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“7月3日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1944=昭和19年  北海道での昭和新山誕生を記録し続けた三松正夫の『新山生成日記』から。

7月3日 晴れ 西北風

午前8時30分、突然また爆発となり、筒形の黒煙が四条並んで噴騰して2,000メートルの上空に達し、西北風に煽られて東南へ流れた。筒形の噴煙はなかなか崩れず、わずかの間をおいて四条が一組となって流れるにつれ、また四条が噴いて八条となり十二条となって消えていった。間もなく爆発の規模を拡大して東南方は煙幕状となった。降灰を潜り抜けて苗圃や建部の地区民は先を争って煙外の滝之町へ退避してきた。

この爆発は前日発生した第3火口からで1時間30分ほど続いて間歇となった。火口は径70メートルばかりに拡大して、その北側が三段の火口壁となっていた。噴石はフカバ地区を直撃、屋根は穴だらけで壊滅状態である。柳原とフカバの境に住む前山政次郎氏は帰宅中に爆発に遭ったが九死に一生を得た。

【前山政次郎氏談】6月27日の噴火では身一つで逃げたので、残した馬が可哀想で前夜帰ってきて一泊。翌朝、食事中でした。突然激しい轟音と共に爆発となり、間もなく、真っ黒な降灰で忽ち周囲が暗闇となってしまいました。びっくり仰天していると急に激しい熱風が吹いてきてガラス窓が数枚パリパリーンと割れ、土砂が渦巻いて室内に吹き込んで来たのです。ありあわせの板などで応急修理をしていると、今度は20貫(75キロ)もあろうかと思われる石が、ドカン、ドカンと屋根を貫いて家の中に飛び込んできます。夢中で戸外に飛び出しました。激しい降灰石と渦巻く土煙の中を這って逃れようと必死なのですが、息が出来なくなり、素手で土を掘ってタオルで隠した顔を入れては一呼吸して、一息ついては駆け出し、ようやく南方数百メートルに鉄道線路を探り当て、これを伝って煙外に出た時には本当にホッとしました。

日記を残した三松は北海道有珠郡の壮瞥(そうべつ)郵便局長で、紹介したのは4回目の爆発。新山とは北海道の有珠岳の東側に誕生した「昭和新山」のこと。噴火は10月30日まで17回続き、その後は巨大な溶岩ドームが成長し高さ175メートルの新山が生まれた。新山誕生は敗戦直後の1945=昭和20年9月20日だった。三松は自分の所有する農地を手放して費用を捻出すると農地を失い困窮した農民から土地を買い上げ<私有地>として火山全体を開発や破壊から保護した。

1951=昭和26年に「有珠新山の溶岩円頂丘」として天然記念物に指定され、32年には特別天然記念物に“昇格”した。「昭和新山」は三松の火山学の恩師でもある東北大学教授の田中館秀三が35年に命名した。戦争末期、厳しい報道管制のなかで続けられた日記などの記録は世界の火山学者たちを驚かせた。

余談ながら前山氏の愛馬はどうなったのだろうと日記を最後まで読んだが見あたらなかった。命からがらからくも脱出したのだからそれどころじゃなかったのでしょう。

*1812年  プラハ郊外の温泉で静養中のベートーヴェンは「不滅の恋人」宛に3通の恋文を書く。

「神よ。こんなに愛し合っている者がなぜ離れていなければならないのでしょうか。永遠に僕は君のもの。君は僕のもの」という内容だが死後に見つかったから相手は不明。もちろん諸説ある。

楽聖が必ずしたように、コーヒー豆を<きっちり60粒数えて>から挽いて。そうですな、ピアノソナタなら第23番へ短調『熱情』など聞きながら推理されては、と思う。

*1946=昭和21年  日本生活問題研究所が川崎と横浜で行った物価調査を集計した。

実施期間:6月20日から7月2日まで
「物価」または「物交=物物交換レート」について
  ・靴1足=モチ米3斗(45キロ)
  ・ゴム靴1足=500円
  ・ラジオ=米2斗(30キロ)
  ・地下足袋1足=米2升(3キロ)
  ・古い蚊帳=800円
「家」について
  ・ノミ(蚤)がいる :44.3パーセント
  ・ノミ(蚤)はいない:49.4パーセント
  ・不 明      :  6.3パーセント

焼け跡が広がる大都会では釘などから足を守る靴は必需品で情報源はもっぱらラジオだった。蚊を防ぐ蚊帳も意外に重宝されたか。
ちなみに我が家にはノミはいないけど蚤(=蚤野久蔵)はいます?!。おあとがよろしいようで。

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