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池内 紀の旅みやげ⒂ 据置郵便貯金─宮城県白石市

「据置郵便貯金」の記念碑ですね。初めて見ました。不思議なものだ。

「据置郵便貯金」の記念碑ですね。初めて見ました。不思議なものだ。

ことの起こりは、神社の裏手で出くわした一つの石である。立派な台座にのった大きな御影石。まん中が表彰状のようなスタイルになっていて、右から左へ七つの漢字が彫りこんであった。

「据置郵便貯金碑」

東北一帯に雪がパラついた朝のことで、大石の肩と台座に白い雪が積もっていた。記念碑は放置されて久しいのだろう、台座には小雪にまみれた枯れ落ち葉がちらばっている。

しばらくボンヤリ突っ立っていた。七文字の上に小さく「白石町二百三年」と刻んである。町ができて二百三年にあたる年に記念碑が据えられた。それはわかるが、「据置郵便貯金」とは何のことだろう?

白石町は現・宮城県白石市。奥州街道の宿場町に始まり、仙台藩片倉氏の城下町として発展した。ウーメンといって、ソーメンでもウドンでもない麺で覚えている人もいるだろう。家老上がりの殿様は目はしがきいたようで、じきじきに音頭をとって職人を育て、白石特産を生み出した。

城のかたわらに神明社がまつられている。高台から雪景色をながめるつもりで参道を入っていった。ことのついでに境内をブラついていて、フシギな記念石と対面した。

「据え置きますか?」

たいかに言われた覚えがある。定期預金の満期がきたときのことだ。

「据え置くと利子がだんだんよくなります」

定額預金には、そんなおすすめがあった。「下ろす」というと「据え置いてくれ」とたのまれた。銀行ではあまり聞いたことがない。満期がきたが更新してほしい。たしかめたわけではないが、銀行は「スエオク」ではなくて「コーシン」ではあるまいか。手続きとしては、この方が理に叶っている。期日がくれば更新か払いもどしかのどちらかである。どうして郵便局は「スエオキ」などとヘンな言い方をするのだろう?

「すえおき(据〈え〉置〈き〉)①本来・変動(異動)することが期待されるものが、期待に反して変動したり異動したりしないこと。②(年金・貯金・債券などを)一定の期間、償還・払いもどししないこと。〔新明解国語辞典〕

名詞「据え置きの動詞が「据え置く」。例として「価格(金利・料金)を据え置く」があげてある。

辞書の説明かららも、なかなか微妙な意味合いのコトバであることがうかがえる。ひそかに「期待」が背後にあるからだ。満期がくれば払いもどす、その約束で預けた。払いもどして利息と合わせ、自分の用向きに使いたい。これが預けた側の「期待」である。これに対して、いかにもその約束で預かったが、払いもどしをしないで、もう少し預けてくれ。これが預かった方の「期待」。そして「スエオク」は辞書の②が示すとおり、「払いもどしをしない」立場の言い方である。それが証拠に、当今は政府なり銀行なりから一方的に、「利子を据え置く」が申し渡され、預金金利は驚くほど低率にとどめてある。

記念碑の背中に説明がついていた。石も歳月を経ると退化するらしく、真っ黒に変色して文字が消えかけている。なんとか読みとったところによると、町の二百三年にちなみ、町民が浄財をあつめ、二百三圓を郵便貯金にする。二百三年後には「二百十二萬圓」になっているはずで、そのときに下ろして町の発展に役立ててほしい。

昭和初年、軍国主義が頭をもたげていたころである。「お国のため」が錦の御旗だった。ついては町のお調子者が音頭をとったのではなかろうか。それとも「据置郵便貯金運動」といったものがあったのだろうか。国民こぞって倹約して貯金をしよう。預金は据え置いて、お国に使ってもらう。払いもどしを我慢していれば、お国はドンと利子をつけてくれる。国のため、また人のため、据置貯金に協力しよう──。

「据置」の一語がニッポン国の性格をよく示している。この国は償還の約束づくで預かっても、一方的に変更することなど何とも思っていないのだ。そして相手側の言葉であるものを、おみこしのように担ぎ、記念碑を据えたりするのだもの、ニッポン人のおめでたさが、まざまざと見てとれる。

当時の、「二百三圓」は現在ではどれほどの額にあたるのか。三圓、五圓といったひとけた台がサラリーマンの月給だったようだから、相当の大金であって、利子計算して二百三年後の「二百十二萬圓」は、今日の億に類する。貯金が町の発展に大いに寄与したはずである。

人々の知る由もないことだった。その浄財が孫の代には、アイスクリーム一個の値段だということ。

あまりにバカバカしいからだろう、記念碑は放置されたままであるが、ちゃんと管理して、説明文をつけてもいいのではあるまいか。大切な教訓を伝えているからだ。国家がもみ手して国民に何かをたのむとき、いさいかまわず無視して、自分の「期待」に添うことにすればばいいのである。

碑の背面が読みにくかったため、前面の「白石町二〇三年」から類推して書いたのだが、町の資料にあたったところ、次のことが判明した。

大正十五年(1926)、当時の白石市長が「二〇三年据え置く」という条件で百円を町に寄付して郵便貯金にした。そのときの利率では二〇三年後には「二百十二萬圓」となるはずで、大いに町の財政に寄与したはず──。

事実はこのようである。だから「アイスクリーム一個」ではなく、「(元資は)百円ショップ一個」となる。

【アクセス: JR東日本の東北本線「白石駅」より城をめざして徒歩十分。右手となりの神社の奥】

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