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私の手塚治虫(13) 峯島正行

ロボット法とロボット工学三原則

 

フランケンシュタイン・コンプレックス

私の少年時代は、あの怖い、恐ろしい顔をしたフランケンシュタインの話を読んだり、映画で見たりして、恐怖におののいたものであった。みなさんそういう経験がおありだろう。怖いもの見たさに、もう一度見たいと思ったりして……。

西欧では大人だって、私たちのそれとはちょっと違うが、フランケンシュタインに恐怖感を持っていた。フランケンシュタインというのは、一九世紀初頭の小説。主人公のフランケンシュタインは、名家出身の青年科学者。生命の謎を解き明かし、自由自在にこれを操ろうという野心に取りつかれ、「理想の人間」の設計図を完成させる野望の実現を期す。それが創造主である神の掟に背く行為である、という恐れを抱きながらも、実行に移す。彼は墓を暴き、人間の死体を手を入れ、それをつなぎ合わせることで、怪奇な人物の創造に成功する。

しかしそれで誕生した怪物はすぐれた体力と人間的知性を持っていたが、筆舌に尽くしがたい醜い容貌を持ち、生みの親であるフランシュタインさえ、怪物からか逃げ出す始末で、それから、いろいろな恐怖に満ちた事件が起きる。

この物語は、人類の心の底で常に持つ恐怖の基となった。

この恐ろしさとは、造物主である神に代わって人造人間、ロボットといった生命を持つ被造物の創造への憧れと同時に、その被造物により、創造物を作った神に背いた行為として、その罪で人間が滅ぼされるのではないか、という恐怖が、人間の心の底に沈泥しているからではないのか。この恐怖の感情を、アメリカのSF作家、アイザック・アシモフによって、フランケンシュタイン・コンプレックスと名づけられた。

アシモフは草創期のアメリカSFの作家である。彼はその後幅広い作家活動によって、アーサー・クラーク、ロバート・ハインラインなどと並ぶSF界の巨匠になった。

彼は一九五〇年、(昭和二五年)、「I,ROBOT」 (われはロボット)という、SF短編集を発刊した。昭和二五年という年は、第二次大戦終了後、五年目であり、いまだに戦塵の匂いが漂い、また朝鮮戦争が勃発した年である。そこで育ったSFは、文学の分野としては、若い、未知の荒野に芽を出したばかりであった。SFの未来は、光と闇が交錯していた。

アシモフはその中でもロボット小説の世界では先鋭な先駆者であった。彼がロボット小説を書くにあたって、一番悩んだ問題は、彼自身が名づけた「フランケンシュタイン・コンプレックス」であった。

SFにおいては、宇宙という無限の世界で人間が活躍するためには、宇宙という過酷な環境のなかで、頼りになる労働力であり、同時に太陽系の外に飛び出してゆくという困難なフロンテア事業の協力者が必要である。それがロボットである。宇宙の現場は人間とロボットのチームが密接に結びついて行動しなければならない。

しかし、人間が、フランケンシュタイン・コンプレクスを持つ限り、ロボットとの間に感情の擦れ、対立、が生じて事がうまく運ばないことがおきる心配がある。

その一方ロボットの能力は、日に日に進歩を遂げる。

技術の進歩ばかりでなく、人間の精神の動きをとらえ、彼ら自身のものにしてゆくであろう。そうなった場合に人間とロボットの関係はどうなるか、ロボットと対等、さらにはロボットの優位さえ生まれる。アイザック・アシモクは、この問題についての解決法を編み出さねばならなかった。

最初の短編集「I,ROBOTT」の序章において、75歳になるベテラン女性技術者が、ユナイテッド・ステーツ・ロボット&メカニカルマンK/Kの創業七五年を迎えて、自分の七五才の引退についての話をしている。

記者に向かって女史は聞き返す。

「あなた幾つ」

記者が三二歳と答えると、誇り高き女性技術者はこう答える。

「それではロボットのいない世界は知らないのね。人類が頼る友もなく広大な宇宙を一人ぼっちで、闘わねばならない時代があった。でも今は助けてくれるものがいる。人類より強靭で、忠実で、有能で、全く献身的に仕えてくれる者が。人類はもう孤独ではありません。

貴方にとって、ロボットはロボットなのね。歯車と金属、電気と陽電子。鉄にくるまれた心!人間の創造物!必要なら人間の手で破壊できるもの、でもあなたはロボットと一緒に働いたことがおありでないから、彼らのことは解らないわね。彼らは人間より、ずっと無垢で優秀な種族ですのよ」

とベテラン技術者はのべるのである。

こうなってくるとアシモフは一層、人間のフランケン・シュタイン・コムプレックスの問題を解決し、ロボットと人類とが、うまくいくようにしなければ、その方法を考え出してゆかなければ、小説の世界でも乱れきってしまう可能性が強いと判断したようだ。そして先輩作家であり、すぐれた編集者だった、ジョン・W・キャンベル・ジュニアと相談し、戦後、短編集「I,ROBOTT」に収められるロボット小説「ロビー」をかいた。一九四〇年の事である。それから四作目「堂々巡り」(一九四二)を書いた頃にいたって、「ロボット工学の三原則」(The Three Lows of robotics) という、彼の小説の憲法のような規定を確立する。この[robotic]という言葉も全くアシモフの造語である。日本ではこれを「ロボット工学の三原則と訳している。

一九五〇年、初期の小説をまとめた「I ROBOT」の巻頭にこの三原則を載せて、アシモフはその重要性を喚起している。その三原則を上げてみると、次のようなことになっている。

 

 ロボット工学の三原則

 

第一条          ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条          ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。

第三条          ロボットは、前掲第一条及び第二条に反する恐れのない限り、自己をまもらなければならない。

 

アシモフは、「I.ROBOTT」の後、出版した「ロボットの時代」として同時代を描いた短編集も出しているが、この作品群が雑誌単行本を通じてロボット工学の三原則、つまりロボット・行動体系の倫理規則が、文壇一般に広められた。またこの規則は、他の作家や思想家が、この種の話題を扱うに際し、大きな影響を与えた。その後もアシモフのかいた一連の作品には一見して三原則に反するような行動をとったり、それをめぐる謎を解決するというミステリ仕立ての作品も多いという。この辺りに来ると筆者も勉強不足なので、詳しい解説は、ご勘弁願うとする。

 

 

ロボット法は手塚の独創

 

さてそこでわが手塚治虫に話を戻そう。手塚治虫と言えばすぐに連想されるのが、言うまでもなく鉄腕アトムであろう。雑誌の漫画に、それを基にして、アニメーションとして多数の映像作品が制作され、また映画にもなっている。正義と平和のために、10万馬力の超能力を駆使し奮闘するアトムの活動には、世界中の少年が熱狂したことは説明するまでもない。それはディズニーの作品に匹敵する世界の人気者である。

鉄腕アトムにでてくるロボットにもロボット法は存在する。最初雑誌の連載を始めたときは、ロボット法は、活字化されていなかったが、手塚のアタマの中には存在していたことは確かである。

初出雑誌、「少年」にはロボット法は明記されないが、平成11年に初版を出したサンデー・コミックス(秋田書店)の、鉄腕アトム第一巻では、開巻初頭から、「ロボット法の説明をしている。手塚はこういう方面には、非常な敏感な感性を持っている。

アシモフが、「I ROBOT」を発表したのは、前述の通り一九五〇年であったが、日本でも先駆的SFマガジン「宇宙塵」が、柴野拓美によって発行されたのは一九五七年である。柴野を中心に先駆者である今日泊亜蘭、矢野徹が協力、同人として星新一、小松左京、光瀬流、筒井康孝、眉村卓などの新鋭作家が加わって、この雑誌を中心にSF文壇を作り上げていったのであった。これに手塚も参加している。慧眼、早耳の才に恵まれた彼らが、アシモフのロボット三原則を、早くから知っていたと思われる。

そういう情報は、昭和二七年(一九五二年)四月、アトムの連載が始まったころにはすでに手塚の耳に入っていたと考えていいだろう。手塚は、じぶんのロボット法をつくるにあたっては、アシモフのロボット工学三原則と重なる部分があるが、自分のロボット法は独自に考案したものだと、言っている。

手塚に「鉄腕アトムの生い立ちと歴史」という短編漫画があるが、その中で「ロボットの法律を作ったのは、アシモフよりずっと前なんですよ」と記者の前で強調している場面が描かれている。

私はアシモフの場合は、フランケンシュタイン・コンプレックスから始まった、人間生、神性を、ロボット強化時代に、守る方に重点を置き、手塚は,科学技術の進歩により製造され、人間の進歩、生活を補助するよう、ロボット法の重点を置いているように見える。

漫画の上ではすでに制定され、アトムがサーカス団から、お茶の水博士に引き取られたのも、この法律が制定されていた結果だとされている。其の後ロボット法の内容は、連載の上で徐々明らかされてゆくが、最も具体的内容が載ったのは、「青騎士の巻」(少年、一九六五年・昭和四〇年・一〇月号~六六年三月号)

である。今それをかかげてみる。

 

 鉄腕アトムロボット法

一、          ロボットは人間を幸せにするために生まれたものである。

二、          ロボットは人間に尽くすために生まれてきたものである。

三、          ロボットは人を傷つけたり、殺したりしてはならない。

四、          ロボットは作った人間を「父」と呼ばなくてはならない。

五、          ロボットは何でも作れるが、お金だけは作ってはならない。

六、          男のロボット、女のロボットは互いに入れ替わってならない。

七、          無断で自分の顔をかえたり、別なロボットになったりしてはいけない。

八、          大人につくられたロボットが子供になったりしてはいけない。

九、          人間が分解したロボットを別のロボットに組み立ててはいけない。

十、          ロボットは人間の家や家具を壊してはいけない。

十一、     その目的にかなう限り、すべてのロボットは自由であり、自由で平等の生活を送る権利を持つ。

十二、     ロボット省の許可なくして無断で国を離れた行動をとるものは、エネルギーの無期限差し止め、または解体の刑に処する。

十三、     ロボットは人間を信ずべし。

 

機械工学や文化が進んでくると、ますますロボットに磨きがかかり、自己主張が生まれてくる。人間に奉仕するためにだけの存在に疑問を持つロボットが現れるのは当然だといえよう。

それに一九六〇年代というと、学生運動が燃え盛り、東大安田講堂占拠などという世相になって、作者としてはいい子のロボットばかりでは読者が、不満を生むかも知れないと思うようになるのは当然だ。

いくつかの編で、人間に盾をつくロボットも現れてくるが、そのさいたる一編が、青騎士の巻である。この辺の物語を簡単に記しておこう。

 

 

反逆者、青騎士

 

アトムは多少の波乱があったが、相変わらず学校で勉強をしながら、平和を乱す事件があると、出動、活躍するという生活をしていた。トントというロボットの学友もできた。

所である時、南ア連邦のダイアモンド採掘場に、青騎士と称する騎士風の男が馬に乗って現れた。ここの仕事場は、ロボットをこき使うロボットの敵であるから、爆破すると脅す。警備軍はこれを迎え撃つが、簡単に敗れ去った。採掘場を破壊して、一二人の死者を出し、いずれとなく青騎士は去った……というニュースが世界中に飛び、人々に恐怖を巻き起こす。

ロボット法によって守られている人類はこういう経験をしたことがなかったのだ。

やがて、青騎士は、自分を作った親許であるロッス博士の家に現れる。

青騎士はブルー・ボンと言いロス博士にかわいがって育てられた優秀なロボットであったのだが、ロボットだけの国を作ると家出をしていたのだ。ロッス博士は、何度も引き止めるが、生みの親である博士を捨てても、自分の決心は代えられないと断言する。

「ロボットはロボット法でがんじがらめに縛られています。やりたくてもやれないことがうんとあります。

ロス博士、私はこのロボット法を片端から破ってやろうと決心したのです。」

と叫ぶのにロッス博士は

「そんな無茶なことはやめてくれ。人間にだって法律はある。でも人間はちゃんと守っているじゃないか」と叫ぶ。

「それは人間に都合のいい法律だからです。ロボット法だってそうです。私はロボットのためのロボットの法律を作ります。今日から父と子の縁を切ります。さよなら」と言って青騎士はさった。

ここはインドのデリーの近くロボット分解工場。そこを守備しているのはss18号という豪傑のロボット。単騎やってきた青騎士に「来るなら来い、ss18号の目の黒いうちは指一本触れさせぬ」と立ちはだかった。だが二騎士の決闘は結局青騎士の勝利に終わる。

「もうほかに邪魔するヤツはいないのか。それでは工場を破壊するぞ」

大工場を完膚なきまで叩き壊し、青騎士は悠々と去って行った。それを世界中のニュース網が伝えていた。

「これで青騎士に襲われたところは全世界で三三か所になりました。次にあらわれるのはどこか。各国警察ででは、青騎士の行方を必死に探しています……」

その世界のお尋ね者の青騎士がアトムの家の庭に深夜、突然に表れた。

青騎士はアトム前に立ちはだかって、

「私の仲間になれ」という。

彼は続けて「お前は世界一の素晴らしいロボットだ。だからこうして頼みに来た。

アトム、人間は今や怠け者で、愚かな動物だ。ロボットが力を合わせて立ち上がるのはいまだ」

それを聞いてアトムは驚く。青騎士は「ロボットの一番の幸福はロボットだけの国を作ることだと思う。アトム、そのためにはお前の力がいるのだ。どうか仲間になってくれ。

それとも今までのように人間の奴隷で暮らす気なのか」

アトムは答える。

「ロボットは奴隷じゃない。今でも僕たちは自由だ。」

「いやロボット法がある限り人間の奴隷だぞ,日をあらためてくる、よく考えて於いてくれ」

と青騎士が去ろうとするのをアトムは、それをおさえ、

「君をこのまま行かせるものか。君はまたどこかで人間を殺したり、傷つけたりするだろう!」

「そうだ、それがなぜ悪い」

「人間を傷つけるような奴はこのままゆるせない。僕が邪魔をしてやる」

そこで、二人の一騎打ちが始まる。双方が能力とエネルギ-を出し尽くして戦う。だが戦いは勝負がつかずに終わる。アトムの前から相手の姿はきえた。

場面が変わって、南フランスのある海岸。そこに設置された研究所で、青騎士を倒すために、白騎士が制作された。フランスの科学庁長官は「フランスが誇る五〇万馬力の超ロボットだ。君は人間をまもり、青騎士を打倒すのだ。必ず勝て」と命令する。

テレビでこのことが全世界に伝わったために、突然そこに青騎士が出現する。そして白青の対決が始まった。

「人間の奴隷め」と青がいえば「わたしが奴隷ならお前は恩知らずだ、人間に作ってもらいながら、裏切るとは、何ということだ。」

かくして二人は決闘を始める。激闘の末、戦いは、結局白の首がもがれ、青の勝利となった。

「人間諸君、死んだ勇士のためにフランス国家でも歌いたまえ」と凱歌を上げたが、彼の方も兜が割れ、仮面の内側の顔が現れそうになる。彼は海中深くの逃れてゆこうとする。

だが日本のテレビでこの決闘を知ったアトムが、駆け付けて来たのであった。青が海中に逃げたことをしったアトムは、その青騎士を海中に追って行くのだった……。

 

以上物語の発端を簡単に紹介したが、この後物語は複雑極まりない展開を見せて、永く続いて行くのだが、それを知りたい人は手塚の作品を読んでください。

その物語は、アトムに出てくるキャラクター、アトムの家族は勿論、人間ではご存じお茶の水博士、アトムの生みの親、天馬博士、ヒゲオヤジ、ロボットを目の敵にするブルグ伯爵、四部垣、田鷲警部、ロボットでは主役の青騎士その妹、ロボットマリヤ、弟のロボットトントの他多数の人物、ロボットが登場し、反転、逆転、変転極まりない、複雑なお話となっている。「青騎士」一篇でおわらず「メラニン一族」「ミーバ」の三作続き、本にして二冊の長編となっている。

私が、この漫画を持ち出したのは、あのように平和と正義を謳歌してきた「鉄腕アトム」という作品でも、その後半になると、人間に反逆するロボット、あるいはその集団ができ、ロボット国を繰ろうとしたりするように、人間とロボットの力関係の変化を手塚が、描き始めていることだ。

前に述べたように、人間は、自分が創り出した科学技術の産物によって自らが滅びるところまで行くのではないかという懸念を、すでにアトムという漫画の中で、考えていたことを強調したいのである。

 

 

チュウーブから生まれる子

 

アトムの連載が終わった後、手塚は、幾つかのアトム・ヴァリエイションを発表しているが、その一つに「アトムの最後」という作品がある。

それはアトムが活躍した時代から長い年月がたって、アトムの遺体が、ロボット博物館に飾られてから,五〇年の年月を経たころの話である。

少年丈夫は父と母との三人暮らしの幸福な家庭の子供として育っている。或る団欒の夕べ、母の膝の上で、丈夫は母親に質問する。

「僕チューブの中から生まれたって、ほんと?ママから生まれたんじゃないの?」

「ええそうよ、今赤ちゃんはどこのうちでもチューブのなかでうまれるの」

すると父親が言う。

「昔はお母さんのおなかの中で育ったそうだけど…今はそんなことより、乾燥して保存してある精子や卵子を、チュウーブに入れて、受精させて子供をつくるんだ。」

「フーン、なんだかわけがわからないや。要するにママは楽なんだね。」

と子供は無邪気に言う。

「もう一つ聞いていい?人間て、年をとるんでしょう?ママやパパはちっとも年をとらないのはどうしてなの。」

父親が答える。

「パパも年をとってるさ、お前に比べればのろいんだ」

子供は母に抱かれながら

「僕幸せだね。ママがずっと若いもん。おばあちゃんにならないもん」

団欒の一コマとは読めない。パパもママも、ロボットなのだ。そして丈夫はクローン人間なのだ。

田才益夫が、前述したように、チャペックと言えども人間が生きた人間を生産することは考えもつかなかったろう。ところが今クローン技術によって生殖によらず人間を再生産することができるようになった。今は人間の倫理観という恐怖心がそれを抑制している。もし生きた人間ロボットが出現した時、我々は安心してはいられないだろう。

そう田才は言うが、手塚の漫画の上ではそれが現実になっているのである。恐ろしいのは、それをこの現在の社会でやろうと思えば可能性が大であることだ。(続く)

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