌『旅』の休刊発表である。長年の習慣で新聞は必ず読むが、目を凝らして隅々までというわけでもないのになぜだか目についた。それもあってさっそく<毎日のあたまの体操>代わりに書いているブログに取り上げた。

石山文也の「きょうのB玉」(2011.12.16)

1924=大正13年創刊の雑誌『旅』の休刊が発表された。雑誌の休刊は日常茶飯事とはいえ、以前はよく読んでいたし<愛読書>にあげていた時期もあった。生意気にも自分もいつかここに寄稿したいとも思っていた。だから小さな囲み記事だったのに目にとまったのか。JTBの前身の「日本旅行文化協会」がわが国初の本格的旅行雑誌として創刊した。書庫に復刻版の「創刊號」があったのを思い出してようやく探し出した。

巻頭は田山花袋の「旅の詩と歌と」作家でジャーナリストの生方敏郎が「講演旅行の喜劇」を寄せるなど文芸色が強い。定価は40銭、A5判よりやや大きい「菊判」で本文はわずか84ページだった。日本がまさに中国大陸にも版図を広げていった時代、広告にも時代が投影され日本郵船が「支那へ旅行せらるゝるには」として日支連絡船を、大阪商船も大連行=毎週2回、青島行=毎月2回、天津行・台湾行=毎月各6回を掲げ、裏表紙には南満州鉄道の「旅行のシーズン来る。朝鮮へ!満洲へ!支那へ!」の1ページ広告も目立つ。

戦後は旅行の大衆化に伴い、誌面も写真グラフが増えるなど大幅に変化した。同じく復刻版の1957=昭和32年2月号から松本清張が代表作となった『点と線』を新連載小説として発表している。この連載が話題を呼び「社会派ミステリー」の新語とともに人気を不動に。

高度成長期には20万部を超えた発売部数もテレビの旅番組やネット普及に押されて低迷していく。版権もJTBから新潮社に譲渡されて「女性向け路線」に変わったものの部数は伸びず、隔月刊になっていた。最終号は来年1月発売の「3月号」で通巻1002号。もちろん<愛惜の念>を込めて発注しましたとも!

「旅」1924年・創刊号

「旅」1924年・創刊号

「旅」1957年・2月号

「旅」1957年・2月号

というわけで待ち遠しかった『旅』(2012・3月号)の入荷連絡をもらったので散歩がてら行きつけの「本のがんこ堂」(変わった名前でしょ)へ出かけた。「こういうのって<いそいそ>とか言うのかな」から始まって「最後のだけ購入するというのは疎遠になった友人の通夜だけに顔を出すみたいなものか」とか「雑誌の創刊号は古書店で結構いい値がするけど最終号はどうだろう」と不埒なことまで考えたりして。「そうだ、次の読書日記はこれにしよう!」と思いついたところで書店に着いたのでありました。

自宅に戻り書斎の椅子にちゃんと座って(寝転んで、なんて失礼?かと)袋から取り出すと表紙右上に印刷された「長年のご愛読、ありがとうございました。」のオレンジ色の活字と同色の白抜き最終号の表示が目に入る。あらためて<そうだったよな>と姿勢を正して(ちょっとオーバーか)しばしの<誌上旅行>を愉しんだ次第。

「旅」新潮社刊 最終号

「旅」新潮社刊 最終号

巻頭特集は「懐かしい笑顔に会える、九州の小さな町へ」表紙写真も「切り通しの細い坂道には江戸情緒がのこる」大分県・臼杵の二王座歴史の道。ページをめくると同じ大分県では日田と別府の鉄輪(かんなわ)、宮崎県は飫肥(おび)、福岡県は筑豊、熊本県は天草と熊本が取り上げられている。

もう20数年前になるが営業マン時代に2年半ほど九州地区の代理店開発を担当していた。だから九州の土地勘はあるものの東半分、JRでいうと日豊本線沿線の大分、宮崎両県は別のメンバーが担当していたので行ったことがない。いや幼稚園の頃に別府、中学校の修学旅行で宮崎、日南海岸はたしか行ったな、えーと青島、サボテン公園、鵜戸神宮・・・途中は眠くてずっと寝ていたからよく覚えていない。「よし、行くならそっちだな」。

大分までは飛行機で、まずは鉄輪で1泊して温泉三昧。それから小京都・飫肥に移動してと。この町出身の苔の研究家・服部新佐博士が開いた服部植物研究所は世界唯一の蘚苔類研究機関か、ここもぜひ!おっ、焼酎を呑みながら座ったまま弓矢で的を射るという四半的(しはんまと)は「大人の遊びの真骨頂」とあるからぜひ楽しまなければ。おやおや、見出しの大活字にルビが振ってあるのに「市半的」になっている。これって<最後の校正ミス>だよ。(他人の間違いにはすぐに気付く)ついでに飫肥からJR日南線で2駅の港町・油津にも足を伸ばすか、放浪の俳人・山頭火も「海はとろとろと碧い」と日記に書いた。どんな色の海だろう、久しぶりに潮の香りを楽しむのもいいな・・・。こうして頭の中にそれぞれの町の情景が浮かび「旅行計画」ができ<心はすっかり旅人気分>に。

最後に和久田編集長の旅の醍醐味と感謝のことばをすこしばかり紹介しておこう。

「たとえ同じ場所に何度行ったとしても、ひとつとして同じ経験はない。旅はいつも予測できないことが起こるからやめられない。その高揚感を伝えたくて、いままであらゆる場所を、あらゆる視点で取り上げて来ました。残念ながらこれでお別れとなってしまいましたが、どうか皆さんはこれからも旅する楽しさを、喜びを、尊い時間を忘れないでください。人生において、こんなに刺激的なことはありません。感謝をこめて。そしてまたいつかお会いできる日を夢見て」。

いやいや、こちらこそご苦労さまと言っておきます。そしてありがとう!

ではまた

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