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“8月6日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1806年  神聖ローマ帝国が滅亡した。

ドイツ皇帝=神聖ローマ皇帝フランツ2世が退位と帝国の解散を宣言し844年に及ぶ紆余曲折の歴史はこの日をもって幕を閉じた。

朕はライン同盟の結成によって皇帝の権威と責務は消滅したものと確信するに至った。それ故に朕は帝国に対する全ての義務から解放されたと見做し、朕とドイツ帝国との関係は解消するものであることをここに宣言する。これに伴い、朕は帝国の法的指導者として選帝後、諸候そして等族その他全ての帝国の構成員、すなわち帝国最高法院そしてその他の帝国官吏の帝国法によって定められた義務を解除する。

前年の第3次対仏大同盟戦争でオーストリア主力軍はナポレオン軍に降伏し、フランスはウィーンを占領した。更にフランス軍の追撃は続き、アウステルリッツでフランツ2世とロシア皇帝アレクサンドル1世の率いるオーストリア=ロシア連合軍に勝利した。これによりオーストリアはヴェネチア、チロルの割譲とバイエルン、ヴェルテンベルク両王国、バーデンの大公国への昇格を認めさせられる。中小帝国連邦はナポレオンを<守護者>とすることを決め、1806年7月にバイエルン、ヴェルテンベルグを始めとする帝国16領邦がマインツ大司教ダールベルクを首座大司教候とする「ライン同盟」を結成して神聖ローマ帝国からの脱退を宣言した。早く言えばナポレオンの軍門に下ったわけだ。

絵画は写真とは違うがダヴィッドの『アルプス越えのナポレオン』と見比べると、ナポレオンは全てが勇ましく表現されているのに対し、神聖ローマ帝国の皇帝を退位したフランツ2世の肖像画は目に力がなくてうつろな感じに描かれている。昇るものと沈む者の落差とでもいおうか。連邦国家としての神聖ローマ帝国からは<誰もいなくなって>解散せざるを得なかったが、自らの領土であるオーストリアとハンガリー王国を中心としたオーストリア帝国を再編し「オーストリア皇帝フランツ1世」として終生君臨した。生涯4度結婚、質素な生活を好み晩年は国民からも慕われて<善き皇帝フランツ>と称された。

*1967年  ボリビア革命に身を投じたチェ・ゲバラは日記に苦しいゲリラ戦を書き残した。

『ゲバラ日記』 8月6日:
野営地を移し替えた。残念ながら行けた距離は3時間の場所ではなく、1時間のところだったが、是は先が長いことを意味する。ベニーニョ、ウルバノ、カンバ、レオンが山刀を振るいながら突き進む一方でミゲルとアニセトは新しく見つけた小川がロシータ川に合流する地点を見極めるために出立した。夜になっても彼らが帰らない上、遠方で迫撃砲が炸裂するような爆発音がしたので警戒を強めた。今日はボリビア国の独立記念日なのでインティとチャバコが皆の前で話をした後に、私も二、三言喋った。標高=720メートル。

キューバ革命に続き、南米全体の革命をめざしたゲバラはボリビアのジャングルでゲリラ活動を続けていた。アルゼンチン・ロサリオ生まれ、本名はエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。キューバのカストロが弁護士だったようにゲバラも中産階級の出身で医師だった。カストロが良く使った「祖国か死か」からするとゲバラの故郷はアルゼンチンであるが、<自由>や<連帯>をめざしたポジティブな闘いは、偏狭なナショナリズムやロマンティシズムを超えていたから歴史にくさびを打ち込めたのではなかったか。

*1902=明治35年  俳人の正岡子規は痛み止めを服用しながら2日遅れで日記をようやく書いた。

子規はこのところ体調がすぐれなかった。日記随筆の『病牀六尺』は遅れがちだった。
八月六日。晴。朝、例によりて苦悶す。七時半麻痺剤を服し、新聞を読んでもらふて聞く。牛乳一合。午餐。頭苦しく新聞も読めず画もかけず。されど鳳梨(パイナップル)を求め置きしが気にかかりてならぬ故休み休み写生す。これにて菓物帖(くだものちょう)完結す。始めて鳴門蜜柑を食ふ。液多くして夏橙(だいだい)よりも甘し。今日の番にて左千夫来る。午後四時半また服剤。夕刻は昨日よりやや心地よし。夕刻寒暖計八十三度(=摂氏28.3°)。

随筆の冒頭に題名を『病牀六尺』とした理由を子規はこう書いている。
病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事もできない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。

苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢(はか)なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を怠るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも6年の間世間も知らずに寝て居た病人の感じは先ずこんなものです。

革命家と俳人のこの日。それぞれの夏である。

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