池内 紀の旅みやげ⒆ 土蔵群と自治労─鳥取県若桜町
鳥取と岡山県の津山間を走るJR因美線(いんびせん)に郡家(こおげ)という駅があって、そこから若桜(わかさ)鉄道が出ている。昭和五年(一九三〇)、国鉄若桜線として開通、昭和六十二年(一九八七)、廃止。以降は民営。
郡家から終着の若桜駅まで八駅三〇分。鉄道マニアがいそいそとやってくるのは、駅舎や転車台、給水塔などが旧のままに残されているからだ。春から秋にかけては週に一度SLが走り、人を乗せてトロッコを引いたりする。
ふつう「ワカサ」というと福井県の湾沿いの若狭だが、こちらは山間にあって若桜と書く。中世の古文書に出てくるというから、古くから使われていた表記のようだ。国道二十九号は昔の若桜街道(別名播州街道)であって、鳥取から畿内へ出るにはもっとも早い。若桜はその宿場町として発展した。正確にいうと鳥取県八頭(やず)郡若桜町、人口はへりつづけて現在は四千人。いや、もう四千を切ったかもしれない。
そんなことを思いながら電車に揺られていた。二輛つなぎで乗客は六人。ショルダーの青年はあきらかに「鉄チャン」族で、「日本列島鉄道路線一覧図」なるものをひろげ、停車時間を見はからって駅舎の写真をとり、あいまに資料とつき合わせたり、メモをとったり。マニアも度が高まると、いろいろ雑務が生じてくるらしい。
駅前の観光案内所で町の散策マップをもらった。「素朴な風情と大自然の芸術に酔いしれる城下町若桜」、これがキャッチフレーズのようだ。宿場町と思っていたが、江戸の幕藩体制がととのう前は「鬼ケ城」という恐ろしげな名前の山城があって、城下町がそもそもの始まりだったのだろう。それにしても「素朴な風情」はともかく、「大自然の芸術に酔いしれる」とは、どういうことだろう?
一番近いのは「蔵通りとカリヤ通り」とのこと。旧街道の裏手には白壁の土蔵が並び建っている。カリヤ通りは表通りのことで、軒をつき出して設けた「仮屋」が家の前に通路状にのびていて、雨や雪でも自由に通行できる。あわせて表にも裏通りにも水路が引かれている。明治初年の大火のあと、町の人が申し合わせて都市計画をしたなかから生まれたという。案内所のパネル写真は美しい土蔵群と古雅な家並が見え、足元を清流が走っている。
勇んで蔵通りに入ったとたん、修復された蔵の板壁に、大きなボードがとりつけられていて、五行分かちの文言が目にとびこんできた。
「貧しく維持出来ない/土蔵群を/豊かな自治労は/喰いものに/するな!」
濃いチョコレート地に白字でしるされ、強調をこめたのだろう。「自治労」「喰いもの」は朱色に色分けしてある。
意味をとりかねて、しばらくボンヤリ突っ立っていた。そのうち、なんとなくわかってきた。あきらかにここには「貧しく」「豊かな」が対比して用いられている。「自治労」とあるのは町の職員組合だろうが、土蔵群と自治労も対比の意味がかさねてある。かりに言葉を捕うと、貧しくて(土蔵を)維持出来ない土蔵群(の所有者)を、(高給を食〈は〉む)豊かな自治労(の職員)は(観光の目玉として)喰いものにするな、ということではなかろうか。
一般に土蔵をかまえるような家は豊かだとされがちだが、それは遠い昔のこと、いまどき土蔵など持っていても何のメリットもない。町の職員は観光名所だからと修復を言ってくるが、一文の支援もせず、そのくせ自分たちは組合の折衝でちゃっかりと賃上げをしている。五行分ちの文言には、さびれゆく町家の住人と、懐かしの鉄道を目玉にして観光行政にやっきの町当局の対立がもののみごとに集約されている。
観光気分に水を差され、急に高揚感がさめたぐあいだ。修復された蔵は芝居の書き割りのようで、白壁がはがれ落ち、赤土がむき出しになった蔵のほうが風情があり、暮らしに時間が生み出した美しい景観のように思うのだが、町は白壁のつづく蔵通りに統一したらしい。
表通りのカリヤは写真とはちがい、ほんの一、二軒の旧家の前に残っているだけ、それも荷物置き場になっていたりして、とても通行などできない。旧家の重厚な建物はホレボレそるほど美しいが、前の国道を地ひびき立てて大型トラックが走っており、うっかり見とれているとはねとばされる。カリヤの当主は「貧しく維持出来ない」土蔵群の所有者でもあるようで、不機嫌に口を閉ざした老人にように戸口も窓もピタリと閉ざされている。
散策マップには五キロ・四時間コースと八キロ・六時間コースがすすめてあったが、気分が一向に盛り上がらず、そのまま駅にもどり、折り返しの電車で町を離れた。鉄チャン青年は鉄道だけの関心だったようで、やはり折り返しの電車にうかぬ顔をして揺られていた。
【今回のアクセス:若桜鉄道若桜駅下車、徒歩五分】