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新・気まぐれ読書日記  (10)  石山文也 国史大辞典を予約した人々

『国史大辞典を予約した人々』(佐滝剛弘、勁草書房)は新聞の読書欄で見つけ、珍しく「すぐに読んでみたい」と思った一冊だ。早速、行きつけの大型書店に出かけて<話題本コーナー>に直行した。本店の担当者から新聞各紙に取り上げられた「掲載本リスト」が届くと、読書欄の出る日曜日の午前中には各店内の在庫にある本はすぐにコーナーに並べられる。各店が書き入れ時で忙しい日曜日に同じことをやっていては人手もかかるし新聞代だってバカにならないから考えられた<合理的システム>とか。

佐滝剛弘『国史大辞典を予約した人々』 勁草書房

佐滝剛弘『国史大辞典を予約した人々』 勁草書房

ところが残念ながら、というか予想通りというか、棚には見当たらなかった。念のため店員さんに尋ねると「在庫はありません」。「売れたの?」の質問には「少々お待ち下さい」とバックヤードで調べてくれて入荷履歴にもないという返事だった。「お取り寄せ致しましょうか」というのを、待っていた間に選んだ文庫本を「これだけにしとくわ」と示してレジに向かった。帰りの車を運転しながら「そうだよな、売れそうな本じゃないから仕入れ担当も見逃したか。フッフッフ」と思わずつぶやいてしまった。で、どうしたかというと一度は使ってみようと思っていたネットの「翌日着サービス」で注文した。

「多分ないだろう」と予想したのにわざわざ<話題本コーナー>を覗きに行ったのは単に予想を確かめたかったわけではなく、「2千円以上の本は衝動買いしない」という<2千円ルール>を課しているから。店頭で実際に手に取って中身などをチェックし、最終判断するというのがちょっとオーバーだが最近の「私流本屋利用術」なのですね。好奇心に任せて本を買っても書庫も満杯だし置き場に困る。この本は定価2,400円+税ということで<めでたく>その対象になったというわけ。

前置きはこのくらいにして『国史大辞典』とはどんな辞典かというと1908(明治41年)に吉川弘文館から初版が出版された。A4版、2380ページの「本編」と、同じA4版220ページの「挿絵及年表」の2冊組である。定価(正価)は20円。当時の教員の初任給が12円から15円だったからそれより高かったわけで、今の20~25万円に相当する高価なものだった。現在も吉川弘文館では『国史大辞典』を刊行し続けており、最新刊の全17巻は昨年4月に価格が改定されて定価は消費税込みで31万1千円と30万円の大台を超える。時代も違うし、初版とは比較にはならないだろうが、明治維新から40年、ようやく緒に就こうとした「近代日本」の国民が待ち望んだ初の国史辞典だった。

2年前の06年には日露戦役凱旋大観兵式が東京・青山練兵場で開かれ、満鉄=南満州鉄道株式会社が設立され、この年08年に全通した。文化関連では日比谷図書館の開館式が行われ、永井荷風の『あめりか物語』、夏目漱石の『夢十夜』『三四郎』が発表された。ブラジルへの初の移民船「笠戸丸が神戸港を出港。商店ではカラフルなキャンデー、サクマ式ドロップが発売され、子どもたちだけでなく大人も目を輝かせた。

発行元の吉川弘文館は社運をかけて発刊するこの『国史大辞典』に予約購入という方法をとった。いきなり発刊するよりも予約によって購入者を確保し、予約金をもらうことで経営面でも<安全弁>となる。06年6月末までの期限で受付を始めたが予約金の払い込み方法は3種類あった。甲種=全額払いで、金8円。乙種=予約時に金1円を払い込み、7月から翌年2月まで毎月1円ずつ払う。この場合は合計9円。丙種=予約時に金1円を払い、引き取り時に9円で合計10円となる。それでも定価の半額だから予約が殺到した。

出版社ではA5版で170ページの『国史大辞典予約者芳名録』を刊行の1年前に印刷して全予約者に配った。その数1万240人、注文を取りまとめて複数購入した書店や法人名での予約もあるからだが個人名も約8千8百人にのぼる。その中に著名人も多かったから予約者の満足心をくすぐる意味もあったし、確かに予約を受け付けましたと公表することでキャンセルを防止するという効果もあったろう。

著者は5年前に群馬県藤岡市の老舗旅館でおかみと雑談するうち「古い書物に関心がある」というひとことから、おかみに「実はこんなものがあるのですが」とこの予約者芳名録の一冊を見せられた。私なら「すごいですね」で終わったかもしれないが、著者は違った。名前だけを羅列した薄い冊子をめくって大きな興味を持ちコピーさせてもらってサラリーマンの余暇を利用しての調査が始まった。名簿を頼りに地方の図書館や資料館に照会するなどして丹念に調べあげ、足かけ5年で一冊の本に仕上げた。取材は一筋縄ではいかないことが多く、相当な有名人でも実名掲載で気付かなかったとか誤字脱字なども多い。ギブアップしそうになって意外な出会いで謎の糸がほぐれたりすると、こちらも「ああ良かった」とうれしくなったりしましたね。そこまで調べますかと思うことも少なくないが、だからこその成果には正直頭が下がる。

掲載は北海道から始まり、東京府、京都府、大阪府、幕末に開港した神奈川県(横浜港)、兵庫県(神戸港)、長崎県(長崎港)、新潟県(新潟港)に続き、関東、東海、東北、北陸という変則的な順で沖縄県まで。さらに実質的な植民地だった台湾が入り、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った「軍艦乗組員」、「韓国」、「清国」に「米国」が並ぶ。有名人も多くいる。歌人の与謝野晶子、佐々木信綱、作家の長塚節、巖谷小波、国語学者の新村出、諸橋轍次、金田一京助が並ぶ。言論人では黒岩涙香、陸羯南、彫刻家の高村光雲、実業界では三菱財閥の岩崎弥之助や「浅田飴」創始者の堀内伊太郎、「デンキブラン」で知られる日本で初めて開業した浅草「神谷バー」の神谷伝兵衛など実に数百人が履歴とともに紹介されている。

地方の有名人も県知事から町長、村長まで多く取り上げられているが、大分県の湯の町・別府では廻船業から旅館業まで商売を広げ、別府町の初代町長になった日名子家当主・日名子太郎の名を見つけた。先日亡くなった先輩のご先祖で<変わった名字>で記憶していたから気付いた。著者の丹念な地を這うような取材は華族や有力企業の創始者や経営者という裕福な人々だけでなく、生活を切りつめてもこの本の購入代金を捻出した何人もの市井の人たちを発掘している。「持てる者」とは対極にあるこれらの人々は、私財をなげうって学校の運営に尽力したり、地域の社会運動に精力を注ぎこんだりした。明治の人々は単に自身の知識欲を満足させるにとどまらず近代という新しい国を創りだしていこうという気概を持っていたということの一端をも浮き出してくれた。

「軍艦乗組員」とは艦長だったのか、ならば艦長室にこの本は飾られていたのか。台湾や韓国、米国に納品された先とはどんなところだったのか。本のその後の流転や運命は・・・5年という調査でも触れられていないことは多くある。だからといって取材途中の未完成段階かというとそんなことは決してない。百年前の時代に思いをはせるという歴史の旅は多くの「余白」が示されたことでますます好奇心が膨らむ。この本を予約した人々は到着したばかりの本をまるで宝物のように大切に扱い、まさに<むさぼる>ように読みふけったはずだ。

図書館などが充実し、パソコン検索でなくてもスマホの操作で簡単に情報が入手できる現代。もし初任給より高い本が出版されたとして熱烈に歓迎され、ましてや予約などされるだろうかという例示は的外れかもしれない。しかしいくつもの老舗出版社が消え、地方書店の数が激減している出版や書店業界について著者は「紙の本は時代遅れか?」の一項を割いて問題提起している。本当にそうですかと。そういう意味でも「おもしろそう」という予想は当たっていたわけだ。
ではまた

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