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“3月15日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1927=昭和2年  前日の帝国議会での大蔵大臣の失言から「金融恐慌の始まりの日」となった。

この日、前夜からの徹夜組も含めて東京渡辺銀行や姉妹行のあかぢ貯蓄銀行の前には開店を待つ殺気立った預金者が詰めかけた。

前日の衆議院予算委員会で若槻憲政会内閣の片岡直温蔵相が次官から手渡されたメモを「本日の正午ごろ、渡辺銀行がとうとう破綻をいたしました」とうっかり読んでしまったのが銀行の「取り付け騒ぎ」に発展した。

関東大震災の前に銀行が割り引いた手形が、震災で決済できなくなったのを日銀が損害の一部を補填するかどうかを審議中に野党の追及に怒ってのうっかり発言。「破綻寸前まで追い込まれている銀行があるのをそのまま放置してもいいのか」というべきところだったのに銀行名を挙げただけでなく「破綻した」と<過去形>にしてしまった。

そのとき銀行はまだ何とか営業中で、実際には資金繰りがついていたが、この蔵相発言のせいにして休業に踏み切ってしまう。

この発言をきっかけに虚実を含め「銀行が危ない」という噂が列島各地にまさに<燎原の火>のように広がっていく。

中小の銀行はわざと外から見えるところに札束を積み上げて預金の引き出しに応じることで騒ぎを抑えようとしたのもつかの間、中井銀行、左右田銀行、八十四銀行、村井銀行と次々に休業を余儀なくされていった。

これが「取り付け騒ぎ」ですな。「で、並んだ人たちはその後どうした?」ですって。
いまと違って預金は預けた銀行からしか引き出せなかったのだからもちろんそのまま引き揚げるしかなかったわけです。

*紀元前44年  ローマの終身独裁官だった英雄のカエサルが暗殺された。

その昔に習ったのは「ジュリアス・シーザー」だったが、いまは「ユリウス・カエサル」。塩野七生の『ローマ人の物語』(新潮社、新潮文庫)もそうだし、佐藤賢一の『カエサルを撃て』(中央公論社、中公文庫)もそう。シェークスピアの戯曲から映画はたしか『ジュリアス・シーザー』だったけど。

暗殺されたのは元老院の議場につながるローマのポンペイウス劇場への列柱廊下で、とされるが、最期のあの有名な言葉「ブルータスお前もか!」も「ブルトゥスお前もか!」だそうで。なんだかなー。

ブルータスは愛人に産ませた子だった、とかいや別の人物らしいと訳知りに議論したのは今や昔。まあ、人名には関係ないからルビコン川を渡る際のあの有名な「賽は投げられた」や戦いの圧勝を形容した「来た、見た、勝った」は変わらないだろうけど。ただし「・・・とカエサルは言った」としなければいけないか。

*1947=昭和22年  東京の「新22区制」が実施された。

新聞各紙の報道は「新制度は人口20万、面積10平方キロ標準がねらいで新区は特別区として市制に準じた扱いを受けるので独立区として大幅の起債権や課税権を持つと同時に6・3制による学校の運営も区に任される」とか
「統合区は面積が広くなるが旧区役所はそのまま支所として残り、将来町会に代わる連絡事務所は学区を単位にする出張所となり、各種の窓口事務所を取り扱うのでかえって便利になるといっている」
と広報資料を<まる写し>したような記事を載せた。

一番の関心事といえる変更のある区については
千代田(神田、麹町)、港(芝、赤坂、麻布)、品川(品川、荏原)、大田(大森、蒲田)、新宿(牛込、四谷、淀橋)、北(王子、滝野川)、台東(浅草、下谷)、墨田(向島、本所)、江東(城東、深川)、中央(日本橋、京橋)
と統合された新区を丁寧に紹介している。

たしかに「変わらなかった区」はいいとして「変わった区」の住民諸氏は新しい区役所の場所に戸惑ったり郵便のあて先変更などもあって大変だったんでしょうねえ。いまもそうだから。

ところで「新22区制」と紹介したが「23区じゃなかったの?」と気付かれた方も多かったはず。少し遅れてこの年の8月に板橋区から練馬区が<分離独立>して「23区」になりました。

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