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池内 紀の旅みやげ⒅ 文晁の板絵──新潟県・浦佐

上越新幹線に「浦佐」という駅がある。その駅近くにあって、「浦佐の毘沙門(びしゃもん)さま」と呼ばれている。正式には普光寺(ふこうじ)といって、真言宗の寺である。道乗坊弁覚という、いかめしい名前の坊さんが室町のころに開いたそうだ。

江戸のころから「裸押合(はだかおしあい)祭」で知られている。春三月、雪中に豊作を祈る伝統行事であって、まっ白な大ローソクがともされたなか、裸の男たちが不動の滝で水ごりをとったあと、「サンヨー、サンヨー」の掛け声をかけながら、いっせいに押し合いをする。堂内いっぱいにムンムンするほど熱気が立ちこめる。

山の斜面につくられていて、石段の上に豪壮な山門が控えている。総けやき造り、豪雪に耐えるように工夫されており、天保二年(一八三一)完成というから出来てから一八〇年以上になるが、複雑・壮麗な木組みにいささかのくるいもない。楼上に毘沙門天二十八体の彫像が配置されていて、そのため「毘沙門さま」の通称が生まれた。

浦佐の毘沙門さまの山門

浦佐の毘沙門さまの山門

簡素な本堂とくらべ、山門がいやに立派なのは、当地の豪商・関 市四郎(せき・いちしろう)が金にいとめをつけず日光東照宮の陽明門を手本にして造らせ、寺に寄進したからである。莫大な費用を要したと思うが、太っ腹な気前のいい商人がいたものだ。

そこまでは知っていたが、先日、なにげなく立ち寄り、あらためて山門をながめていて、楼下の天井に龍の絵が描かれているのに気がついた。雲に乗り水を吐くという龍神由来から防火用に描かれることは多いが、形どおりのまじない図ではない。二つの大きな龍がむつみ合ったかたちになっていて、目玉、ひげ、角、ウロコ、爪……筆づかいは雄渾、省略と構図があざやかで、さして広くない楼下天井が躍る双龍をいただき、無限のひろがりをおびたぐあいである。天井画だから振り仰ぐしかないのだが、首が痛くなるのも忘れて見とれていた。

谷文晁の板絵に描かれた二匹の龍

谷文晁の板絵に描かれた二匹の龍

江戸の画人・谷文晁(たに ぶんちょう)(一七六三〜一八四一)の作。寛政のころ活躍したので「寛政文晁」といわれ、落款にカラスになぞらえた「文」を用いたので「カラス文晁」とも言われた。デザインの才もあったとみえる。そういえば龍の表情が愛嬌に富み、マンガチックで、現代アニメや劇画にもそのまま使えそうだ。

気前のいい商人は越後陽明門の寄進に際し、最後の仕上げの防火図を有名な文晁先生にお願いしたらしい。文晁の板絵は珍しいそうだから、画家も多少は面食らったのだろう。そこはプロであって、総けやきの天井に向かい、仰向いたまま一気呵成に二つの龍を描き上げた。架空の獣には一定のイメージがあって、それに従いつつ、あきらかに独自の龍に仕上げている。双方とも右前脚で何やらつかんでいるが、当時の縁起物かもしれない。

落款は「文晁堂」、下に朱の意匠文字がついている。近年修復されたとかで、墨の黒、落款の朱色があざやかだ。

石段のすぐ前のローソク屋が、裸押合祭の大ローソクをつくっている。白地に赤や青の意匠がついて、ことのほか美しい。

前の通りは門前町として形成されたのだろう。志んこ餅の玉屋、割烹の田中屋、ソバの松よし屋、呉服店、酒店、お茶・せともの屋、金桝屋旅館──。杉林を背にして落ち着きのある町並みがつづいている。玉屋で志んこ餅を包んでもらって、味見に一ついただいたが、若い娘の肌のようにすべすべした白い餅に、ほどのいい甘さのアンがくるんである。若いお肌と縁がなくなって久しいせいか、ふくよかな白さがなおのこと眩しい。こころもち口をすぼめて頬ばった。

町並みの一角に木造三階建てがまじっている。二階と三階は総ガラス戸で、木のワクにこまかい彫り物がほどこしてある。飾り軒のシャレぐあいからして、以前は旅館か料亭だったのではあるまいか。一階部分が奥に引いたかたちで、前のたたきが小さな遊び場というものだ。昔の大工や指物師が客受けのための工夫をしたのだろう。廃業して荒廃ぎみだが、入念な木組みは歳月を経ると独特の威厳をおびてくるもので、うっちゃらかされていてもみすぼらしい感じはしない。

「留守です。病院に行ってます」

誰に向けたメッセージなのか、戸口にきれいな字体の小さな札がぶらさがっていた。

【アクセス:上越新幹線浦佐駅より、ゆっくり歩いて十分】

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