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書斎の漂着本(71)蚤野久蔵 年年歳歳

阿川弘之の『年年歳歳』は新潮社版の全集=『阿川弘之全集』で読んだ記憶がある。あるいは講談社版の『日本現代文学全集』だったか。図書館で借りて、いや短編なので借りずに館内で読んだか、その辺はあやふやであるがいずれにしても社会人になってからだった。以前、会社の同僚からそのころ話題本に取り上げられた「海軍三部作」最後の『井上成美』を「もう読みましたか」と聞かれて「そのうちぜひ」と答えたもののそのままになった。自称・三等車クラスの鉄道マニアなので『南蛮阿房列車』シリーズ、随筆『食味風々録』や『文藝春秋』の巻頭随筆をまとめた『葭の随から』シリーズの『人やさき犬やさき』、『エレガントな象』などはすぐに読んだのに。

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これは正進社名作文庫『年年歳歳』で、他に阿川の時代小説『煙管』など4作と戸川幸夫の動物シリーズ『飴色角と三本指』、『爪王』が収録されている。1970年(昭和45年)発行で定価100円である。現状はいわゆる「裸本」だが、当時の岩波文庫などと同じように発売時にはその上にハトロン紙をかぶせた「ハトロン装」だったのかもしれない。

巻頭の「特色」には
・内外の古典から現代まで、中学生にとって必読の文学書を名作中心に収録した。
・中学生にじゅうぶん読めるよう、現代かなづかい、当用漢字を使用、難解語句には、見開きページごとに語注をつけた。
などとあり、くり返し「中学生」が出てくるところからも中学生向けの文庫らしい。

「はじめに」では編者のひとり中山 渡が高らかにうたい上げる。

意味だけではない 響き におい 光 リズム みんなもっていることば
人間の心の底に自然を見付けたり 自然として生かさないものを見つけたり
ことばは見据える 見据えて ゆるぎない世界をつくる
作っている言葉にいざなわれ 発見する豊潤なる未知の世界
そこでのびのびと空をしなやかな手にささえる
APOLLOもEXPOも静かに流れ去り 砂はさらさらこぼれ
ぐうんと湾曲する新しい神の生誕はぼくの胸の裡
おお この 読む喜び!
午前の陽光に南の風そよぎ 飛翔する手にかかえる一冊の本から
凛と呼びかける声 啓示の言葉よ

中山は東京・葛飾区教育委員会の指導主事で詩人、日本文学関係の研究や評論活動もしているとある。唐突に「APOLLOもEXPOも」と出てくるのはなぜと思ったらこの前年にアポロ11号の月面着陸、この年は大阪万博=EXPO70が開かれたのを思い出したが詩人でもない身には・・・。

阿川は私と同郷の広島生まれである。広島高師付属中、旧制広島高校を経て東京帝国大学文学部国文科に進み、繰り上げ卒業で海軍予備学生として海軍に入隊する。中尉に進級直後の1944年(昭和19年)8月、支那方面艦隊司令部附として中支に派遣中に終戦を迎えた。ポツダム宣言受諾で一階級上がる「ポツダム大尉」として46年(同21年)3月末、米軍の輸送船で上海から博多港に復員した。

『年年歳歳』は主人公の加川道雄が乗った列車が博多駅を出発するところから始まる。

ひとゆれすると復員列車①はゆっくり動きはじめた。ベルも汽笛も鳴らなかった。日は暮れかけ、こまかい霧のような雨が客車のガラス窓をしずくになってつたっている。うすくらがりの中にあぶらじみた顔をした人々が荷物といっしょに折り重なって乗っている。車内灯はついていない。道雄のまわりはみな、上海からいっしょに帰って来た海軍の者ばかりである。棒きれを持った異国の兵士に、「ハシレ!」「イソゲ!」とせかされて、雨と汗でべとべとになりながら、DDTの消毒、荷物の検査、証明書の交付、金銭の支給、食料とたばこと外食券②の配給、と上陸してから目の回るような数時間を過ごし、博多の町がどんなに焼けてしまったのかを見るひまもなかった。

語注には①第二次大戦直後、敗戦によって外地から帰ってきた軍人をはこぶ列車。②主食が自由に売買できなかった戦中戦後、外食者のために発行された食券。とある。

やがて眠りに落ちた道雄が目を開けると列車はまっくらなまま走り続けている。

広島の父ははのことが心の影だった。広島。上海の集結地の浮浪者の子どもでも原子爆弾の広島は知っていた。目の悪い母と、中風で半身のきかぬ父とふたりの老人が、生きていてくれとは望めなかった。(中略)はたして己斐を通過すると急に被害があらわになってきた。初めはしばらく家がまばらに残り、大地震のあとのように傾いているのが見えたが、すぐに何もなくなった。線路の右と左には、見渡すかぎりの瓦礫の原が果てもなく続いている。上海で見たアメリカの雑誌に「原子砂漠」ということばが使ってあったが、そのとおりの感じだった。道雄はつばをのみこみながら、食い入るように変わり果てた故郷の町を見続けていた。
「家はどのへんですか。」
「待て、待て。もう少しして二つ目の鉄橋を渡るとき左側に見えるんだ。」
それでももしかして、と思うと道雄は興奮してきた。ゆるいカーヴを描いて列車は走っている。鉄橋にかかる。
「きれいなもんだ。」
彼はなるべくおちつくようにした。何もありはしなかった。家のあたりも北の果てから南の果てへ同じ焼け野原である。昔は汽車からは見えなかったビルディングの残骸がぽつんぽつんと見えた。焼けただれて黒くとがった木々の姿はぶきみであった。同情していてくれた兵士たちは黙っていた。
「でも麦が生えている。」
だれかが言った。ほんとうにそうだった。焼けあとに麦がよく伸びていた。それは何か心を明るくした。

いささか長く引用したが、加川の実家があったと書かれる広島市白島K町は阿川の実家の白島九軒町がモデルなら、上り列車の車窓からは同じく「二つ目の鉄橋を渡るとき左側に」見える。年老いた父母の状況もまったく同じである。

加川はあちこち訪ね歩いてようやく親戚のバラックに身を寄せていた父母に会うことができた。中風を患う父、大阪なまりの母というのも阿川の家族状況と同じで母の実家は刀剣や骨董を商う商家だった。さすがに中学生向きのていねいな語注といっても著者の家族関係についてはいっさい書かれていない。

加川は広島に一週間滞在し、甥と宇品の海へ潮干狩りに行き、ハマグリやアサリを二升も拾ってきて母親を喜ばせる。別の日には市場へ買い物に行き、カキとナマコと、牛肉とネギとを買って電車に乗る。

バラックもまだちらはらしか見えない町を、電車は鈴なりで走っていた。
「のうのう、そこのおごうさん、切符はどうしましたか。払うておりてつかあさいよ。わしらもおかゆを食うてやっとるんじゃけんのう。」

広島弁独特の「おごうさん」には語注に「おかみさんの意」とあって、久しく聞かなかったから私も懐かしい。潮干狩り、市場での買い物はさておき、電車=市電でのこのやりとりは阿川の実体験だったのではあるまいか。題名は、母親を誘って花見に出かけた加川が道端で売っていたアサヒグラフを「初めて買う内地の雑誌」として求めたなかにあった。

表紙を開くと、東京らしい焼け跡の写真があり、画面の下半分には梅の花が咲いている。右の上にくずれそうな白い三階の建物が見え、花の下ではひとりの老人と三人の女とが、土を耕していた。左の肩に、
年年歳歳花相似  歳歳年年人不同
と唐詩が記してあった。

語注には、くる年もくる年も、花は同じように咲く。だが、人の運命は必ずしも同じではない、とある。

作品解説で中山は「この作品は、昭和21年、作者の処女作として発表されたものである。原爆にくずれさった郷里広島に帰る復員兵を主人公にして、帰るまでの不安、思いがけなく健在だった両親との再会の喜びが淡々と描かれている。敗戦後の世相や人心が作品の背後ににじんでいて、主人公と両親との間に流れる人間的な情感の美しさ、ヒューマニズムの清らかさには、人間が本質的に持つ生命の暖かさが感じられる。終章をくり返し読み、さらにはじめからもう一度読みとおしてほしい。作者の感動の深い世界が追体験されよう」と書く。

「七十年住めないなんてうそなんだね。麦がよくできているじゃありませんか。」という加川のせりふにも繰り返し描かれる麦生。満開の桜、梅の花、他にも菜の花や、川に泳ぐ魚・ハエ、なによりもたくましく生きる人々の姿がある。

はたしてこの名作文庫を手にした中学生たちは『年年歳歳』を中山のメッセージや解説を踏まえてどう読んだのだろうか。

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