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“6月14日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1958=昭和33年  フランスの深海調査艇・バチスカーフが初めて日本海溝に潜航した。

スイスの物理学者ピカール親子が考案した有人潜水艇で、自重と浮力のバランスでワイヤーなしで深海を自由に動けるのが特徴だった。「日仏共同日本海調査」として計画された日本海溝の初の学術調査で、候補場所の宮城県金華山東南東152キロの太平洋の予想深度は約3,000メートルだった。初日はウーオ艦長らフランスチームが試験潜水して1,200メートルまで潜った。以後3回の潜水で海溝の深度3,000メートルの海底に着底することに成功した。太陽光の到達限界が深さ500メートルであることや海底を歩く7センチと4センチのカニをはじめ、多くの生物を見つけた。

乗り組んでいたマルセイユ大学のJ・M・ペレス教授らは深海底で「バレエを踊るイソギンチャク」や「プラチナ台にセブンカラーのパールをはめた美しい指輪としか思えない謎の生物」を発見したとレポート。ユニークな形容や写真はそれまで高い水圧で生物は存在できない<沈黙の世界>といわれてきた深海の知られざる生物の営みが生き生きと紹介され大きな関心を集めた。

支援船として海洋調査船「海鷹丸」を提供するなど調査を全面的にサポートした東京水産大学(現・東京海洋大学)からは海洋研究の佐々木忠義教授が参加した。特筆されるのはこれまではまったく流れがないとされていた海溝最深部の海底でも毎分2センチのわずかな「流れ」があることを世界で初めて突き止めたことだ。当時は核廃棄物の深海投棄が検討され海の底に捨ててしまえば全て解決するという今なら到底受け入れられない乱暴な考えがあった。佐々木教授が見つけた「わずかな流れ」のくだりには深海を原子炉廃棄物の捨て場にするのは極めて危険と書かれている。確かな問題意識と強い警戒感を持って核廃棄物の深海投棄に警鐘を鳴らしたわけだ。

*1942年  世界的なベストセラーになるアンネ・フランクの『アンネの日記』が書き始められた。

ナチスの秘密警察の探索を逃れてオランダ・アムステルダム郊外の古びた煉瓦造り建物の「秘密の小部屋」で家族らと息をひそめて生活していたユダヤ人少女の日記である。前年からオランダでも「ユダヤ人狩り」が始まり、収容所に入るか国外追放を逃れて非合法に隠れる以外の選択肢はなくなっていた。

そんななか13歳の誕生日を記念して1冊の日記帳をプレゼントされたアンネは、自分の“心の秘密”をキティと名付けたこの日記にだけは打ち明けようと決心した。

「さて、わたしがなぜ日記を書き始めるかという根本の問題に来ました。それは、私には真実の友がいないということです。十三歳の少女が、この世の中で孤独を感じるなどということを信じる人はいないでしょうし、また事実、普通ならそんなことはないのですから」
「わたしはこの日記帳を心の友にしようと思います。そして、このお友だちをキティと呼びます」
こうして架空の友キティにあてたアンネの告白が始まる。自分たち4人家族の生い立ちから1940年以来ユダヤ人にしむけられた数限りない弾圧と制限について。学校のこと、ボーイフレンドのこと、アンネはユーモアとささやかな皮肉を込めながらも淡々と綴る。
アンネはドイツのフランクフルトに生まれた。両親がオランダに亡命したのに伴い、アムステルダムで平和に暮らしていた。それが一転、小部屋で息をひそめて暮らすことになったのだから育ち盛りの多感な少女には過酷すぎる運命だった。乏しい食事、家族であるという人間関係そのものもお互いの不満のはけ口がない分、余計にわずらわしかった。

日記は1944年8月4日に何者かの<密告>によって秘密警察に拘束される直前まで書かれた。家族8人はオランダ北部の強制収容所に送られ、父親以外は病死した。「戦争が終わったら自分の日記を本にし、将来は作家かジャーナリストになって戦争の悲しさを伝えたい」というのが夢だったアンネも腸チフスでわずか15年の人生を閉じた。

『アンネの日記』はナチスによるユダヤ人の大量虐殺=ホロコーストの悲劇を伝える貴重な日記として世界55カ国語に翻訳され2千5百万部が発行される大ベストセラーになった。この人気に便乗しない手はないと大戦ではナチス側で戦った日本でも文藝春秋新社が動く。日本語版が1952=昭和27年12月に『光ほのかに アンネの日記』として発行されるとたちまち話題を呼び、翌年のベストセラーになった。もちろん多くの学校で課題図書になったから、ではなくアンネに、あるいはキティに誰もが感情移入できたからではあるまいか。

書くべきかどうか迷ったが「本当にアンネ自身が書いたのか」という<真贋論争>もある。名指しされるのは父親やアメリカの作家であるが、その真相は闇のかなたであろうか。

「あそこにいた25ヶ月間、家族はただ苦しみに耐えていましたがアンネだけは違いました。彼女にとってはこの歳月を<冒険>と感じ取っていました。だって日記にもそう書かれているではありませんか」

家族のために食料補給係を続けた娘の証言を<救い>としておく。

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