“7月24日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵
*1927=昭和2年 作家・芥川龍之介が未明に東京・田端の自宅で自殺した。
36歳だった。「睡眠薬ベロナール及びジャール致死量を飲み」と報道された。
死の3日前の夜、作家の佐田稲子は堀辰雄の案内で夫・窪川鶴次郎と3人で芥川邸を訪問した。芥川とは夫を含めた作家仲間で何度か会ってはいたが7年ぶりだった。わざわざ堀あてに「佐田さんに会いたい」というご指名の連絡がありこの夜の訪問となった。
7年後に会う芥川さんはひどい変わりようであった。7年前の当時、芥川さんは華々しくまた凛然とし、颯爽として見えた。その印象が私にあるから、この夜の芥川さんの変わられようは異様にさえ感じられた。灰色のかたびらに細紐一本を巻いた芥川さんは蹌踉として見え、私のコップにサイダーをつぐ手が、こまかくふるえていたのをよく覚えている。作家の生活の激しさなのであろうか、と私はひどく驚きながらそう思って打たれたが、芥川さんのこの変り方は、7年間の距離をおいて見た私にだけわかるもののようであった。
芥川さんから七年前の話は何も出なかった。やがて私に顔を向けて芥川さんはこう聞かれた。
「あなたの飲んだ睡眠薬は何でしたか」
おもいがけない質問かもしれない。が私はとにかく答えた。つづいてまた聞かれた。
「また死にたいとは、思いませんか」
この問いになって少なくとも私も奇妙に思った。私の過去にそんな経験があるにしろ、今は夫と二人連れである。また死にたいと思うわけはないではないか。私はそんな疑問を感じた。
「その後、身体は丈夫ですか」
私は健康だった。それは大変いい、と云われた今度の言葉は、言葉どおり温かく聞えた。
四日後、7月25日の新聞は芥川龍之介の自殺を報じて紙面を埋めていた。激しい衝撃の中で、私はまざまざと思い出した。あの夜の質問の奇妙さがようやく解る気もした。芥川龍之介は自身の死を決する前に、生き返ったものの顔を見ておこう、と思ったにちがいない。その後の心理や健康状態まで知っておこうと思ったにちがいない。
そして芥川龍之介は、尋常に、仕合せげな未遂者の若い女の顔に、安心をではなく、軽蔑を感じたのではなかろうか。私はそう気づくと、衝撃と悲哀の中に自分の羞恥を感じた。たしかに芥川龍之介は、自分の死の決行の前に、未遂者の顔を見ておこうとおもった。芥川龍之介らしい周密さであったろうか。(『ひとり旅ふたり旅』北洋選書、1978)
「皮肉で聡明ではあったが、実生活においてはモラリストであり、親切であった。彼が、もっと悪人であってくれたら、あんな下らないことに拘泥(こだ)はらないで、はればれと生きて行っただろうと思ふ」と悼んだ一高の同級生でその後も親交のあった菊池寛は葬儀で嗚咽しながら弔辞を読んだ。つられて満場の参列者も皆すすり泣いた。
「そのすすり泣く声は、大正文学への挽歌のようだった」と文芸評論家の巌谷大四が書いているが、菊池はその名を冠した新人文学賞「芥川賞=芥川龍之介文学賞」を創設した。
「あんな下らないこと」と菊池がいったのが世に伝わる<漠然とした不安>とどう結びつくのかは結局<謎>として残った。晩年の代表作『河童』から忌日は「河童忌」。
*1918年 第一次世界大戦中のパリの大法廷にひとりの女性が艶然とほほ笑みながら入廷した。
午前11時過ぎ、切れ込みの深い青いドレスに三角帽子をかぶった女性は「独諜報員H―21」と呼ばれたマタ・ハリだった。オランダ生まれのマレー系ダンサーで本名はマルガレ―タ・ヘールトロイダ・ツェレ。マタ・ハリはダンサーとしての芸名で「太陽=日輪の目」をさすインドネシア語とか。
結婚して2児をもうけるが離婚して20世紀初頭にパリに移り住むとはるばるジャワ島からやって来た<踊り巫女>あるいは<没落王朝の元王女>という触れ込みで演じたオリエンタルスタイルの踊りが人気を呼び、やがて高級士官や政治家とベッドを共にするようになる。それで<稼いで>もいたから「高級娼婦」という顔もあった。相手にはドイツ軍の士官もいたからスパイ説が浮上する。あるいは二重スパイとも。
多くの作戦の失敗が彼女のせいにされ、輸送船がナチスのUボートに沈められたのも彼女から情報が漏れたからとありとあらゆることが彼女の仕業と決めつけられた。戦況の不利を他人のせいにするのはフランス・ドイツどちらにせよ<都合のいいこと>だったわけである。判決は「有罪」。10月15日にサンラザール刑務所で銃殺刑に処せられた。41歳だったとされる。
グレタ・ガルボ主演のアメリカ映画『マタ・ハリ』(1931)や同じ年に制作されたマレーネ・デ―トリヒ主演の同じく『間諜X27』はヒロインのモデルとされました。「東洋のマタ・ハリ」といわれたあの川島芳子が処刑されたがそれは実は<替え玉>で、中国大陸の某所で天寿を全うしたというルポ映像を見たことがある。では本家のマタ・ハリもあるいは、とふと思ったものです。たしかに逸話が山ほどある人物ではあるけれどそれはなさそう。それにしてもベッドで漏らしたという情報なんてあまり大したものとは思えないけどいまだに「彼女は何を漏らしたのか」という<確たる証拠>はないそうで。