新・気まぐれ読書日記 (2) 石山文也 装丁問答
あの丸谷才一さんの句に「枕もとに本積めばこれ宝船」というのがある。枕もとに読んだ本をついつい積みっぱなしにしてしまう癖のある私、ある晩<宝船が座礁する夢>を見て、というか本が崩れて頭に当たった拍子に夢から覚めた。これはいかん、と積んだままにしていた本を久しぶりに片付けたが崩れてきたのが読みかけの新書で良かった。それが最初に紹介する『装丁問答』(長友啓典、朝日新書)だ。いったん目が覚めたらなかなか寝付かれないのがわかっているからついでに読み切った。おっとこれは余談。
愛称“トモさん”。いまなお第一線で活躍するグラフィックデザイナーで装丁家である。本屋さんを“徘徊”してジャケ買いを楽しみ、本の装丁は「時代」をうつす鏡と出合った装丁の魅力を熱く語る。本を愛する人にはたまらないブック・エッセーである。
50年前、桑沢デザイン研究所に通っていた頃にモダンジャズにのめり込んだ。どこのジャズ喫茶に行っても例外なく演奏中のレコードジャケットがプレイヤーの横に立て掛けてあり、<盗みたくなるほど>カッコ良かった。デザインには抽象画あり、具象画あり、写真も臨場感溢れる演奏から心象風景、観念的でアーティスティックなものまで、コミカルなイラストレーションもあった。まるで平面デザインの宝庫、ここでデザインの表現を教わったといっても言い過ぎではないと言う。レコードジャケットに魅せられ、気に入ったものがあれば記憶にとどめ中古レコード店を小まめに回って探し求めた。「ジャケ買い」の発祥はモダンジャズから始まったと。多くのアーティストがジャケットのデザインで競い合った時代、デザイナーになりたいという願望から長友のジャケット=装丁修行が始まった。そのレコードジャケットが衰退し、書籍にとって代ったが「これだ」と思った装丁本を購入して内容のつまらないものに出くわしたことがないとも。
「本屋さんを“徘徊”する心地良さはここにある。素晴らしい装丁の本に出会った時である。申し訳ないが今のところ電子書籍では味わえないと思う」(「はじめに」)
ある昼下がり、事務所に付き合いのある編集屋と印刷屋がふらりと遊びに来て展開するとりとめのない会話、という設定の「対談」は出版界の変遷から始まり、本作りの究極の質問「いい本を作るための秘訣」から一気に“装丁の核心”へ。ひとつだけ紹介すると「“装丁”にルールなんてない。無限の可能性がある!」。
自身の作品も多く紹介されるが、鎌倉の古書店で出合った版画家の棟方志功が装丁した谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』(昭和37年初版)の話は興味深い。谷崎は菊判の豪華本にしたかったが、出版社から菊判にすると売れ行きが悪いので四六判にして欲しい言われて、四六判では面白味がないと抵抗したものの、菊判と四六判では売れ方が倍違うと出版社に押し切られる。「印税に影響する」の一言であっさりと菊判を断念し四六判で許可した、などのうんちくを紹介。「この装丁は僕の中で古今東西のベストテンに入っている」(「あの谷崎も人の子だった?」)。
南伸坊、和田誠、祖父江慎、平野甲賀、菊池信義、横尾忠則、佐藤可士和と読み進むと、先輩のご相伴で何度か杯を交わした矢島高光の名前を見つけた。作品は梁石日の『睡魔』。「まず色の選択が良い。清潔感漂うレモンイエローを一面にひき、タイトルは明朝体の黒という、対照的な組み合わせ。目立てばいいといういまの流行とは違い、すっきりした印象だ。書体の滲み具合も印象深い。人間の欲望の本質を暴き、人をマインドコントロールするシステムを描いた本の内容のイメージを静かに浮かび上がらせている」(「俺が俺がと大絶叫」)
長友の絵を黒田征太郎がデザインして初めて公募展に応募した「ストリップ劇場のポスター」以来40年も同じ事務所「K2」をやってきた盟友の黒田が寄せた「長友のこと」も何とも言えない味がある。
自作の多くを手掛けてもらってきた伊集院静は昨年60歳になった新しい出発の作品『お父やんとオジさん』の装丁を長友に依頼した。
「素晴らしい本になった。トモさんの装丁を見ていると、そこにトモさんがにじみ出ている。哀しい作品にはトモさんの哀しみが、陽気な作品にはトモさんの悦びが伝わってくる。――これはトモさんという人間が出ているのだ。装丁は人なのだ。」(「解説 装丁は人である」)
もう一冊『鈴木成一装丁を語る。』(イースト・プレス)を紹介しよう。いまやブックデザインの第一人者といわれる著者初の単著で、これまでに手がけた約8000冊から120冊を厳選し、それぞれの本の個性を引き立てる「演出」方法を自ら解説している。紹介される書影は全てカラーなので「ああ、この本買った!」とか「へえーあれも彼の装丁だったんだ!」という声が本好きの皆さんから上がりそうだ。
例えば東野圭吾の『白夜行』とか、川上未映子の『へヴン』とか、劇団ひとりの『陰日向に咲く』とか、大江健三郎の『水死』とか、桜庭一樹の『私の男』とか。あるいはミリオンセラーになった『金持ち父さん貧乏父さん』だったり、忌野清志郎の追悼出版となった『ロックで独立する方法』だったり、格闘家・須藤元気の『キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン』だったり、宮藤官九郎の自伝的小説『きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)』だったり、<なぞり書きブーム>の先駆けとなった『えんぴつで奥の細道』だったり。なにせ120冊だから<とか>と<だったり>ばかりではきりがないか。それぞれの解説には意表をつく裏話あり、想像を超える発想の転換法ありで引き込まれてしまう。
「(タイトル文字は5歳の)息子に初めて、筆を持たせて、脇で私が見本を書いて<こういうふうに書いてみて>と言って書かせたんですが、まったく書き損じがなく一回目のものをそのまま使いました。一発OK。こちらで何も加工してません」(『陰日向に咲く』)。
「自分ではこういう投資みたいなことに全然興味がなくて、イメージがまったく湧かないものですから、ほとんどタイトルだけで発想して作ったものです。そのせいか、いわゆる経済本っぽくならなかった、露骨なお金の匂いが希薄というか、それがよかったのかもしれない(笑)」(『金持ち父さん貧乏父さん』)。
「手本の文字をすべて書いたのは、大学時代の同期で書道を専攻していた友人ですが、予想外の100万部超えの大ヒットで、好評につきシリーズも全5巻になりましたが、巻が進むごとに手本の文字が上手くなっていくという不思議な現象も忘れられません」(『えんぴつで奥の細道』)
実は長友の『装丁問答』では鈴木の仕事について「装丁で一番大切なのは、品である。画品とかはよく言われているが、本品とはなかなか言わない。でもどことなく、本屋さんの平台なり棚なりから、品の香りがただよってくるのが不思議というもんだ」さらに「ここ10年ぐらいの間に相当数のブックデザインをされて、しかもかなりの率でストライクをとっている。僕が言うところの」(「本屋にただよう品の香り」)
鈴木は装丁の世界に入るきっかけをこう書いている。「学生の頃に劇団のポスターをデザインしていたんですが、その劇団を主宰する演出家が戯曲集を出すというので<装丁もやってくれないか>と。それで、見よう見まねで、よく考えずに闇雲にやってみたんですね。そうしたらたまたま、それを見た編集プロダクションの人が<うちの単行本もやってくれないか>という話になって、それもまあまあ評判がよかったみたいで、ほかの出版社からまた依頼の話があって」(「はじめに」)。
この装丁第1号は鴻上尚史の第一戯曲集『朝日のような夕日をつれて』、長友のいう<初ストライク>をとったきっかけを初めて明かしている。
奇しくも装丁の道へのスタートが長友の「ストリップ劇場の」と鈴木の「劇団の」という違いはあるが、同じく<ポスターだった>という符合はなかなか面白いではないか。
では