“1月15日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
*1939=昭和14年 明治生まれ最後の横綱となった双葉山の連勝が69で止まった。
両国国技館の初場所は初日から連続大入り満員の盛況が続いた。観客の誰もが体調良好の横綱の神業のような<勝ちっぷり>を見たいと足を運んでいた。4日目は日曜日に藪入が重なり超満員。結び前の双葉山の対戦相手は出羽海部屋の新鋭で平幕の安藝ノ海だった。
行司・式守伊之助の軍配が返るとまず安藝ノ海が頭を下げて突っ張った。これに双葉山も応戦、小さく突きながら得意の右差しに持ち込もうとした。安藝ノ海は右前褌(みつ)を取って食いさがる。双葉山は強引な右からのすくい投げ、さらにもう一度すくい投げを打とうと踏み込んだところを安藝ノ海が左外掛け。ぐらついた双葉山が起死回生の下手投げを打ったのを右足一本でこらえ、逆に体を浴びせて双葉山を土俵中央に倒した。
まさか、まさかだった。世紀の一瞬といわれた思いもかけない結果に国技館の大鉄傘は歓声と悲鳴と恕号で揺れた。実況担当のNHKの和田信賢アナウンサーは控えの部下を振り返って「双葉負けたね?たしかに負けたね?」と繰り返し確認すると息を整えて一気に
「双葉敗る!双葉敗る!双葉敗る!! 時、昭和14年1月15日!旭日昇天、まさに69連勝。70勝を目指して躍進する双葉山、出羽一門の新鋭・安藝ノ海に屈する!双葉70勝ならず!! まさに70、古来やはり稀なり!」と絶叫した。
<常勝の覇王敗れる>を読売新聞は
「あゝ遂に双葉敗る 俊英・安藝の海の外掛けに みごと! 金的を射つ 大記録69連勝で止」
こちらは大見出しで報じた。
この勝利の裏には「打倒双葉」を目ざす出羽一門の緻密な研究があった。早稲田大学出身で<学士力士>といわれた笠置山を中心にその弱点を研究し尽くした。大分・宇佐出身の双葉山は家業の木炭商や海運業を手伝い、身長179センチ、体重128キロと大柄ではなかったが動きが鋭く体も柔軟だった。誰にも隠してはいたが5歳のときに友達の吹矢が右目を傷付け視力が悪かった。このため相手の動きを待ってから勝負に移るクセがあった。
立てられた作戦は「目が悪いほうの右に食いつかれるのを嫌い、無理な投げを打って態勢を崩すことがあるからそこをすくうか足を掛けてはどうか」「相手の動きをよく研究しているので初顔合わせの新人がいい」だった。安藝の海はまさにぴったりの<隠し玉>だった。
勝利の一番のあとむせび泣いた安藝の海は広島の母親あてに「オカアサンカッタ」と電報を打った。負けた双葉山が友人に打った電報は「ワレイマダモツケイナラズ」で<木彫の鶏>のようにおごりも高ぶりもない心境にはまだ至っていませんと反省を伝えたものだ。「相撲は体で覚えて心で悟れ」と言い続けた<昭和の角聖>にふさわしい。
平成の大横綱・白鵬も63まで迫ったが不滅の大記録・69連勝には及ばなかった。師匠の出羽海らから「勝って褒められるより、負けて騒がれる力士になれ」と言われた安藝の海はこの言葉を胸に精進を重ね、第37代横綱になった。
*1191=建久2年 源頼朝が政所を開設し「古書始め」を行った。
政所は鎌倉幕府の政務や財政をつかさどる機関で初代の別当には京都から招いた大江広元が任命された。「古書始め」とはそれまで御家人に与えていた将軍みずからの花押=サインを書いた文書を回収して新たな文書に<差替える>ことをいいこれによって偽造などのトラブルを防ぐとともに文書が有効であるかどうかをチェックした。
回収した文書の代わりには改めて役所の官吏が連署した文書である「政所下支え」を与えた。そりゃそうです、取り上げるだけでは<反故>にしたと怨まれるだけだから。
*1947=昭和22年 東京・新宿の帝都座5階の小劇場に「額縁ショー」が登場した。
戦前、東宝の重役だった秦豊吉がプロデュースした。演題は『ヴィーナス誕生』でモデルは片岡マリ。『人間復興』(リファイン社)には
「ハダカは、ショーの中の一景で、前の景の踊りが終わると暗転になり、やがてスポットが舞台の中央にあたると、額縁の中でひとりの女性が腰のあたりを布でかくし、オッパイとおヘソは出したままで泰西の名画然とポーズをつくって、ものの一分も動かずに立っている。やがてスポットが消えて再び暗転になってオシマイ」
これだけの他愛ない趣向だったが、この動かぬヌードが大変な人気を呼ぶ。劇場には連日殺到した観客が5階の入口から階段を通って下の帝都座の裏まで行列が続いた。小劇場は東郷青児の絵やルノアール、ミケランジェロなどを次々に繰り出し翌年まで続けた。
他の劇場もこれを真似て「額縁ショー」が大流行になる。なぜモデルが動かなかったかというと「身体を少しでも動かすと警視庁の眼が光る」といわれたから。裸体を見せるだけでも大変な時代、下半身はパンツで覆い、乳首にはスパンコールを付けていても詰めかけた人々は息を凝らした。そのなかで秦の<美意識>も多少は揺らいだのか、やがてポーズする台がゴトゴト回り出した。