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“11月3日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1949=昭和24年  湯川秀樹博士が日本人初のノーベル物理学賞を受賞した。

遠く北欧から届いた明るいニュースに国民は熱狂した。当時42歳、京都大教授からプリンストン研究所を経てコロンビア大学の教授をつとめていた。受賞の喜びは「大変光栄だ。この受賞により、敗戦後とかく意気の上がらなかった日本の科学者、また一般の人たちが多少とも元気づき、日本の再興に努力されるという結果になれば、これほどうれしいことはない」と伝えられた。

受賞決定以来、新聞は連日、ノーベル賞関連記事で埋めつくされた。中間子理論の解説からはじまり「兄弟そろって学者」、「衆議院本会議、湯川博士に感謝決議」、「ノーベル賞とは何か」はては「ノーベル賞に税金はかかるのか」といった見出しの記事が続いた。12月にストックホルムで行われた授賞式にはアメリカから向かったが授賞式の様子がこまごまと報道され「授賞式後に開かれた夕食会の席で踊る湯川夫妻」という写真でダンスホールがにぎわったおまけも。翌年の一時帰国の歓迎ぶりはさらにすさまじくどこに行ってももみくちゃにされた。<湯川神社建立><湯川饅頭発売>も検討され、大学入試では物理学科志望の受験生が増えて物理学科の倍率が高くなるという波及効果も。

ともかく敗戦の痛手のまだ残る日本に射し込んだまさしく<自信と希望の光>だったから昭和天皇も「賞を得し湯川博士のいさおしは わが日の本のほこりとぞ思う」という御製を残した。「いさおし」は「立派な手柄」という意味だが、敗戦で自信を喪失していた日本人はこの「いさおし」を自分のことのように喜んだ。

もっとも受賞した中間子理論は物理学上の画期的な功績だったが多くの国民にとっては「何度聞いても良く分からないけれどもすごい発見だからノーベル賞に選ばれたのだろう」ということだったろう。我々だって最近の受賞者名は覚えていてもその受賞理由となるとさっぱりだから偉そうなことは言えないけれど。

博士はその後、広島・長崎へ投下された原子爆弾には多くの物理学者が製造に携わったという贖罪意識を感じるかのように核廃絶運動に積極的にかかわるようになる。「ラッセル=アインシュタイン宣言」への署名や「バグウォッシュ会議」(科学と世界問題に関する会議)の中心人物として活躍し、ことあるごとに核兵器廃絶を訴えた。

1981=昭和56年に博士は世を去るが1994=平成6年に「バグウォッシュ会議」にノーベル平和賞が贈られた。それは博士にとって<二度目のノーベル賞受賞>であったとは言えまいか。

*1954=昭和29年  東宝の特撮怪獣映画第1号の『ゴジラ』が封切られた。

東宝では最初、「空想科学トリック映画」として宣伝した。<原始怪獣ゴジラ>が地球上に現われて都市を破壊し人類に危害を与えるというストーリーだった。特撮にベテラン円谷英二を起用し製作・田中友幸、監督・本多猪四郎というゴールデンコンビが普通の映画なら1本2千万円でおつりがくるといわれた当時に6千万円もかけたとして話題になった。白黒1時間37分の映画はアメリカにも輸出され大ヒットになった。

「ゴジラ」の名は南海に浮かぶ架空の島「大戸島」の伝説の怪獣「呉爾羅」に由来する。古生物学者の山根博士(志村喬)がジュラ紀から白亜紀にかけて生息した海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔がたび重なる水爆実験で安住の地を追い出されたのがゴジラであると説明してあくまで恐竜とは別物としていた。東宝は撮影所内に特撮用スタジオを設け『ゴジラの逆襲』、『モスラ』、『モスラ対ゴジラ』などのシリーズが正月興行のドル箱作品として<特撮怪獣映画>としてのジャンルが出来上がった。

ところで最初のゴジラは東京を襲った。人々の脳裏には東京大空襲や原爆の惨禍がいまだ強く残っており、相次ぐ水爆実験で目覚めた怪獣が口から<放射能線>を吐いて東京を再び焼土にするというシーンは強烈だった。もっとも東京タワーはまだなかったから破壊シーンには登場しなかったが『ゴジラの逆襲』(55年)は大阪、カラーになった『モスラ対ゴジラ』(64年)では名古屋が襲われた。「次はどこの都市が狙われるか」でマニアは盛り上がりました。

*1957=昭和32年  ソ連が犬を乗せた人工衛星「スプートニク2号」の打ち上げに成功した。

10月4日に打ち上げた初の人工衛星「スプートニク1号」に続く快挙で、気密服を着たメスのライカ犬が乗せられていた。当時の人工衛星は大気圏再突入には耐えられなかったため、犬は10日後に安楽死させられたと報道された。しかし打ち上げ4日後に死んだとか、1週間後だったとかニュースが錯綜した。しかし1999年に明らかになったロシア政府筋の情報では犬を入れたキャビンの過熱と打ち上げ時のストレスなどで数時間後には死んでしまったというのが本当のところらしい。

それにしても当時はこうした実験動物はかわいそうだとか、犬の種類は?名前は?などの質問が新聞社に殺到、宇宙関連の記事はこのころから大人気でした。そうそう、ライカは北部ロシアで飼われている一般的な猟犬で<名前はまだなかった>とか。

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