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“12月9日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1909=明治42年  東京・上野不忍池で日本初のグライダー試乗が行われた。

フランス人プリウール設計の機体は全長7.4メートルで木と竹の骨組に布張りの複葉機だった。まずプリウールが試乗し、自動車に引かせて100メートルほど飛行することに成功した。続いて海軍大尉の相原四郎が搭乗して20メートルの高さまで上昇したが曳航綱の1本が切れて池に墜落した。これが飛行に成功したわが国最初の「近代的航空機」となった。

当時の写真には浮き上がった機を見上げる人たちが写っている。今と違い昇降舵の位置が前方に突き出すかっこうで付いており尾翼も函のような形をしている。池に落ちたから相原はずぶ濡れになりながらもけがはなかったが水面に羽を休めていた渡り鳥たちはさぞやびっくりしたでしょうねえ。

わが国航空界のパイオニアだった相原は2年後にドイツで同乗していた飛行船が墜落した衝撃で急性腹膜炎を起こして31歳で亡くなった。飛行技術や飛行船の研究目的のために留学中だった。プリウールは講道館に入門した2人目のフランス人で潜水具のアクアラングの発明者としても知られるがベルリンで相原に再会し旧交を温めた矢先の悲劇だった。

*1916=大正5年  国民作家と呼ばれた夏目漱石が東京・早稲田の「漱石山房」で死去した。

前月23日から持病の胃病が悪化して病床に臥していた。病状が予断を許さなくなったので友人や門下生に知らされ次々に見舞い客がやってきた。和辻哲郎、阿部次郎、安倍能成、久米正雄、芥川龍之介、松岡譲、高浜虚子、松根東洋城、岩波書店の岩波茂雄など、内田百閒は泊まり込んでいた。前日、8日には主治医が「もっても一両日だろう」と診断していたから9日は朝から離れに30人以上が待機していた。

曇り空で寒い日だった。短い冬の日が暮れた午後6時半過ぎ、女中が離れにいた長男を呼びに来た。ここでとんでもない事件が起きた。臨終を看取る前に灯りをつけずに便所に入った岩波が片足を便器に落してしまったのだ。古本屋からスタートして処女出版に漱石の『こころ』を上梓していた岩波は門下生の一人だった。いよいよというのによほどあわてたのか。これは岩波の名誉のためということで当分は伏せられていたが<ウンをつけた>として広まった。『漱石全集』をはじめ多くの著作を刊行して夏目家にいちばん印税を払ったのは岩波書店だったから確かに<昇運の兆し>ではありました。

漱石は俳句もたしなんだ。漱石のペンネームを譲ったのは正岡子規だったし、小説を書くように勧めたのは虚子で書いたのが『吾輩は猫である』だった。
  永き日や欠伸(あくび)うつして別れ行く
  在る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中
などがある。

息を引き取る1時間前、虚子が「夏目さん」と呼びかけると「ハイ」と返事をした。そして「何か食いたい」と言うので医者のはからいでひと匙の赤ワインが与えられた。それに「うまい」とつぶやいたのが最後の言葉だった。6時50分死去、50歳だった。門弟だった芥川龍之介の『葬儀記』に「棺には細くきざんだ紙に南無阿弥陀仏と書いたのが、雪のようにふりまいてある」書かれている。その上から供えられた白菊で埋められた。

*1989=平成元年  ベトナム戦記や『オーパ!』などの釣紀行で知られる開高健没、50歳。

忌日紹介が続くのはお許しいただくとして好きな作家のひとりなので紹介する。久しぶりに本棚の『最後の晩餐』(文藝春秋)『COLLECTION 開高健』(潮出版社)を取り出したら父のメモが挟んであった。そうか、大阪の旧制天王寺中学校の後輩だったからこの2冊を購入していたんだ。並びの『ベトナム戦記』(朝日新聞社)や『オーパ!』(集英社)『完本私の釣魚大全』(文藝春秋)は私のコレクションである。

『オーパ!』のアマゾン釣行や八丈島から高速漁船をチャーターしても片道25時間という太平洋の真ん中にある超穴場の「嬬婦(そうふ=未亡人)岩」でのオキサワラ釣りなどを読んで興奮したものだ。

岩のまわりを三周か四周したとき、突然軽くトンと当たりを感じた。瞬間、竿をたてた。ドシンと手ごたえがあった。すかさず両手で竿をつかんだまま大のけぞりにのけぞった。そこできまったらしい。魚が逃走しはじめた。ジーッとリールが鳴って糸がすべっていく。走らせるだけ走らせること。魚が止まるまで待つこと。それからファイトをはじめる。けれど強力無双。剛竿がジワジワたわみ、竿にひかれて体がゆっくりひとりでに起きあがりそう。やった。ついに、やった。仕とめた。夢中で格闘するうちに魚が寄せられてきて、漁師がギャフをとばし、一、二の、三と親子二人で声をかけ、一挙に船のなかへひきずりこんだ。オキサワラである。(『遂げる―嬬婦岩のオキサワラ』)

童顔に声の大きい大阪弁で「まア、そんなに急ぐこともないんとちゃうやろか」と言っていたのにあっという間に亡くなったような気がする。

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