“11月10日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
*1871年 アフリカ奥地を探検中に行方不明になっていたリヴィングストンが<発見>された。
リヴィングストンはスコットランド生まれの探検家で宣教師、医師でもあった。1840年に英国領だった南アフリカに宣教師として赴任、その後は探検家としてもザンベジ川とコンゴ川の分水嶺を突き止め、発見したザンベジ川の大滝をイギリス女王の名を取ってヴィクトリア滝と命名した。ヨーロッパ人として初めてアフリカ大陸の横断に成功するなど輝かしい足跡を残したが1866年からコンゴ川源流部の探検に出発したのを最後に消息不明になっていた。
見つけたのは「ニューヨーク・ヘラルド紙」から依頼された探検家のスタンリーだった。スタンリーはアフリカ東海岸タンザニアのザンジバルから捜索隊を組織してマラリアなどで隊員の多くを失いながらもタンガニーカ湖畔の村でリヴィングストンと再会を果たす。最初にスタンリーを見つけたのは従者のスシで全速力で走って戻ると「だんなさま、イギリス人が来た」と告げた。リヴィングストンがのぞいてみると星条旗を持った男(=スタンリー)がいた。
スタンリーのほうも驚いた。想像していたような人物ではなく服は着ていたが骸骨のようにやせ衰えた姿だったから。スタンリーが思わず発した「リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?」は発見時の劇的なエピソードとして伝えられ、イギリスでは思いがけない人に会った時の慣用句として使われるようになった。リヴィングストンはマラリアなど重い病気を患っていたがスタンリーの持参した薬で快方に向かった。スタンリーはタンガニーカ湖の北端までの探検を行うなど4ヶ月をともに過ごし、リヴィングストンに帰国を強く勧めたが答えは「ナイルの水源を突き止めるため探検を続けたい」だった。
イギリスに戻ったスタンリーはリヴィングストンの許に57人の従者と十分な物資を送った。リヴィングストン一行は翌1873年4月29日にザンビアの奥地バングウェル湖南側の村、チタンポへたどり着いた。しかし、日記に探検の記録を書く余力もないまま5月1日にマラリア合併症により60歳で息を引き取った。
従者たちは深い悲しみにくれながらも、彼の残した日記、資料、携行品などを防水の箱に入れ、彼の亡骸をミイラにしてザンジバルへ運んだ。亡骸はザンジバルで埋葬されそうになるが、故国に帰すべきだと従者が主張したためイギリスへ運ばれた。1874年4月18日、無事ロンドンへ到着した亡骸は左腕のライオンに咬まれた傷跡により本人と確認されたのち、ウエストミンスター寺院へ葬られた。墓碑には「忠実なる人々の手により、山を越え、海を渡って運ばれた宣教師、旅行家、博愛家、デイヴィッド・リヴィングストンここに憩う」と刻まれている。
もうひとつリヴィングストンの功績を付け加えると終生、奴隷貿易に強く反対しその禁止に力を注いだこと。アフリカは長く<暗黒大陸>と呼ばれた。彼は地図上の探検だけでなく究極の人種差別・奴隷貿易がはびこっていた<暗黒>の解放につなげたわけだ。
*1891年 <放浪詩人>アルチュール・ランボオがフランス・マルセイユに死す。37歳。
ランボオほど常に<彼の生きたその時代>とともに語られる詩人はいない。1854年生まれ、ナポレオン三世の第二帝政が始まっていた。早熟な少年はミシュレの『フランス革命』を読みふけり詩作に励み、16歳で普仏戦争下のパリへ家出する。これは無賃乗車がばれて家に送り返されるが翌年、ふたたび家出しこんどは詩人のヴェルレーヌと暮らし始める。
1873年、ヴェルレーヌとの別れ。ヴェルレーヌはランボオに拳銃を2発発砲、うち1発がランボオの左手首に当り、ランボオは入院、ヴェルレーヌは逮捕される。この別れの後に『地獄の季節』を記す。2年後、詩を書くのをやめ、兵士、翻訳家、商人などさまざまな職業を転々とし、ヨーロッパから紅海方面を放浪、南アラビアのアデンでフランス商人に雇われエチオピアに駐在するがやがて武器商人として独立ささやかな成功を収める。
1886年、出獄したヴェルレーヌがランボオの『イリュミナシオン』を刊行したときランボオは灼熱の砂漠にいた。
「俺の生活は骨の折れるつらいもので、宿命的な退屈さとあらゆる種類の疲労とに要約される」
砂漠の生活はランボオの頑健な身体を蝕み続けた。右ひざの関節にがんが見つかりマルセイユの病院に入院する。家族に「ぼくの病気はとても悪いのです。右脚の病気のためにぼくは骨と皮だけになってしまいました。右脚はひどく腫れて大きなカボチャのようです」と書いた。彼を「風の靴を穿いた男」つまり放浪にとり憑かれて着いたかと思えば又出ていくと評したのはヴェルレーヌだった。
「これは過ぎ去ってしまったことだ。俺はきょう美を讃えることを知っている」と『言葉の錬金術』を締めくくってその後は長い沈黙を続けた詩人はその靴を永遠に脱ぎ捨てた。