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“9月4日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1870年  フランス帝政に不満を持つ市民の怒りが爆発しパリはふたたび揺れ始めていた。

市民らがパリの議場に乱入したことで第二帝政が崩壊した。前々日、プロシャとの戦いで皇帝ナポレオン3世自らが捕虜になったことで求心力は大幅に低下したことも反映した。空には一点の雲もなく晩夏の太陽が輝いていた。熱狂した市民は<革命の聖地>でもあるパリ市庁舎へ向かった。あらためて共和制宣言を勝ち取るためである。兵士たちは銃の先に花を付けてともに行進した。皇帝の胸像がセーヌ川に投げ込まれるとひときわ高い歓声が上がった。

ここでナポレオン3世とナポレオン1世(ボナパルト)はどういう関係かをフランスの国内外の情勢にからめて説明しよう。3世は1世の弟=ルイ・ボナパルトの息子で甥にあたる。ルイはホラント(オランダ)王になるが1世が反フランス連合軍によって敗れると親子は国を追われ亡命生活に入った。3世はその後、2度の蜂起も失敗に終わり終身刑を言い渡されてホランドのアム要塞に投獄された。1846年に脱獄、2年後のフランス7月革命で王政が倒され、第二共和政が樹立されるとようやく帰国して大統領選に出馬した。「ナポレオン」という圧倒的な知名度で当選を果たすと独裁体制を固め、4年後の国民投票では皇帝即位を宣言して正式に「ナポレオン3世」を名乗った。第二帝政のはじまりである。

揺れるパリへ話を戻すと昨日までは宮廷への物品納入をお互いに自慢していた店主たちは「御用達」を示すしるしを看板からこっそり剥がしている。午後4時過ぎ、市庁で第三共和政が宣言された。まるで戦争が終わったかのように、パリ市民は陽気だったがそれはひとときだけのことで対プロシャとの領土割譲問題などが重くのしかかった苦難の船出にすぎなかった。

*1875年  「密林の聖者」シュヴァイツァーがアフリカ・ランバレネで亡くなった。90歳。

ドイツ・アルザスの牧師の子に生まれた。アルザスはロレーヌと並び旧ドイツ帝国領で独仏の領有争いが続いた紛争地帯だったが現在はフランス領になっている。アルザスでの牧師の社会的地位は高くシュヴァイツァーの家庭も比較的裕福だった。幼いころ同級生の少年と喧嘩になり、相手を組み伏せたときに「俺だってお前の家みたいに肉入りのスープを飲ませてもらっていたら負けやしない」と言われたことで、同じ少年なのになぜ、という疑問がわいた。子供心に悩んだのが後の人生を決定づけた。

7歳からピアノ、14歳からパイプオルガンを習った。これがバッハ研究の下地になった。名門ストラスブール大で神学と哲学の博士号を取ると30歳からあらためて同じ大学の医学部で学び38歳で医学博士号を取得した。当時、医療施設に困っていた仏領赤道アフリカ(ガボン)に渡ると手づくりの段階から医療活動に従事した。このときはまったく無名だった。

第一次世界大戦が勃発するとドイツ国籍だったシュヴァイツァーは捕虜になりヨーロッパへ帰還させられる。保釈後はヨーロッパ各地で講演や病院の資金集めのためのパイプオルガンの演奏で名声を得るとその後も助手たちに病院を任せアフリカでの医療活動とヨーロッパでの講演や演奏活動を続けた。第二次世界大戦で広島と長崎に原子爆弾が落とされたことに衝撃を受け、核問題を中心に反戦運動を続けて1952年にノーベル平和賞を受賞した。<20世紀のヒューマニスト>としてマザー・テレサやマハトマ・ガンディーとともに挙げられるが、貫いたのは「生命への畏敬」。意外にも風月堂のゴーフルが大好物で日本からの訪問者はお土産に必ず持参したと聞くと微笑ましくもある。

*1943=昭和18年  上野動物園で飼育していたライオンなどの猛獣の「供養法要」が行われた。

空襲などに備えて東京都が指示した猛獣などの薬殺処分を供養するためだったが、対象になった27頭のなかにはヒグマやライオン、ヒョウ以外に象や生まれたばかりのヒョウの赤ちゃんもいた。動物園では象やこのヒョウの赤ちゃんなどは地方の動物園に疎開させたいと交渉したがどこも手いっぱいと断られて処分に踏み切らざるを得なかった。

午後2時から園内の動物慰霊塔前で行われた法要は浅草寺の大森大僧正が導師になり営まれた。この段階でも人気者だった象の「トンキー」ともう一頭は毒入りのえさを食べなかったのと、ヒョウの赤ちゃんは不憫に思った飼育係が密かに生かしていた。猛獣の場合はたしかに空襲時の檻の破損などで逃げ出すことが考えられたのだろうが「お国のために動物ですら身を捨てているのだ」と<時局捨身>をたたえる意図も見え隠れする。

朝日新聞は「上野動物園の猛獣 空襲に備へて処置」という見出しで報道したが、「最も危険なライオン以下の猛獣を穏やかな方法で処分した」と書いただけで象などの名前にはまったく触れなかった。さらに「万一の情勢の急迫から非常手段を取らず」ということで、<銃殺処分にしなかった>ことをにおわせ、「死骸は剥製にして保存する」ことと「今回処置した猛獣は平和克復の後はすぐ補充の付く動物ばかりです」という都公園緑地課長の談話を紹介している。

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