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“8月21日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1945=昭和20年  内田百閒の『東京焼盡』はこう終わる。

八月二十一日火曜日十三夜。晴
午後出社す。夕帰る。こなひだ内から毎日麦酒が飲みたくて困る。大分間があいたからである。麦酒やお酒が無い為の苦痛を随分嘗めたがこの頃は以前程には思はない。世の中の成り行きで止むを得ないと云ふ諦めも手伝ってゐるが、一つには焼け出された後はそれ迄とお膳の模様がすっかり変わって仕舞ったので以前の様に座のまはりの聯想に苦しめられると云ふ事が無くなった所為もあるだらう。それでも欲しいと思ひつめるのはよくよく欲しいのであって我儘だけでなく身体が欲しがるのだと思ふ。それでも無ければ、無い物は仕様がない。この数日来の新聞記事を読んで今迄の様な抵抗感情を覚えなくなった。何しろ済んだ事は仕方ない。「出なほし遣りなほし新規まきなほし」非常な苦難に遭って新しい日本の芽が新しく出てくるに違ひない。濡れて行く旅人の後ろから霽(しぐ)るる野路のむらさめで、もうお天気はよくなるだらう。

『東京焼盡』は昭和19年11月1日から始まる。巻頭の「序に代へる心覚」の第一節に「本モノノ空襲警報ガ初メテ鳴ツタノハ昭和十九年十一月一日デアル」とあり、その日を第一日として書き継がれた約3百日の日記である。この3百日の間に東京は一面の焼け野原と化した。まさに焼盡である。百閒の加賀町の旧居、左内坂の桐明居、合羽坂の旧百鬼園もすべて灰燼に帰した。百閒は東京駅や日銀本店などを設計した建築家・辰野金吾の長男で東京帝大教授のフランス文学者、辰野隆の推薦で昭和14年から日本郵船の嘱託をしていた。はじめは執筆の傍らだったが戦争が激しくなると執筆の依頼もなくなり郵船の勤務が生活の基盤となっていく。午後出勤で夕方までのうらやましい勤務だった。「濡れて行く旅人の後ろから霽るる野路のむらさめ」に俳人・山頭火の姿がなぜか重なる。

*1981=昭和56年  京都を中心に活躍した画家・イラストレーター石原薫の遺作集が出版された。

前年11月4日、肝硬変で52歳でなくなったが葬儀の参列者への香典返しで『蛙香辺閑話』というタイトルがつけられた。蛙香辺は<アカンベ>でも<あかんべ>でも「どちらでもかまへん」ということだった。指で下まぶたを下げて相手に見せる拒否しぐさやことば=『広辞苑』からの石原独特のシャレ。画壇や同業者という人達の生き方にアカンベ、世事にもアカンベ。中庭を挟んで仕事場=画室と生活スペースとの2棟が建つ住まいも同じく蛙香辺と号した。

上鳥羽は低地で昔はよく水に浸かったので表の軒下には避難用の和舟が置いてあり、すぐ横にお地蔵さんの祠、玄関そばにアメリカとドイツの郵便受け、ドイツのレストランの看板、麻のれんをくぐった中庭のポールには「アカンベ共和国」の旗。裏の仕事場へ行くには庭下駄をはく石があり「ローリング・ストン」という“名所”だった。石がぐらぐら揺れるから時に知らない人がストンと落ちたり捻挫したり。それも本人の不注意だからアカンベ。

1930=昭和5年、石原は蛙香辺のある京都・上鳥羽の鳥羽街道筋に生まれた。3歳で父親が病死、母親に育てられていたが13歳の時に山梨の工業学校へ進もうと<家出>、しかしいろいろあって海軍のエンジン機関士見習いになる。その頃には飛行機乗りも減っていたから実際に操縦桿を握ることになって香取、霞ヶ浦基地で零戦の練習機で訓練を重ね、終戦直前に霞ヶ浦を飛び立ち神町基地(山形)経由で千歳まで飛んだ。途中、アメリカ軍のグラマンの機銃掃射を浴びての尾部に弾が当たったがそのまま飛行して神町にたどり着く。ほんの数センチそれていたらアカンベどころではなかった。修理して千歳に無事着いたところで終戦。16歳だった。京都に戻ると独学で絵を学びイラスト画家として広告宣伝や染色会社のデザイン、友禅の下絵を手がけるなどユニークな存在で重宝され、安井曾太郎賞候補になったことも。これは本人がアカンベと断ったのか落選したのかは不明。

ところで石原にはあきれるほどの「コレクター癖」があった。<いったん玄関を入ったモノは出て行かせない>という主義。ワイン・ウイスキー・ブランデー・ウオッカ・日本酒の瓶がミニボトルも入れて1千本、外国たばこ、カメラ、マッチ、ブーツ、石鹸、香水瓶、豆本、蔵書数千冊。アメリカン・ドール・・・その数2万点以上。何より有名だったのが「女性下着のコレクション」で実際にはいているのを新品との物々交換で手に入れる。その数1,200枚は自宅奥の桐箪笥と欅の仙台箪笥にしまっていた。「下着コレクター」としてよく11PMなどのテレビ番組などに登場する有名人でもあった。彼一流の美学で「ステキと思う人からしかもらわない」しかも“誘ったあと”でもらうのは邪道だからアカンベ。

『蛙香辺閑話』にはノンフィクションライター・いそのえいたろうによる『あかんべの人生』という下着収集のあれこれを紹介する20ページの冊子が付いていた。後にいそのの『性人伝』(徳間文庫、1996)にその一部が収録された。

なぜ紹介したかというと先日、連載後半の資料を整理していたらこの本が書庫から見つかったから。彼とは友人だったのでよく飲んだ。彼の家=蛙香辺が帰り道だったので寄って飲み直したり、飲み会をしたこともある。ただしあのコレクションは「寺でいう秘仏みたいなもの」とされていたからアカンベ。わが仲間は誰も見せてもらったことはない。

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