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“9月13日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1912=大正元年  明治天皇の大喪の行われた夜、乃木希典夫妻が赤坂の自邸で殉死した。

  うつし世を神さりましし大君の御あと慕ひて我はゆくなり
の辞世の歌が残されており、各紙はそろって号外を発行した。

陸軍大将、学習院院長など輝かしい経歴は別にしても多くの国民にとって乃木は日露戦争の勝利とともに記憶されていた。夏目漱石も『こころ』に主人公が「御大葬の夜、私は何時もの通り書斎に坐って合図の号砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知の如く聞えました。後で考えると、それが乃木大将の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました」と書いた。

この号外を巡っては激しいスクープ合戦があった。殉死を発表した陸軍省は辞世だけの発表で済ませようとした。ところが遺書の存在が漏れそうになると一部を伏せて発表した。遺書には西南戦争において軍旗を奪われた失態を改めて詫びることから始まり、日露戦争の戦死者の多さを悔い、二児をこの戦争で戦死させ後継者のいない乃木家はこのまま絶家させるのが当然で、自分もそれを望んでいると書かれていた。<明治のもののふ・乃木>は殉死することで多くの命を犠牲にしてしまった自身をも厳しく処断したことになる。

軍部が隠そうとしたのはこの「絶家」の部分である。山県有朋、寺内正毅ら「長州軍閥の巨頭」たちは旧藩主毛利家の四男に乃木家を継がせようと策謀した。これをすっぱ抜いたのが徳富蘇峰の「国民新聞」だった。大喪の夜、乃木殉死の情報を聞いた社会部長の座間止水は青山斎場から乃木邸にかけつけたが所轄署の警官数名がいるだけで陸軍省からも宮内省からもまだ誰も到着していなかった。座間はモーニング姿だったこともあって勘違いした警官が夫妻の自決現場に案内した。それで首尾よく遺書の全文を写し取った。

*1592年  フランスの大思想家モンテーニュ59歳で逝く。

「本を読んでいて難しいところにぶつかっても私はやきもきしない。ひと突き、ふた突き、あとはほっておく。いつまでも立ち止まっていると頭がぼんやりして時間が消える」という名言を残した。

先を急ごう。

*1876=明治9年  日本橋古物商殺しで逮捕された高橋お伝の「助命状」が新聞に掲載された。

愛人の小川市太郎に送ったもので「たかいところからたんがん(嘆願)して下され、下からではだめだ」とあった。本名は高橋でん、1851=嘉永4年、上野国(群馬)の下牧村生まれ。養父のもとで婿を取るが離縁、2度目の婿は病気になり看病につとめたがお伝が26歳の時に死んだとされる。その後は東京や横浜で酌婦などさまざまな職を転々とした。なかなかの美人だったから見染めた市太郎の<囲い者>になる。ところがブローカーのような仕事だった市太郎は取引の借金がかさんで首が回らなくなった。お伝の女稼ぎではたかが知れている。

この「助命状」の前月、お伝は知り合いの古物商で羽振りのいい後藤吉蔵に借金を申し込むが「枕を交わすなら金を貸す」と言われ8月26日に浅草の旅籠「丸竹」で一夜を過ごす。しかし翌朝になって吉蔵が態度を変えたため逆上、剃刀で吉蔵の首に切りつけ財布の金を盗んで姿をくらませた。市太郎の借金は数百円もあったようで吉蔵は「そんな大金は貸せない」と言ったのかもしれない。いつも多額の仕入れ資金を持ち歩いていたことをお伝は知っていたらしい。宿を出るとその足で金貸しに市太郎の借金を返済している。そして9月9日、立ち回り先で強盗殺人の容疑で逮捕された。

犯行発覚が27日、13日後に捕まるまで、いや逮捕されてからも新聞は<毒婦・お伝>とあることないことを連日、書き立てた。「助命状」は当然、目玉記事になったが逮捕直後だけに手回しが良すぎる。しかも裁判が2年半も長引いたのはお伝が取り調べにのらりくらりとウソを重ねたからだから最初から助命嘆願などするはずもない。ともあれ東京裁判所での死刑判決を受けて1879=明治12年1月31日に小塚原の刑場で斬首された。

処刑後間もなく戯作者の仮名垣魯文が『高橋阿伝夜叉物語』を書き上げた。それに続いて錦絵、歌舞伎、落語とさまざまに取り上げられたことで空前の<毒婦ブーム>となった。久しぶりに犯罪史、風俗史、新聞資料などを取り出して読み比べてみた。お伝という女、時代、人物、事件の経過などのピースを構成してここまで紹介した。お伝の身過ぎ世過ぎの仕事など<あえて使わなかったピース>もある。あまたの俗説のなかで辞世「子を思ふ親の心を汲む水に濡れる袂の干るひまもなし」もありふれたものだし、墓に刻まれた「暫くも望みなき世にあらんより渡し急げや三つの川守」も魯文が筆を入れたそうだからこちらもどうだか。文明開化という混沌が産みおとしたお伝の女人哀史像も裏返せば<毒婦>となる。

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