池内 紀の旅みやげ (6)巷の温泉──京都・中書島
旅先で銭湯に出くわすと寄っていく.街歩きの強力な助っ人であって、コーヒー一杯分の値段で全身の疲れがとれる。
ひところとくらべると、うんと少なくなったのだろう。人、人、人がひしめき合った東京ですら、入りの悪さにノレンをしまうケースがあとをたたない。家庭風呂がゆきわたり、独身用のアパートも風呂付きでないと埋まらない。そんなご時世に、年々人口がへっていく地方都市で銭湯と出くわせるのか?
銭湯は都道府県の管轄だから、しかるべき窓口に問い合わせると、数字で示される。いかにも急テンポで落ちこんでおり、廃業に歯止めがかからない。銭湯は二つの脱衣場、二つの浴場、大きな焚き口のほか、裏手に燃料置き場がそなわっていて、不動産屋にはネライ目なのだ。一つ落とせば広大な更地が手に入る。しかも本来の役目がら、人の出入りしやすいところに位置している。
だが──そうはいえ、健闘している銭湯もけっこうあるのだ。思い出すままにあげていくと、福島県三春町では赤レンガの古風な煙突が目じるしだった。ちゃんと煙を吐いている! ちょうどおやじさんがノレンを出したところに行き会わせ、文字どおりの一番風呂。古風なタイルがピカピカに磨き上げてあって、高い天井から木桶の音がくぐもって返ってくる。湯上がりに入口の長椅子で涼んでいると、冷えた麦茶をふるまわれた。
栃木県栃木市の中心街の裏通りで小さな古ぼけた銭湯が営業中だった。番台には若い人がすわっていたが、建物自体は「じいさんの代」そのままとか。そういえば脱衣場のわきに階段がついていて二階に上がれる。現在は物置だが、以前は畳の広間で、休憩してよし、将棋を指してもよし、アンマを呼んでもよし。町のサロンだったそうだ。
「せっかくだから壊したくないんだ」
若い人がたのもしいことを言う。商売としてならやってられないが、昔ながらのファンがいて、その人たちが元気で来られるうちはつづけたい。
柱にエナメル広告が下がっていて、商品名が「トッカピン」。音感から強精剤かと思ったが、そうではなく、お湯に汗くさい匂いのつくのを防止する入浴剤。それほど銭湯の混み合う時代があったわけだ。
新潟県と富山県の県境に近い糸魚川市は、海沿いに目抜き通りがのびている。旧街道の宿場町の雰囲気があって寄り道の散歩にちょうどいい。願いが叶ったのか、とてもいいお風呂に行き合った。板張りの脱衣場に懐かしい竹製の乱れ籠がかさねてある。黒光りする体重計。いかにも大工が丹誠込めた、しっかりしたつくりの格天井(ごうてんじょう)。古典的なたたずまいをそなえている。そのときは某女性といっしょだったので左右に分かれて入った。女湯は先客がいて、新入りとちょっとしたやりとりが聞こえてきた。男湯は当方ひとり。ひとしきり湯につかってから女湯に声をかけた。
「オーイ、あがるヨー」
「ハーイ」
間合いのいい声。女性づれの銭湯の醍醐味である。ここでもやはり昔からのお客がいて、その人たちのためにもつづけているという。
京都・三条から京阪電車で二〇分あまり。中書島(ちゅうしょじま)駅で降りて北に向った。徒歩一〇分のところに幕末の「寺田屋騒動」で知られる船宿寺田屋がある。薩摩藩の定宿だったころ、勤王倒幕のもつれから九人が殺された。血なまぐさい歴史をもっているが、現在も旅館経営をつづけているところがけなげである。
駅に近いところは、昔は酒どころ伏見の客めあての花街だったようで、それがスナックやバーに模様がえをした。勘がはたらくもので、ひそかに予想して歩いていると、やはり銭湯と対面した。昭和初期に流行したアール・デコ調のファサーデに「温泉」とレリーフがついている。関西では銭湯を「温泉」というのだ。上に逆さクラゲのマークがあったらしい留め金のあと。小窓の下にテラコッタの飾り物。入口は改造されて今風だが、正面に巷の温泉だったころのハナやぎをのこしている。
まだ時間前でノレンが出ていない。サウナや泡風呂、ジェット風呂、さらにいかなるものかは不明だが「ネオン風呂」というのもあるらしい。寺田屋見物のもどりに立ち寄るとして、期待がふくらんでいく。わずか四〇〇円ばかりで胸がおどるのだから、銭湯好きは天下の幸せ者である。
それとなく銭湯の見つけ方を述べたつもりだが、おわかりだろうか? 一、煙突を目じるしとする。二、中心街なら一つ裏手の辺り、昔ながらの町ならば目抜き通り。三、かつて色町だったところは、ほぼきっとある。夕方からの商売にかかる前に、お姐さんたちはさっと身をキヨめ、それからお化粧にかかったからだ。バー、スナックになっても、水商売の作法は同じ。入口で湯上がりとぶつかりそうになったりする。火照った体から女性特有のおちちのようないい匂いがして、おもわず深呼吸したくなるものである。
[アクセス:京阪電車 中書島駅下車、北へ徒歩二分]