“4月27日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
*紀元前399年 ソクラテスが裁判にかけられ死刑を宣告されたあと毒杯をあおった。
ソクラテスは古代ギリシャの哲学者だった。それがなぜ裁判にかけられたのか。
彼は長年、賢人と呼ばれる政治家や詩人、工匠などあらゆる人を訪ね歩いて彼らと「対話」を重ねた。その結果、<自分は賢人であると信じて疑わない彼らは無自覚>ゆえに<無知を自覚している自分の方が賢い>のであるとさらに論争にのめり込む。
これは<無知の知>といわれ、ソクラテスこそが賢者であると評判になる一方で、無知を指摘された人々からは憎まれ、多くの敵を増やすことになった。ソクラテスはやがて「危険思想家」の一人と告発されて裁判の場に引き出されるが、死を恐れない態度が陪審員たちの心象を悪くしたことで「有罪」が決まってしまう。さらに流刑を選ばなかったことで「ならば死を」となったとされる。
ソクラテスといえば名うての「恐妻家」として有名。悪妻とされるのがクサンティッペ。
「何が哲学よ!屁理屈ばかり並べてないでお金になる仕事をなさい」と言うやいなやソクラテスの頭に水(一説には尿便の中身)を浴びせた。
「雷のあとは雨がつきもの、トホホ」(とソクラテス)
あるとき結婚しようかどうかと悩んでいる若者にソクラテス
「結婚するのは良いことだ。良妻を娶れば幸福になれるし悪妻なら哲学者になれると保証しよう」
ソクラテス自身は何も残さなかったが弟子の哲学者プラトンや歴史家のクセノポンやアリストテレスが論争の詳細を何十冊もの書物に書き残している。
「悪法も法なり」
「もっとも尊重すべきは生きることにあらず、よく生きることなり」
「疑うことは哲学者の感知であり、哲学は疑うことから始まる」
「死は肉体からの解放にほかならない」
ソクラテスかく語りき(=語ったところによると)のオンパレード。もうひとつ「ソクラテスみたいな男と結婚すれば女はみんな悪妻になるわ」おっと、これは佐藤愛子サンの名言だった。不肖私<賢者>とは程遠いのでこのくらいで勘弁してもらうことにする。
*1886=明治19年 「郵便報知新聞」や「朝野新聞」に面白い記事が見える。
近来、万事文明の風に移り、女子にして洋書を読み書きするもの少なからざるも未だ交際の何たるかを知らず。
「東京女子交際会」なる会の設立の紹介で、会員は月2回、麹町女学校で談話会を行い会報も発行すると。他にも「東京婦人交際会」「東京貴婦人交際会」「東京海軍軍医夫人会」「東京婦人矯風会」など同じような交際会が次々にできた。もっとも「婦人禁酒会」などというのもあるからいまの<女子会のはしり>と言うにはちょっと違う。
*1906=明治39年 牛鍋チェーン店で成功した「いろは」の開設者・木村荘平が没した。
木村は京都出身で生家は幕府の「公方様御用」と宮中の「禁裏御用」をつとめた。ただし本人はやんちゃ坊主で相撲部屋に入門して力士を志したが連れ戻され、放蕩を繰り返して勘当となり事業では失敗を繰り返した。その後、鳥羽・伏見の戦いで大久保利通の懐刀でのちに東京警視庁大警視=警視総監になる川路利良の招きで上京した。
政府から官営屠場の払い下げを受けて成功すると芝三田に1号店「第一いろは」を開店し大当たりした。以後、東京市内に20店以上の支店を出して「いろは大王」と呼ばれたいまのフランチャイズチェーンの元祖だったわけです。食肉業界では東京府下の肉問屋をまとめて東京諸畜売肉商組合を結成、東京家畜市場の理事に就任した。
のちのヱビスビールとなる日本麦酒醸造会社、火葬場運営の東京博善会社、芝浦埋め立て以前のリゾート施設のさきがけとなる温泉付旅館「芝浜館」や料亭「芝浦館」を成功させた。なかなか遣り手の実業家だったがもうひとつ紹介しておくと木村が作った「いろは」の支店にはそれぞれに愛人というか妾を置いて経営にあたらせ、従業員はその家族が中心だったことだろう。店が繁盛するかどうかはそれぞれの愛人の才覚によるわけで繁盛店にした愛人は木村の<おぼえ>がよかった。
こんな木村だったから認知した子供の数は30人以上にのぼる。作家では長女・栄子が女流作家第一号の木村曙で知られ、4男・荘太と直木賞作家の10男・荘十がいる。8男・荘八は永井荷風の『濹東綺譚』などの挿絵を描いた洋画・版画家だが随筆家としても一流で芸術院恩賜賞を受けた『東京繁昌記』がある。変わったところでは6男・荘六は奇術師、12男の荘十二は映画監督になった。男子には必ず自身の「荘」の一字を入れたから子にしてみれば「木村」と「荘の字」の名前でハハーンということもあったのではないだろうか。