“6月16日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
*1948=昭和23年 大阪の繁華街に百円札が貼られるという「浪花の天狗騒動」がはじまった。
時ならぬ人だかりができたのは早朝の阿倍野橋の上。みんなの視線の先には橋脚に貼られた一枚の紙に百円札が貼り付けられ、墨あざやかに「許す、この金を盗って走れ、生活苦から自殺や強盗を企てる者にこれを与う。この金を使って真人間になれ。街の天狗」とあった。
「なあ、盗ってもええいうてるで」「そう言われたかてなあ、なんや気色悪いやんか」とがやがや話しているところへ巡査がやってきて<証拠品として押収>していった。
一週間後、こんどは大阪城内にあった警察局の庁舎ドアに同じく百円札が。文面は20日に強盗犯に抵抗されて刃物で重傷を負いながらも犯人を逮捕した巡査の名前をあげて
「極悪犯罪の防止に自己の命をかけて凶刃と戦った貴君の行為に深甚の敬意を表し世人に代わって天狗賞を呈す」
と書かれていた。
それでどうなった、ですか。阿倍野橋の百円札は阿倍野区の児童相談所へ、警察局のほうは病床の巡査に届けられた。目撃した人の話では40歳そこそこの男性だったそうで。その後、月光仮面、矢吹丈(「あしたのジョー」)、伊達直人(「タイガーマスク」)と主役は交代、いや月光仮面はまだ続いているそうだからひょっとしたら<二世>かな。
マスコミがそのたびに「なんとか現象」と書き立てる街の篤志家たちのささやかな善行。
「やらない<善>よりやる<偽善>」なんて言うと叱られそうだからそれらの<元祖>は大阪にあり、ということで。
*756年 絶世の美女、楊貴妃死す!
大阪の話のあとだから「ほんまでっか」と言われそうなので「らしいでっせ」と始めます。
中国・唐の玄宗皇帝の皇妃。皇帝がまつりごと=政治そっちのけで寵愛したから「傾国の美女」と呼ばれる古代中国の「四大美人」のひとり。芭蕉が「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んだ春秋時代の西施と漢の王昭君、それに後漢の貂蝉(ちょうせん)が残る三人。
唐の詩人白居易は長編詩『長恨歌(ちょうごんか)』で帝と楊貴妃のラブロマンスを歌い上げている。もっとも時の皇帝に遠慮して主役は「漢の王とその妃の物語」に変えてあるから<楊貴妃もどき>ではあるけれど。
まず容姿から
視線をめぐらせて微笑めば百の媚態が生まれる、温泉の水はなめらかな白い肌を洗う。
やわらかな髪、花のような顔、芙蓉の花は彼女の顔にそっくり、柳は彼女の眉のよう。
以上のモンタージュの結果は<眉の細いぽっちゃり美人>。
彼女の罪
ぞっこん参った帝は日が高くなってからしか起きなくなり、まつりごとがおろそかに。
彼女の親戚はみな烈士(=高位の役職)にとりたてられた。
そうこうするうち「安史の乱」(安禄山の乱)で都の洛陽が陥落したことで「賊の本(もと)」であるとして楊貴妃に批判が集まる。彼女は「たしかに国の恩に背いたので死んでも恨みません。最後に仏を拝ませてください」と言い残して縊死したと。
楊貴妃の死を聞いた帝はたいそう悲しみその「後日譚」が後半部分。
道士に術を使わせてようやく仙界=天国にのぼった彼女を探し出す。螺鈿の小箱と金の簪(かんざし)をプレゼント。小箱の蓋と簪の半分は私=帝の手元に
「天にあっては比翼の鳥、地にあっては連理の枝」という愛のメッセージ付きで、これは二羽の羽がくっついて一羽になった鳥のように、地にあっては生えた二本の枝が一つになったように(私たちは愛を誓いましたよね)などに至っては「ちっとも反省していないじゃないの」と思える。<仙界に届けた半分>はきっと道士たちがくすねたのでしょう。それでも国は滅ばなかったみたい。
平安貴族にもこの<海外スキャンダル>はちゃんと届いていたようで紫式部が『源氏物語』に、清少納言は『枕草子』にしっかりと書いております。
*1897=明治30年 アメリカとハワイが合併条約に調印というか実質的には併合した。
それより16年前の1881=明治14年に訪日したハワイの第7世カラカワ国王は、明治天皇に姪のカイウラニ王女の夫君を日本の皇室から迎えたいと密かに申し入れた。しかし日本は翌年「前例がない」などの理由で断った。
国王には子供がいなかったので日本に国=布哇国を継いでもらい、アジアの一員になることで白人支配に抵抗したいと希望した。王の随伴記にあるが、もしそれが実現していたらというのは歴史によくある<たら・れば>の話。