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“12月16日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1773年  アメリカ独立戦争のきっかけになった「ボストン茶会事件」が起きた。

英国政府が破産寸前の東インド会社の救済策として茶の独占販売権を与えたことに植民地の貿易業者らは激怒した。月夜を利用してアメリカ・インディアンに<変装>した業者の一部と急進派で組織する3グループの約60人はマサチューセッツ植民地のボストン港内に停泊していた東インド会社の3隻の貿易船に侵入した。彼らは積み荷の茶箱342個を海中に投げ捨てた。その被害額は100万ドルにのぼったとされる。

行動を起こしたのは「自由の息子たち」という名の市民組織だった。中心となったのは植民地支配に反対する政治家のサミュエル・アダムズやボストンの有力商人でのちに政治家として独立宣言に署名したジョン・ハンコックらだった。なぜ茶会事件と呼ばれるかというと投げ捨てられた大量の茶で港が埋まり、これを見た市民が「港が茶会のティー・ポットになった」と冗談を言ったのが起こりという。

この時点では一般市民の意見はまだ賛否両論あったが英国はすぐに報復策を繰り出した。まずボストン港を閉鎖してマサチューセッツの自治権を剥奪、さらには兵士の宿舎にあてるための民家の徴発など強硬な<抑圧的諸法>を押し付けてボストンを軍政下に置いた。植民地側はこれに猛反発し翌年9月に12の植民地代表を集めて第一回大陸会議を開催し、英議会の植民地に対する立法権を否認して経済断交することを決議した。緊張関係はさらに高まり翌年、レキシントンなどでの植民地側の民兵とイギリス兵との衝突をきっかけに独立戦争へと一気になだれ込んでいく。

この事件をきっかけにそれまで愛飲してきた紅茶をボイコットする人たちが不買運動を広げた。代わりに普及したのがコーヒーで現在でも英国に<紅茶党>が多いのに比べアメリカに<コーヒー党>が多いのはこのときの紅茶ボイコット・不買運動に由来するという。

*1932=昭和7年  東京・日本橋のデパート白木屋の火災で死者14人、負傷者67人を出した。

火災が起きたのは午前9時25分ごろ。4階玩具売場から出火し歳末大売り出しとクリスマス商戦用に大量に陳列されていたセルロイド人形に引火して激しく火を噴いた。初期消火はまったくできず火は階段やエレベーターホールを伝ってたちまち上階に燃え広がった。

白木屋は前年10月、<東洋一のデパート>として竣工したばかりで12月1日には火災避難訓練を実施していた。このときにはズック製の避難袋や救助網も100%の働きだったとして消防局の採点も「問題なし」だった。しかし歳末大売り出しで応援の店員も多く、ひとつの売場に20人ずつ、4階だけで400人以上、全店では2千人以上がいた。さらに開店直後からお客が詰めかけ、出火直後には全館が停電となった。地下1、2階は真っ暗になったことでこちらも大混乱となった。

死者の大半は女店員で消防隊が取り付けた脱出用ロープにぶら下がる際に和服の裾を気にして片手で押えたりしたため墜死したとされるが、非力であったのとあわてたからという側面もあった。<下着をはいていなかった悲劇>はあくまで俗説であるにしてもこれ以後、若い女性の間では「和服でもズロース着用」が普及するきっかけになった。

朝日新聞によると当時、屋上には客寄せのために2頭のライオンを飼っていたが黒煙と猛炎に驚いてパニックとなり、悲鳴をあげて大暴れし一時は檻を壊しそうになったという。また5階からの救助袋でお客や店員数十人が地上に避難するとそのたびに詰めかけた群衆が我ことのように喜んだと伝えている。

白木屋の火事はわが国初の高層ビル火災で、火災後各デパートでは一斉にセルロイド玩具売場を廃止、可燃物である揮発油などの販売は取り止めた。さらに<実演>を伴う石油ストーブや石油コンロは撤去する一方、消火器の設置や防火対策に力を入れるようになった。

*1931=昭和6年  オペラと軽演劇を中心とする浅草オペラ館が新しく開場した。

旗揚げ公演はエノケン=榎本健一と二村定一が<ダブル座長>で行った劇団ピエル=ブリヤントの『カルメン』が好評を博した。劇団名は「輝く石」という意味で、座員150人、オーケストラ部員25人に文芸部員8人の当時最大の喜劇劇団だった。

昭和恐慌による不景気、失業と満州事変の重苦しい世相のなかで新しいセンスのナンセンスコメディを売り物にした。この年末に開業する新宿のムーラン=ルージュとともに軽く社会風刺をきかせた出し物がまたたく間に演劇ファンに受け入れられた。当時の浅草六区は大衆娯楽の聖地とされ、エノケン一座はターキー=水の江滝子がトップスターだった松竹少女歌劇団と人気を二分した。

この年の流行語は藤森成吉の戯曲で前年映画化された題名の「何が彼女をさうさせたか」と「いやじゃありませんか」があらゆるところで使われて笑いを誘った。

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