池内 紀の旅みやげ(25) 渓谷の宇宙人ー群馬県川原湯
JR吾妻線は渋川で上越線と分かれ西へ転じて、終着の大前駅へと向かう。のんびりした、いい路線である。かたわらにいつも吾妻川が見える。利根川の支流のうち最大の川で、水量がある。そのうちしだいに左右の山が迫ってきて、岩場のちらばる渓谷に変わっていく。この吾妻線が「湯けむり鉄道」をキャッチフレーズにしているのは、沿線に草津温泉や四万(しま)温泉をはじめとして、どっさり温泉があるからだ。一軒宿や日帰り温泉も含めると三十あまりになるらしい。北に草津白根、南に浅間山が控えており、今も噴煙を上げている。地下には無数の湯脈が走っている。
数ある温泉のおおかたが、バスで結ばれた山の湯であるなかで、川原湯温泉は名前の示すとおり吾妻川の「川原」にある。正確には南面の傾斜地にあって、川を見下ろしながら湯につかれる。源頼朝にまつわる開湯伝説をもち、古くから「湯かけ」の行事で知られてきた。源泉の湯が一時とまったとき、湯の神に念じた由来により、厳寒一月の早朝、勇壮な太鼓を合図にふんどし姿の男たちが湯のかけ合いをする。見物客にも容赦なく湯が降ってくる。
だが、今は湯かけよりも別のことで知られている。「ダムに沈む幻の温泉」というわけだ。吾妻川をせきとめる八ッ場ダム工事が進行していて、完成のあかつきには温泉街がそっくり水の中に沈んでしまう。
川原湯温泉駅は木造平屋建て。郷愁をさそう素朴な駅舎がポツリとある。そのすぐかみ手に異様なコンクリートの人工物がそそり立っている。十字型をしていて、上に赤い鉄骨をいただき、まん中の頭部から長大なクレーンがのびている。湖面をまたいで県道を結ぶ橋の橋桁で、「湖面1号橋」(仮称)となるはずだそうだ。三本が同時進行でつくられていて、まるで三人の巨大な宇宙人が、やおら谷合いに降り立ったぐあいである。
八ッ場ダム計画がいつに始まり、どんな経過をたどったか。もう誰も覚えていないほど長い歳月にわたり、ヘンテコな歴史をもっている。豊かな水量、ダムに打ってつけのV字谷、小さな温泉街のほかに集落がほとんどないーーダム関係者は願ってもない三条件にとびついた。まずダムありきで、「何のため」があとからのつけたしだったことは、電源開発、下流域の洪水防止、首都圏用予備の水ガメなど、目的が二転三転したことからもわかるだろう。とどのつまり、すべて曖昧にする「多目的ダム」に落ち着いた。
川原湯の人々はいや応なくダム賛成派と反対派の二つに分かれた。反対派は根づよい運動をつづけてきたが、その間にも道路や鉄道のつけ替え、賛成派住民の補償と移転先の確保など、ダム関連整備事業が着々とすすみ、県道を渡す大橋の着工にまでこぎつけた。先立っての民主党政権のとき、いちどは大臣が工事中止を言明したのは、三条件のどれも、もはやほとんど意味をなさない状況を踏まえてのこと。だがすでに天文学的な数字に近い予算を投じてきたからには、中途で中止というわけにはいかないらしい。大臣みずから、あわてて言明を取り消した。
川原湯へは山裾の坂道をのぼっていく。上がるにつれて谷合いの宇宙人が下に沈み、駅から見上げたときは猛々しかったが、足下にすると、間抜けなコンクリートのカカシが能もなく突っ立っているように見える。
十軒近くあった宿は廃業があいつぎ、現代も営業中は三軒のみ。お土産屋、食堂なども店を閉じた。うれしいことに共同湯の「王湯」が昔にかわらず開いている。一階が休憩室、湯殿は階段を下りたところ。古木の繁り合った中にあって、湯につかっているかぎりダムのことは忘れていられる。
笑顔の美しい女性が共同湯の湯守りをしている。
「わたし、川原湯が大好きだった」
過去形で言わなくてはならないのがさみしげだ。
「あそこが小学校のあったところ、こちらにカシワ屋さんがあって、となりに……」
休憩室の窓から指さした。みんなもうなくなった。「とってもいいところだったのにーー」
それから気を取り直したように元気な声で、いまも三軒がガンバっているから、このつぎは泊まりにきてネ。お名前をたずねると「良寛さまの良の字」のヨシエさん。良寛さんに誓って、この次はきっと泊まりにこよう。
共同湯のさらに上に川原湯神社が祀られている。社殿の裏手にまわると川原いっぱいが工事現場になっていて、トラックが忙しく出入りしている。山を切り開いた一角にホームと線路ができていた。新しい川原温泉駅になるらしい。
【今回のアクセス:共同湯は川原温泉駅より徒歩十分】