季語道楽⑷ 「蛙の目借時」とはなんとも滑稽な季語ではありませんか 坂崎重盛
この日曜日、吉田類さんの主宰する「舟」の句会に参加した。兼題は「探梅」(あるいは「梅探る」)。梅の名所の湯島天神への吟行。「探梅」は本来、冬の季語だが、この日の底冷えするような気候なら、かえってふさわしいのかも。湯島の梅は今年はかなり遅く、まだチラホラ。
ところで落語のマクラなどに使われる小話で、蛙の吉原見物、といったナンセンスがありますね。
青蛙、殿様蛙、小ぎたないイボ蛙たちが打ち揃って、美しい花魁(おいらん)がずらーっと控えているという吉原へ行ってみよう、ということになる。
なかに入ると、なるほどきれいどこが並んでいる。蛙のくせに見栄を張ってか、四つんばいではなく、一人前に立って、あれこれ品定め。
「私しゃ、あの妓がいいなぁ」
「そうかい、オレは、その右の妓だな」
とかいっているけど、蛙の顔が向いている方向には、そんな心当たりの妓は誰もいない。
変だな?と一瞬いぶかるが、ハタと気がつく。蛙の連中、立ち上がって吉原のなかを見ているので、目は頭のうしろ、つまり自分の真うしろの妓を品定めしていた、というバカバカしくもステキな(と、ナンセンス大好きな私は思う)話。
」
いや、本題は季語だ。季節は寒も明けて、いよいよ春。その春の季語に「蛙の目借時」がある。この場合、「蛙」は「カエル」ではなく、もちろん「かわず」と読む。
春、たけなわとなり、陽気はポカポカ、苗代(なわしろ)で蛙が鳴きたてる頃となると、もう、うつらうつらと耐えがたいほど眠くなる。
これは、蛙に目を借りられてしまうから眠いのだ、ということから「蛙の目借時」という季語が生まれた。なかなか俳味のある言葉ではないですか。
とはいえ、句会でこんな題が出されたら、かなり難儀するのでは。例句も挙げてみましょう。
そろばんと帳簿と合わず目借時 三宅応人
上手いですね。眠い感じがでていてユーモラス。
怠け教師汽車を目送目借時 中村草田男
煙草吸うや夜のやはらかき目借時 森 澄雄
およその量で買物たのむ目借りどき 平井さち子
なにか、ふんわり、のんびり、ゆったりしていますね。
こういう季語は、たとえば同じ春の季語「山笑う」のように、一度聞いたらまず忘れない。言葉が特徴的だから。
しかし、「あたたか」「ぬくし」といった一般的な言葉となると、つい、他の季節、たとえば冬の句に使ってしまうおそれがある。この季語での句作もかなりむつかしい。あたりまえすぎる言葉なのでかえって秀句ができにくい。
射すひかり石を包みてあたたかし 野見山朱鳥
髪伐った友との出逢い街あたたか 敷地あきら
縁ぬくし一人の時はよそほはず 草村素子
夜ふけの茶いれ今日ぬくきことを言う 橋本風車
気のせいか、皆さん苦労している感じがするのですが……。
「あたたか」「ぬくし」が春の季語ですから、「麗(うらら)か」「うらら」「のどけし」ももちろん春の季語。
でも、このへんは言われれば「そうだよね、春の季語だよね」と納得できるでしょうが、それでは次の季語は?
「凍(いて)返る」。どうしたって冬でしょう、字ずらからすれば。類語に「冴(さえ)返る」があります。これが、両方とも春の季語。「三寒四温」という言葉もあるが、「やあ、やっと暖かくなってきたな」と思うと、急にぐんと冷え込んだ日になる。「いや、まだまだ気をゆるめてはいけないな」と、冷気に気持ちも引き締る。
凍返る夜をあざける顔白し 石原八束
冴て返りがらんと夜の古本屋 石塚友二
冴えかへる夜や消し炭の美しき 川越苔雨
冴えかへるものの一つに夜の鼻 加藤楸邨
なるほど、なかなか好調ですね。「凍返る」「冴え返る」の言語に力があるのかもしれません。
今回は春の中の「時候」の季語から拾いました。次回も「春の季語」のつづきです。よい季語、おやっと思う季語、興味深い季語がたくさんあります。
(次回は十五日後に更新の予定)