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“3月9日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1454年  アメリカを発見した探検家アメリゴ・ヴェスプッチがイタリア・フィレンツェに生まれた。

フィレンツェは当時まだ共和国で日本は室町時代の初めにあたる。ヴェスプッチははじめメディチ家に仕えスペイン・セビリアのメディチ銀行の支店に出向していたが、ポルトガル王マヌエル1世に招かれ南アメリカの東海岸の探検航海のオブザーバーをつとめた。

1497~1504年まで行った計4度の航海でマゼラン海峡近くの南緯52度まで南下し、南アメリカやコロンブスらが<発見>した北アメリカが「新大陸」であると主張した。この成果はドイツの地理学者ヴァルトゼーミュラーが1507年に書いた地図学入門誌に紹介され、1,000部印刷された地図にはじめて「アメリカ」と記された。

「えっ、コロンブスが最初にアメリカを発見したんじゃないの?」と思われるかもしれない。たしかにそうだけど、コロンブスは死ぬまでそこが<東アジア>だと信じていたし、他のヨーロッパ人探検家たちも同じように“勘違い”していたから。

商人でもあったヴェスプッチは<自己アピール>にも長けていた。なぜ本名の「アメリゴ」でなかったのかというと当時の通例として地名にはラテン語名の女性形=アメリカ=が採用されたから。1512年、マラリアのためセビリアで死去した。

*1894=明治27年  日本初の記念・特殊切手として明治天皇の銀婚式記念切手が発行された。

「大婚25年祝典切手」という。外国人が新聞に発行を熱望しているという投書を寄せたのがきっかけで発行が決まったと伝わる。2銭が73万枚、5銭が13万枚発行されたが実際に使用するのは畏れ多いとして大事に保管する人が多かったという。

*1958=昭和33年  関門海峡の真下で本州と九州をつなぐ関門国道トンネルが開通した。

1937=昭和12年に試掘導坑の掘削を開始、2年後に完了後すぐに本坑掘削にかかり44年12月に貫通したものの戦災で長く工事が中断していた。海底部分は780mだが下関と門司を結ぶトンネルの全長は3461mあり自動車トンネルと歩行者トンネルの<2層構造>で歩行者や自転車を押して通行するのは無料だが自動車は有料となっている。

延べ450万人と72億円をつぎ込んだトンネルは6メートルおきに蛍光灯が輝いて当時の新聞は「さながら海底都市のようである」と書いた。国鉄バスは翌日から山口―博多間165キロを結ぶ「関門急行線」を走らせた。

*1796年  27歳のナポレオンがこの日、貴族の未亡人で33歳のジョセフィーヌと結婚した。

「不可能」を知らぬと豪語した英雄も多情で浪費家の妻には相当にてこずり15年後に離婚した。ところがその後も巨額の「勘定書」が皇帝に回された。

<ツケ回し>はナポレオンの辞書にはなかったか。

*1933年  第32代米大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトが特別議会を招集した。

大恐慌の対策としてニューディール政策を掲げ諸法案を次々に成立させ不況にあえぐ国民の間に新風を吹き込んだ。もちろんさまざまな評価がある。わが国に対しては原子爆弾の開発推進や戦時中に日系人のみを強制収容したことなどがあげられる。

しかしアメリカ政治史上唯一の「4選された大統領」だから世論からは支持され続けたということではある。

*1735=享保20年  青木昆陽がサツマイモの栽培法を記した『蕃薯(ばんしょ)考』を発表した。

昆陽は日本橋の魚屋の一人息子だったが江戸町奉行の大岡忠相に取り立てられ幕府の書物の閲覧を許された。ここで西日本では広く栽培されていたサツマイモに着目、飢饉の際の救荒作物として小石川薬園や千葉県などで試作させた。

結果は大成功で収穫したイモを奉行らに試食してもらったところ「美味なり」と好評だったので仮名書きにした書物に種イモをつけて諸国はもちろん伊豆七島や佐渡島にも送って栽培を奨励した。これが「天明の大飢饉」で多くの人命を救うことにつながった

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