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“1月5日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1937=昭和12年  名古屋城天守閣の金鯱(シャチ)のウロコ58枚が盗まれた。

江戸時代には嵐の晩に大凧に乗った柿木金助なる怪盗がウロコを盗んだとして芝居や講談にまでなったが<昭和の怪盗>は政府が名古屋市に下賜するために実測調査中の足場を使い北側の雄のほうのウロコ110枚のうち58枚を盗んだ。この日の朝、名古屋市建築局の技師が盗まれているのを見つけ警察に通報した。被害額は時価80万円とされたが当時の市長が引責辞任する騒ぎにまでなった。愛知県警は報道管制を敷き全国に指名手配、犯人はウロコを鋳つぶして大阪の貴金属商に売却しようとして代金を受け取りに来たところを御用となった。売却代金は金だけの評価だったから届けた時価の半額の40万円で犯人は窃盗罪により懲役10年が言い渡された。

名古屋城は1609=慶長14年に徳川家康が築城した。尾張徳川家の居城で姫路城、熊本城と並んで「日本三名城」とされる。3年後に完成した天守閣の金鯱は一対で慶長大判1,940枚分の純金=215.3キログラムが使われた。これから「金鯱城」「金城」とも呼ばれたが藩財政の悪化で3度にわたって金純度を下げる「改鋳」が行われた。最後には光沢が鈍ったため「鳥除け」と称して盗難防止を兼ねた金網が張られてカモフラージュされた。

もっとも柿木金助の話は名うての大泥棒だったからの<伝説>にすぎないようだが、明治時代には1871=明治4年3月、屋根から降ろされていたところを陸軍名古屋分営の兵士がウロコ3枚を盗んで銃殺刑となった。1876=明治9年には東京博物館に保管中に盗難にあい犯人の男は懲役10年になっている。いずれも地上だったり、足場を使っての犯罪だから目のくらむ天守閣のてっぺんとなるとそう簡単には登れないのでしょう。

天守閣は1945=昭和20年5月14日の名古屋空襲で焼夷弾の直撃を受けて焼失したが1959=昭和34年に地元商店街や全国からの寄付で再建され「何といっても<尾張名古屋は城でもつ>だがや」と喜ばれた。

*1919=大正8年  第一次世界大戦後のドイツ、スパルタクス団が初のデモをした。

共和国となった帝政ドイツだったが改革はなかなか進まなかった。共産党のメンバーで構成したスパルタクス団のデモはベルリンで始まって次第に反乱に発展していった。名前は古代ローマで反乱を起こした奴隷たちが付けたのを踏襲した。こうした動きには反対だったポーランド生まれの女性革命家で代表の一人、ローザ・ルクセンブルグも大勢に従わざるを得なかった。

しかし反乱は政府軍によって1週間ほどで鎮圧され捕まったローザは護送の車中で殺され運河に投げ込まれた。47歳。2009=平成21年5月の外電が「ベルリンでローザと身体的特徴が一致する遺体が発見された」と報じた。そのニュースに「もう90年以上も昔なのに」と思ったものだが<才色兼備>といわれた肝心の首はなかったからかまだ続報はない。

*1956年  アカデミー女優グレース・ケリーがモナコのレーニエ大公と婚約して世界を驚かせた。

アメリカ出身のハリウッド女優だが父親がオリンピックのボート競技で金メダルを取ってその後、一代で建築業を起こした億万長者、母親は元モデルで大学講師だった。スタンリー・クレイマー監督の『真昼の決闘』でゲイリー・クーパーの相手役に抜擢され『裏窓』や『泥棒成金』などでヒロインを演じた。同時代のマリリン・モンローとは対照的に「クール・ビューティー」と評された。前年にアカデミー主演女優賞を受賞したのは『喝采』で、レーニエ大公=3世と知り合ったのもカンヌ映画祭だった。

モナコ大聖堂で行われた結婚式はヨーロッパ諸国にテレビ中継され女優から公妃への華麗な転身が話題になりました。

*1919=大正8年  女優・松井須磨子(32)が急逝した愛人の島村抱月の後を追った。

坪内逍遥の文芸協会の演劇研究所第一期生だった須磨子はイプセンの『人形の家』の主人公ノラ役で認められ抱月と芸術座を旗揚げした。二度の離婚歴があったが妻子ある抱月と恋に落ちる。トルストイの『復活』を抱月が脚色したカチューシャ役は須磨子の歌う劇中歌「カチューシャの唄」が大ヒットし、レコードも2万枚が売れて日本初の「歌う女優」として人気女優となった。

1918=大正7年11月5日、抱月はスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザをこじらせて47歳であっけなく世を去った。

須磨子は死の前日も『カルメン』の舞台をつとめたが台詞は珍しく乱れがちだったという。遺書には「一緒の墓に埋めて欲しい」と書き残して芸術座の道具部屋で抱月の2ヶ月目の月命日に縊死しているのが見つかったがそれはとうとう許されなかった。

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