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書斎の漂着本 (56)   蚤野久蔵 女體開顕 

本はときに不思議な運命をたどる。初版5,000部のうち、この一冊は「貸本用」に買い取られながら“お役御免”になって古書店に流れ、その後、何人かの所有者を経てわが書斎にやってきた。当時の注目作家のひとりで、貸本にしては目立った痛みや汚れがないのはなぜだろうと考えるうち、理由は発行時期にあるということに思い至った。昭和18年6月20日に中央公論社から発行された岡本かの子の『女體開顕』の初版本である。

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この年2月、中部太平洋ガダルカナルでは日本軍が完全撤退、4月には南部太平洋ブーゲンビル島で連合艦隊の山本五十六司令長官が戦死した。撤退にもかかわらずそれは<転進>とされ、山本の戦死は1か月以上も秘匿されて5月21日にようやく大本営から発表された。そのわずか一週間後には北部太平洋アッツ島の守備隊が玉砕した。こうした情勢にもかかわらず陸軍のポスターは「撃ちてし止まむ」だったが、食糧不足などにより窮乏していく国民生活は「欲しがりません、勝つまでは」で<代用食>のサツマイモやカボチャの生産が奨励されるなど読書どころではなかったのである。表紙裏に押されたスタンプから京都・出町柳にあった貸本屋兼業の古書店キクヤ書房が仕入れた来歴が分かる。[非賣品 貸本 第〇号]の枠に数字が記入されていないのは貸本としての出番がなかったからだろう。

ところで「岡本かの子とはどんな人物?」という方もあろうから、ひとことで紹介すると万博の「太陽の塔」などを制作したあの芸術家・岡本太郎の母である。それではそっけなさ過ぎるから付け加えると、旧姓は大貫、明治17年(1884)東京青山にあった同家の別荘で生まれた。大貫家は神奈川県高津村二子(現・川崎市)の大地主で代々幕府御用商をつとめた。跡見女学校に通っていた16歳から『女子文壇』などに歌や詩を投稿し始め与謝野晶子を訪ねて「新詩社」の同人となり、『明星』などに歌が掲載された。後に当代を代表する漫画家となる上野美術学校を出た3歳年上の岡本一平と結婚したのは明治43年(1910)で、翌年、長男太郎を出産した。

一平は朝日新聞に書いた漫画のコマ絵が夏目漱石に認められたことで正式社員となるが、収入の増大とともに放蕩が始まる。芸術家同士という強烈な個性の衝突で別居、同居を繰り返すなどの危機を乗り越えて、かの子は歌人だけでなく仏教研究家として活躍する一方で自宅に夫公認で愛人を住まわせるなど奔放な生き方が世間の話題になった。晩年は芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』で作家として認められると息子太郎への愛を込めた『母子抒情』、自由と虚無をテーマにした『老妓抄』などを次々に発表したが、昭和14年(1939)2月に脳出血により49歳で急逝した。

注意深い読者ならお気づきかもしれないが『女體開顕』はかの子の没後に出版されたものである。表紙の装丁は一平で、わざわざ「太郎案」としてあり、少女スケッチの挿絵と中の扉絵は太郎が描いている。一平は「世俗の常識を超えた夫婦」と言われながらもかの子を<童女であり聖女でもある>と変わらず評価し、太郎も母の存在を誰よりも大切にした。一平は生前のかの子の希望でもあったのでその死を公表せず、死に顔に化粧を施すと東京中の花屋から買い集めたバラの花で飾って友人と二人で多磨墓地に運んで土葬にしたことも話題になった。

このとき、太郎はパリにいた。一平が昭和4年のロンドンでの海軍軍縮会議の朝日新聞特派員として渡欧した際に上野美術学校を休学して両親らと同行し、その後は帰国する両親と別れてフランスへ渡った。画廊でピカソの作品に出会ったことで衝撃を受け、絵画制作に打ち込んでいたが10年の滞欧はドイツのパリ侵攻をきっかけに終わる。母の死の翌年の15年に帰国して二科展に出品した滞欧作品で入賞すると個展を開くなど画家としてのスタートを切った。そんな太郎に補充兵としての召集がきたのは30歳を迎えた17年だった。出征前に父にアイデアを出したのはひょっとしたら戦死するかもしれないからこれが作品としては最後になるかもという思いも込められていたか。
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『女體開顕』にはヒロイン奈々子の13歳から14歳までの少女期が描かれている。新橋界隈にあった老舗料理店の看板娘で、着飾って宴席に座るだけであまりの可愛さに客の人気が殺到して別のお座敷からもお呼びがかかった。その一方では当時は「三菱ヶ原」と呼ばれた大都会東京に取り残された荒れ野原で男の子たちと戦争ごっこをして遊ぶという二面性もあった。作品に登場する20歳で既に人生に倦み、自分の心に<空洞>を抱える画学生の美少年・鳳作には何やら若き日の一平の姿が垣間見える。ならば奈々子は幼き日のかの子自身の投影だろうか。延々と続く展開は、鮫洲まで鳳作の船を見送りに行った奈々子が大森駅から乗った汽車のなかで初潮を迎えたところで唐突に終わる。

紹介した一平の挿絵は少女がお手玉に模した<惑星>などを放り投げている。なかに土星のように環があるものや流れ星、なぜか左端には「ほおずき」らしきものも。これらが意味するものは何だろう。帯の真ん中には明らかにとぐろを巻いた蛇も描かれているから、こちらはかの子の<蛇性>を象徴しているようでもある。一方、太郎の挿絵は、同じく少女を描きながらも、美少女というより記憶の底にある若い日の母・かの子のようでもある。そういう意味からこれは世にも不思議な三人の<合作>であると思えてくる。そしてこれが戦前に出版されたものではかの子最後の長編小説となった。

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